勤続40年の果てにあるもの
Today was my Dad's last day at work. Due to the quarantine, I couldn't get to go see him, but my family and I celebrated his 40 years of hard work through the web camera.
40年間勤めた先に見えるものは何だろうか。
『海外に住む』という目標をたてたのは中学生の時だったそうだ。父はその夢を叶え、ロシア・アメリカ・台湾の3カ国で働き、日本に帰国した後もアジアを中心に毎月の様に出張に飛び回っていた。
1994年に渡米。一家でアメリカに住んでいた当時、9才の私からしたらそれは当たり前すぎる程の単なる日常に過ぎなかったが、大人になってから分かった事といえば、日本人が海外で働いてお金を稼ぐということがいかに大変な事か、ということである。
第一に言葉の壁があげられるが、父はいまだに中国語の勉強を続けている。三国志を中国語で読むことが今後の目標の一つの様だ。幾つになっても勉学に励む彼の姿には本当に頭が下がるし、尊敬以外の何者でもない。
父と私は昔からあまり会話をしないからか、たまに交わす言葉に大きく影響されることも少なくはない。
家族といえど一人の人間であり、知らなくても良いことが沢山ある。
その人の全てを知ることが必ずしも美しいということとは限らない。
こう教わったのも父からである。
「生涯現役でいたい」と言い続けてきた父の電撃退職はそれなりの衝撃があったが、誰に相談することもなく、ある日突然退職願を提出してきた彼の行動はどこまでも父らしいな、と思わせてくれるものがあるし、どこまでもブレない軸に思わず笑ってしまった。
40年間の感謝と共に、これから先の彼の人生を陰ながら応援したいと思う。
父へ
娘より
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