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ドキッ!トラブルだらけの和田峠攻略(ポロリもあるよ)

ひとが文章を書いているのに触発されたから、こないだ山に登ってひどいめにあいかけた話でもしよう。

そもそもヒルクライムとは苦行であって

はじめにはっきり言っておくけれど、自転車で山に登ろうなんていう輩は一人残らずアホのマゾヒストである。ヒルクライムとは本質的に苦行で、筋肉に対する自傷行為なのだ。

もちろん苦行に見合った楽しさがないわけではない。晴れた日に山に登れば(コースによるが)景色はよい(※個人の感想)し、いつ走ったって(※個人の感想)山奥の道は都会より楽しい(※個人の感想)。帰り道は行きとは一転して風を切りながら(路面が濡れたり荒れたりしてなきゃ)爽やかに下っていける。

うちのこ(ESCAPE RX3)。かわいいね

ホームシック

そんな理由で、ぼくは自転車で山のほうを走るのが好きだ。地元の名古屋からほど近い三国山は何度も登っていて、麓から550mの標高差を難易度控えめの坂道で登り切って、尾張最高地点である標高700mの展望台から下界を見渡すのは本当に好きだった。…………のだが、東京に来てからすっかり山へ行きづらくなってしまった。

そもそも東京23区の西側から走り出してちゃんと「山」と呼べるような領域にたどり着くためには、高尾・五日市・青梅・飯能のあたりにある関東山地の端っこまでひったすら40km近くクソつまらない市街地の中を走り続ける必要がある。勘弁してくれ。

東京に来てからしばらく経ったある日、山道に飢えた身体を引きずりながら国土地理院の地形図閲覧サービスを眺めていると、ふと「和田峠」と書かれた場所が目に留まった。

自転車で立ち入れる県道。標高690m。眺望の保証されていそうな山地端の立地。高尾まで行けば輪行も可。きっと、ぼくの山道への飢えを、三国山への郷愁を慰めてくれるのはここしかない。強い思いを抱えながら、和田峠の訪問は半年以上先延ばしにしていた。

市区町村全訪チャレンジ

並行して、東京に来てからのぼくはよくわからない遊びをしていた。自転車で遠出するたび、「東京都本土部の市区町村を」「自転車で家を出発して帰り着くまでの行程で」「かすめるだけでいいから通過する」という条件を満たした場所にチェックマークを付けていた。

奥多摩駅裏の工場

前述の通り山に行くのは好きだったから、八王子市や檜原村、その道中で通る自治体はすぐに埋まった。拾い損ねた市も散歩がてら走って回収した。23区の東の方も、気は進まなかったけどうまく一発で回収した。難関みたいな難関の奥多摩町もちょっとがんばって奥多摩駅まで行ってきた。そうして、特に用のない多摩市と町田市だけが、未訪のままずっと残っていた。

夏休みの終わり、秋の夜明け

その日はよく眠れなくて、太陽が昇るよりずっと前に目を覚ましてしまった。

睡眠不足で判断力が鈍っていたのだろう。ぼくは勢いだけで未訪問の和田峠と町田市を埋めるべく、愛車のタイヤに空気を入れはじめたのだった。

この日の大まかな予定はこうだった:「調布から多摩市を経由して一瞬町田市を踏む。そこから多摩センターを通って八王子に入り、八王子の駄菓子屋でやたらコスパのいい焼き鳥をたべて(ここまで前座なので適当に走ってよい)、和田峠を登ったら帰る。」

神奈川県境

正直に言って、ぼくは多摩丘陵というものを見くびっていた。調布から最高点まで100m以上駆け上がるのは鈍った脚にやたら堪えたし、町田を回収したあと八王子までにもう一度80mの上りが待っているなんて、下調べを怠ったせいで認識していなかったのだ。

それでも、それでも、焼き鳥が待っていると思えば、八王子に向かってゆっくりと坂を登っていくことができた。人間は、救いがあると信じれば頑張ることができる。

小さな峠を越えて八王子に降りていく

…………たとえそれが誤りだと知ることになったとしても。駄菓子屋は定休日でもないのに休みだった。結局ぼくは目の前でエサを奪われた不機嫌なサルみたいな顔のまま近くのコンビニまで走って、うなだれながらランチパックをむさぼった。

そこからしばらく走って、和田峠へ向かう分岐にたどり着く頃にはもう脚が疲れはじめていた。

峠へ向かう道。まだ平ら

「この道路は連続雨量 xxx mm を越えると通行止になります」という看板はぼくにとって山道の象徴だった。分岐からしばらくは、ラスト3.6kmにさしかかるまではなだらかな上りが続いていた。爽やかな谷間の道をすいすいと飛ばして行く。このペースなら余裕で頂上まで着いてしまうんじゃないかとさえ思えた。

坂、あるいは壁

陣馬街道は、峠から3.6kmの最後のバス停「陣馬高原下」を境に、"平均"勾配10%の情け容赦ない激坂へと豹変する。

地獄入口

思い返してみても、この看板を過ぎてから距離あたりの記憶がやたら濃厚なのだ。ギアを減速比1まで掛け替えてもクランクはろくに回らず、サイコンは早歩きみたいな速度だと答え、左手首のスマートウォッチはこぎ続けているのもお構いなしに「お、いまきみ止まったね?ワークアウト記録を一時停止してあげよう」と震える。

