疑問を持つことを大切に【449/500】
気付くとGWももう終わりですね。早い。。。
海に行く途中、東京駅の人だかりを見て「ひとの移動も増え始めたなぁ。」と思っていたら、これでもコロナ前の7割程度とのこと。
コロナ前ってどんな状況だったんでしょうね?
もう街が賑わっているの基準が分からなくなっています。
さて、本日は「疑問を持つことを大切に」というテーマで一本書いておきます。
世の中、本当は知らないことばかり
このブログでは良く書いていますが、ひとの脳みそっていうのは本当に高性能な怠け者でして、考えなくても良いことは考えなくてもよいようにする仕組みをもっています。
例えば、言葉の意味は分かるけど、何でその文字列になっているかが分からない言葉を普段使ってないですか?
ぱっと思いつくものだと、
OB(ゴルフ)
OB/OG
POP
OOH
とかって普通に使っていますよね。
OB(ゴルフ)=Out of Bounds
OB/OG=Old Boy/Old Girl(和製英語)
POP=Point of Purchace
OOH=Out of Home
の略だと考えて使っている人は少ないと思うんです。
ゴルフでOBを打った時に危険を知らせるために「フォー」って叫ぶのもForeで、前って意味だと思って叫ばない。
POPとかは面白くて、PoPって書くとPoint of Presenceになってアクセスポイントになるわけです。
でも、そんなのどうでも良いじゃないですか。
記号が何を示しているのか概念的に分かっているから、その語源がどこにあるかなんて特に構わないませんよね。
説明できなくても問題なく生きていけますし。
ただ、最近、この知らなくても使えている状態に慣れていくことには、注意しておかないといけないなぁと思っています。
知らないことを知らないまま感覚で生きていると、人生の解像度が落ちていく
歳をとると知識が増えた対価として、楽して生きる権利を得ることになります。
知識として得たものを使っていくうちに、その概念が脳に根付き、意味の必要性を失い、考えなくても分かるという状態になっていきます。
記号で理解しているから、成り立ちや意味は分からなくても大丈夫。
という生き方をしていると、意識的な人生の解像度はどんどん落ちていきます。
自分自身で説明が出来ないことを脳にコントロールされて自動的に行っている状態に近づいていくわけです。
こうなってくるとだんだんと主体性が薄くなり「人が生きている意味とは?」って問題がうまれてきます。
自分は生きているのか、誰かに生かされているのかが分からなくなります。
歳をとると物忘れも激しくなります。
脳は覚えておかなくてもよいこと(使わない情報)は忘れていきますので、必要なければ言葉から意味が失われていきます。
自分の知識の範囲内で生きていけるうちは良いですが、この変化の激しい世の中、意味が説明できないと変化を理解し対応する力も速度も落ちてしまいます。
だからこそ、大人になっても「分からないことに気付ける」、「忘れていることに気付ける」能力って普段から磨いておく必要があると思うのです。
目の前のことや、自分の行動に対して「何故」を問いかけ続けなくてはなりません。
情報量が多くなればなるほど意味が重要になる
IT (Information Technology)の進化によって、ひと1人あたりに降り注ぐ情報量が莫大に増えています。
記憶容量も人それぞれとはいえ限界がありますので、そこに対して脳は取捨選択のバイアス(偏り・/)をかけます。
意味の分からない言葉をベースにして脳の自動最適をかけると、自分の脳が出す結果に対して自分自身が意味を見出せなくなっていきます。
大人になるともう脳の自動最適化プログラムは、その人に合わせてほぼほぼ完成しかけています。
そこに疑問を持ち、変数を与えるためには、意味を忘れかけている言葉に意味を定義しなおし、再度脳の最適化ロジックを動かして自分を更新しなくてはなりません。
だからこそ、「分からないことに気付ける」、「忘れていることに気付ける」能力が重要になってきます。
多くのことが当たり前になっていく世の中。
自分が本質的に理解していないことは何なのかを考え、日々の全てを言語で理解する、理解しなおすという習慣を今から身に付けておかないと、これからは機械学習したAIにまで飲みこまれていきます。
自分を自分として自覚し、変化の激しい世の中を生きていくために、自分の人生の解像度は常に高く保っていきたいものです。
それでは、皆様、良いGW最終日をお過ごしください。