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【短編小説】やさしいハンカチ。〜社会不適合者の悦び〜





※このお話は、3分程で読み終えることができます。




梅雨の空気は恐ろしい。

重くて湿っているというだけでも最悪なのに、それに加えて蒸し暑い。
三重苦だ。


でも、俺のような社会不適合者よりはマシかもしれない。

雨がふれば農家が喜ぶ。

運動音痴でプールが嫌いな子供たちは、もっと喜ぶ。


昼下がり。


俺はいつも通り、ハローワークから何の収穫も得ずに、帰路を歩く。


もし俺が命を終えても、この道の景色は何も変わらない。


いつもの時間、いつもの道…

しかし俺はその道の先に、いつもとは違う、とある物体を発見した。

それは、うす汚い布切れだった。

ところどころ破れている… 野犬にでも嚙まれたのだろうか。

元々は白かったのだろう。

よく見ると、布の端は丁寧に装飾された縫い目で覆われている。


…こいつは、ハンカチじゃないか。



俺は非情な人間だ。


だからいつもの俺ならば、なんだこの汚い布、といって靴の底で踏みつけた後にその場を去っていただろう。

しかし、今日の俺は…梅雨のかび臭い空気に、脳を犯られたのだろうか。

俺はこの痛んだハンカチをとても愛おしく感じた。


誰からも必要とされず、道の真ん中で倒れていても、見向きもされない存在。


こいつは…まるで…


俺はこのハンカチを、崇(たかし)と名付けることにした。

俺は崇をそっと抱き上げた。

俺の掌でタカシはぐったりと、弱りきっている。


俺は早く、崇を洗ってやろう、そして、ゆっくり休ませなければならないと思った。

傷つけないよう丁寧に、彼をたたみ、ジーパンの前ポケットにしまった。

帰路を急いだ。



「あんりゃ、誠二! やけに早いね。仕事は見つかったの?」

家に帰ると、母親がいた。

クソばばあ、そんなに早く、仕事なんか見つからねーよ。

「職種にこだわってると、見つからないわよ!いじめなんて、どこの職場でもあるんだからね。
母さんだって、パート先で年上のおばさんに…」


いつものように俺へのクレームに事欠かない母親を脇目に、宗を風呂場まで運んだ。



『崇、あれが俺の母親。うるさくってかなわねーよ。毒親なんだよ、毒親』

俺は崇に心を開いてもらえるよう、そっと話しかけながら、温かな流水で彼を洗ってやった。


風呂桶にいれた湯に洗剤を混ぜ、彼の身体を丁寧にもみほぐしていく。


やがて桶の中の水が、真っ黒に染まる。


こいつ、こんなに汚れを背負っていたのか。

痛くないか?と崇に尋ねながら、軽く絞る。

滴り落ちる水の色は、清く透明。

そしてドライヤーで軽く乾かしたのち、俺の部屋へと連れて行った。


風呂上りでまだ湿った身体の崇を、ゲーミングチェアの背もたれに掛けてやる。

『ようこそ、これが俺の部屋だ。…汚い部屋だが、その椅子は高いんだぜ』


俺はその晩、ひたすら崇と語り合い、同じ布団で眠った。

崇から漂う柔軟剤の匂いが、俺を安心させた。

俺は久々に、深い眠りについた。



次の日の朝。


梅雨の曇天の合間に訪れた、つかの間の晴天。


クソ暑い。

まるでペテン師の笑顔のような日差しが、世界を照らす。

今日もまた俺は、ハローワークに行け!
と、まくし立てる母親の怒鳴り声に従い、逃げるように家を出た。

けど今日の俺は、昨日までと違うことが一つある。崇がいるのだ。


俺はハローワークに行かず、近所のゲーセンに入った。

平日の朝から、盛況している。

奇抜な色の髪をした、10代と思わしきクソガキ共。

俺の目当てのクレーンゲームの近くで、ひしめきあっている。

…まぁ、こんな朝っぱらからゲーセンに来るなんて、ろくでもない奴で確定だよな。

俺も、そうだけど。

なぁ?崇

と、俺はショルダーバッグに入れ連れてきた彼に同意を求めた。

カバンの中に手をつっこむ。


しかし、彼が居ない。


俺は血の気が失せた。

崇が、居なくなった。





急いで家に戻った。

もしかしたら、家を出る前、クソばばに追い立てられた時に忘れてしまったのかもしれない。



「母さん!崇がどこにいるか知らないか!」


「あれ?あんたもう帰ってきたの?…たかし?誰よ、それ」

母親は庭で洗濯物を干していた。

物干しざおに、俺のジーパンが干されている。

その姿はまるで、なぶり絞られ張り付けにされた、イエス・キリストのようだ。


灼熱の太陽の下で、汗を滴らせる彼のうめき声が聞こえてくる。



俺は、寒気を感じた。

とても嫌な予感がして、何故かそれは当たっている気がした。

「ハンカチだよ!俺が出る前に、忘れてなかったか?」

「ああ、あの汚い布切れのこと?あんまりにも汚いから、台所のごみ箱に捨てておいたわよ~」

なんだって!