心拍数に目をやると170を越え、麓は晴れていたのに地面は濡れた落ち葉で滑りやすくなっていて、周りには霧がかかった。景色が目当てで登ったはずなのに、これじゃあバカと煙のランデブーである。

下山してくるひとに息絶え絶えのまま挨拶を交わして、永遠みたいな霧のなかを這い上がっていると、急に上り坂が終わって峠の茶屋が見えてきた。ゴールだ。

峠の茶屋が休みだったので駐輪代はタダだった。

ベンチでしばらく休憩を取ったあと、愛車を峠において隣接(距離は600mぐらい)した陣馬山への登山道をとてとてと登っていった。

幻想的。

峠に着くまでは「せっかく山登りに来たのに霧なんて、」と思っていたのだが、霧のかかった登山道というのもなかなか悪くない。陣馬高原下から和田峠までは徒歩でも苦行だろうけれど、そこから陣馬山まではよく整備されていて歩きやすかったのでみなさんにもおすすめである。

若干のホラーみ

ほどなくして視界が開けると、そこが陣馬山である。高尾山から尾根伝いにアクセスできる山だからなのか、こんな天気の悪いド平日にも清水茶屋というお店がやっていて、閉店時間ギリギリだったけれどお土産を買っていくことにした。選んだのは桔梗のピンバッジだったのだが、清水茶屋の店主のおじさまは「桔梗はもうあまり残っていない」と言っていた。

清水茶屋

喪失

なにも見えない山頂の景色をしばらく楽しんで「さあ帰るか」と思った矢先、左手首が妙に軽いことに気付く。ここまでずっと苦楽をともにしてきたスマートウォッチくんが、忽然と消えているのだ。

山頂を来た順に回る。ない。清水茶屋の店主に聞いて、店のなかを探しても二人で「落ちてないねえ」「やっぱりないですよねえ」という言葉だけが部屋の中で響いていた。

「高尾の方から来たが、帰り道がわからない」(陣馬高原下から帰るルートを案内した)という登山者のおねえさんも、来た方向が違うから聞くこともできない。

こころがきれいなひとには相模原市藤野地区の景色が見えます

心当たりが一箇所だけあった。和田峠で休憩したとき、スマートウォッチを外したような記憶があったのだ。管理アプリの心拍数の記録も峠を離れた時間で止まっている。それならば、降りて探すしかない!

霧のかかった登山道を、足下だけ凝視しながら急ぎ足で降りていった。ない。やっぱり峠の茶屋にあるはずだ――!

…………なかった。峠のどこを探しても。ひどくうなだれて、焦っていた。Xiaomi mi band 6。スマートウォッチ界の中では破格の品だが、それでも6000円のものを失うのは痛手だ。なによりぼくは睡眠と運動の管理をそれに頼り切っていた。

「もう一度、行けばいいんじゃないかな」

心の奥底で、そうささやく声が聞こえた。mi bandくんは、確実に峠から山頂までの間にある。もう一度歩けば見つけられるのではないか……!

もはや600mの道のりなど大した障壁ではなかった。愛車に据え付けて使っていた前照灯を片手に、薄暗くなった山道を駆け上がっていく。それでも、いくら目を凝らしても、mi bandは落ちていなかった。

そうして、もう一度視界が開けた。山頂だ。

絶望の可能性が頭の片隅で膨らんで行くのを感じながら、一度目に歩いた軌道を記憶通りなぞる。ない。ない。そうして清水茶屋の前まで来ると、店主が店じまいの準備をしていた。

「見つかったかい」
「ありませんでした、和田峠まで降りて、気がかりでもう一度登ってきたんですが」
「落としたもの、どんなふうだったんだい」
「ああ、黒いバンドに、黒い液晶で……」
「……ちょうど、こういう」

奇跡とはこういう瞬間のことを指すのかもしれない。足下に目をやると、行方不明のmi bandくんが湿った草の上に横たわっていた。「これだと落ちててもわかりづらいねえ」みたいな言葉を二三交わして、店主に深々とお礼を言って、もう一度和田峠までの道を駆け下りていった。

帰還

そこから先は急に記憶が希薄になっている。少し降りたら福生の米軍基地がよく見えたり、濡れたヘアピンで後輪がロックしてガードレールに命を救われたり、登山者のお姉さんに再会して「見つけました!」と満面の笑みで報告したりした。

福生方

それから、北浅川のひんやりした清流は疲れ切った脚に気持ち良かった。

かわあそび

麓の八王子市街に抜けてからはすっかり暗くなってしまって、平坦な道をただ走るだけだった。途中のコンビニでサラダチキンをけだものみたいにむさぼり食ったことと、おなかがいたくなってKFCでトイレを借りたぐらいしか覚えていない。それ以外になにか特筆するようなことがあるとすれば、次の日から四日ぐらい延々脚が痛かった。そりゃそうだ。激坂登り切って登山道二往復したんだぜ?

陣馬山にはまた行こうと思っている。でもつぎは高尾まで輪行でいいや…………

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