タンゴの発祥

 タンゴが生まれた経緯は不明とされているが、その原型とされるダンスは18世紀の後半にはイベリア半島で盛んに踊られていた。その後スペイン植民地帝国政策の一環としてラプラタ河口の人々にダンスパターンが伝わり、1900年以降にバンドネオン、フルートなどが混合されたアンサンブルを伴ったダンススポットが強烈に流行した。しかし、これに当時の日本人移民たちが関わっていることはあまり知られていない。
 アルゼンチンに足を踏み入れた日本人で、もっとも古く記録されているのは1597年に奴隷であることを不服とてし訴訟を起こして、解放を勝ち取ったフランシスコ・ハポンである。その後本格的な日本人の移民が始まったころ、1886年に牧野金蔵が最初にアルゼンチンに移住し最初の日系アルゼンチン人となった。その後伊藤清三が8000haの富士牧場を経営する。その後第2次世界大戦までに少なくない日本人がアルゼンチンに移住した。日本人はブレノスアイレスやその近郊で工場労働者や港湾作業員として働いたほか、花卉栽培や洗濯業に従事し、地方で農業に従事する者もいた。移民の多くは沖縄や鹿児島の出身であったが、丹後地方の出身者も多くいた。
 彼らは仕事が終わった夜に集まり踊りに興じることが多かった。日本で使われていた笛や太鼓の代わりにバンドネオンやフルートが使用された。焚き火に照らされ踊り狂う彼らの姿に現地の人々は魅了され、それは彼らの出身地にちなんでタンゴと呼ばれるようになった。やがてタンゴはラプラタ河のダンスと融合し現在の形となった。しかし残念なことに、実際にはほとんど記録は残っていないため、ただしいことはわかってはいない。ただ、リズムに関しては日本伝来の祭囃子の他、キューバのハバネラ、ヨーロッパ伝来のワルツ、アメリカ伝来のフォックストロットなどが初期のタンゴに影響を与えたと伝えられている。


                  民明書房刊「タンゴとは」より
 

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