俺は、急いで台所に向かった。



「崇!崇!」

台所は、湿気と暑さに蒸され、すえた臭いがした。

俺は急いでごみ箱のふたを開けた。


生ごみや卵の殻に交じって、崇は捨てられていた。

崇の上にとまったハエが飛びたち、消えていった。

瀕死の状態だった。

ボロボロになりながらも逞しく生きていた宗は、また痛めつけられて捨てられた。

生きていてよかった、と思いながらも、俺の心は悲しみでいっぱいだった。

すぐに風呂場に避難し、崇をシャワーで洗ってやった。

何度も何度も、桶のなかでゆすいでやる。

しかし中々、据えた生ごみの臭いは消えない。

もう一度彼を生き返らせたい一心で、丁寧に洗い、ゆすぐ。

身体にあった傷も、さらに大きく開いている。

これもまた、手当してやらないとな…。


勝手に動く手と、とまらない涙。

俺は声を上げて、泣いていた。

しかしその声も、シャワーの音でかき消され、消えてなくなった。



『どうしてだろうな、崇。
俺たちは、もがいてももがいても、上手くいかない。
こんな世界で生きること、やめちまわないか?』

俺はその夜、崇にそっと呟いた。

部屋の窓から差し込む月明かりは、崇を照らし、彼の姿を模った長い影をつくる。

絶望の淵、俺は決断をした。

今日が、俺たちが一緒に過ごす、最後の日だと。


次の日の夜、皆が寝静まった頃。

台風でも来るのだろうか、風が強い夜だ。

電線に触った風が、うめき声を奏でて去っていく。

まだ少し残っている住宅街の灯りを背にして、俺は崇を連れて公園へ向かった。

左手に崇を携え、右手には、輪をつくったロープと脚立。

俺の覚悟は決まっている。

『崇、お前も一緒に、あちらの世界まで着いてきてくれるか?』

崇に尋ねた。

返事はかえってこない。


その時、強い風が吹いた。


崇が風に吹かれ、舞い上がった。

崇は白いスカートをふわりと揺らし踊った後、闇の中へと消えていった。

『そうか…おまえはこんなに痛めつけられても、まだ生きようとするのか。

おまえなら、たくましく生きられるよ。

立派なハンカチなんだから』

引き止めなかった。


道連れにするのは、俺のエゴだ。



夜の公園に着いた。

嵐の前触れのせいか、誰もいない。

一番太く、しっかりした木を探した。

そして俺の屍を支えるにふさわしい枝を選び、ロープを巻き付ける。

首を輪の中に通す。

…準備ができた。あとは、この脚立を蹴るだけだ。


辛いだけの人生だったが、最後にお前に会えて良かったよ…。


崇の姿が頭に浮かんだ。

俺は脚立を蹴った。



次の瞬間、俺は地面にたたきつけられた。

ロープの結びが緩かったのか、外れて下に落とされた。

背中を激痛が走る。



間抜けだ。

俺は死に際まで、間抜けだ…。



黒い雲で覆われた、夜空を仰ぐ。

涙が頬を伝った。

公園の木々が、黒い顔をひしめきあわせ、ざわざわと声を立て始めた。


その顔は、俺を見下ろしている。


そして、黒い瞳が二つ、現れる。

やがてその目は三日月形にゆがみ、クスクスと笑い声が聞こえてくる。



「誠二のとなりの席とか、超はずれなんですけど~。誰かかわってーw」




「田中誠二さんって、いい歳なのにアルバイトなんだってw
しかも転職回数30回とか、もはやレジェンドじゃね?w」



「誠二、あんたまた仕事やめたの!?お兄ちゃんは結婚して、子供まで居るっていうのに。
ほんとあんたは、昔からダメよねぇ」




黒い影の中に浮かぶ瞳は増殖し、
ぐるぐると、万華鏡のように視界に広がってゆく。

「やめてくれ!やめてくれ!!!」


気が狂いそうだ。

嘲った笑い声が耳をつんざき、増殖した瞳は合体し、やがてひとつの、大きな まなこに…



その時、ふわりとした何かが、俺の顔を覆った。

そいつが視界を遮断する。


白い姿、ささくれだった布の感触、俺はこの感触に覚えがあった。

『崇!おまえ、戻ってきたのか!?』


崇だけでも幸せに生きてくれたらよかった。

それなのに、こいつは俺を助けに戻ってきた。

俺は号泣した。


そして崇で、涙にぬれた顔を拭いた。


こいつは、優しいハンカチだ。

誰かの涙をぬぐうために生まれてきた、ハンカチなんだ。



俺は崇と共に、公園のベンチに腰掛けた。

自販機でコーラを買い、乾杯をする。

小一時間がたったころ、風がやんで雲が逃げてゆき、月が姿を現した。

満月だった。

『崇、月がきれいだな。俺は今、人生の中で一番幸せだ。お前のおかげさ…ありがとう』


崇と一緒に眺めた月は、とても綺麗だった。

なぁ、俺も、お前と一緒に生きてもいいか?と尋ねてみた。

崇は相変わらず無口だったが、

風もふいていないのに、身体を楽しそうに、ふわりと揺らしたのだった。


やがて夜が明け、

優しい光が俺たちの身体を照らしていた。




おわり。



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