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原英史さんと公務員制度改革について論じ合う【1】80年代の「様式美」偏重の空気が役所を悪くした

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標題=原英史さんと公務員制度改革について論じ合う【1】80年代の「様式美」偏重の空気が役所を悪くした

掲載媒体=NBonline

公開日=2012年8月21日(火)

対談相手=原英史

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橘川:本日はよろしくお願いします。原くんとは10年以上の付き合いで、原くんがまだ経産省にいた頃から、時々会っていました。しばらく会わなかったら、退官して政策工房を立ち上げて、それからまた定期的に会うようになりました。役人時代、しばらく会わなかった時代に、安倍晋三、福田康夫内閣で渡辺喜美行政改革担当大臣の補佐官になって、公務員制度改革というテーマを追いかけていたわけですね。

原:安倍内閣の時に、教育改革とか憲法問題とか、いろんなテーマがあったのですが、それらと並ぶ柱の一つが公務員制度改革でした。

 公務員制度改革というのは、1950年代から課題と認識されながら、ずっと先送りになっていたものなんですね。政治家たちも、公務員制度改革の必要性を感じても、役人を敵に回すと大変だから、なかなか手をつけられなかった。小泉政権のような国民的にも人気があり、いろんな改革を手掛けた政権ですら、公務員改革には触れなかった。

 郵政改革なら、政治家や官僚の中に反対する勢力はいるけど、限定的。しかし、公務員制度改革の場合、霞が関全体を敵に回すことになるので、ハードルが高い。その結果、どうなったかというと、いろんな改革をやろうとしても、官僚組織が抵抗する側に回ってしまう。

 郵政改革なんて典型例ですが、当時、旧郵政官僚が反対の根回しをしたり、いろんな抵抗があったりして、その後、郵政解散と選挙まで経て改革法案を通したのに、結局、最後は官僚組織の抵抗でひっくりかえされちゃう。公務員制度改革をやらない限り、個別分野の改革はなかなか進まないし、一歩進んだと思えば戻されちゃうのです。

橘川:そこで、渡辺喜美さんが本気で公務員制度改革をやろうと担当大臣になったわけですね。

原:その時に、官僚のことが分かってる人間が必要だよね。ということになり、渡辺さんがあちこちに声かけて、これはもう古賀さんが公表されているから言ってよいと思いますが、古賀茂明さんの推薦で、僕が補佐官になったんです。

 それで安倍内閣の時は、順調に進んでいたのですが、福田内閣、麻生内閣になって、政権が混乱してきて、公務員改革をやる気がなくなってしまった。公務員制度改革なんて、政権がやる気をなくしたら続けられるわけがないので、あっという間につぶされてしまった。

橘川:やがて、民主党の政権交代になる。

原:民主党は政権を取ったら公務員制度改革をやります、と言っていたが、実際に政権をとってみたら、完全にストップ。それどころか、これまでより逆行させてしまって、とんでもないことになっているというのが現状です。

橘川:公務員の問題で一番改革しなければいけないことって、何ですかね?

原:なぜ「公務員制度改革」が必要かというと、役人がバカだからだとか、悪人だからというのではないのです。それだったら「公務員制度改革」ではなく「公務員改革」をやって、悪いやつを追い出したらよい。そうではなくて、公務員組織には制度的な問題があって、もともと優秀でまともな人が少なくないはずなのに、組織全体がおかしくなってしまう。だから制度の改革が必要なのです。

 制度的な問題の根幹は、組織がつぶれない、ということです。民間の会社組織の場合、業績があがらなくて、会社の利益を出さないと、最後は自分たちの会社がつぶれちゃう。つぶれちゃったら元も子もないというプレッシャーが働いて、組織全体が正常な方向に動く。ところが、公務員組織の場合、企業利益というのが、国民の利益、あるいは地方自治体なら住民の利益にあたるわけですが、その利益が実現されなくても、組織はつぶれません。

橘川:つまらない箱物の施設を造って赤字になったら、民間企業だったら倒産ですが、行政組織の場合は誰も責任を取らないですものね。

原:だから、株式会社なら株主のためになることを会社組織が果たすように、国家行政であれば国民の利益のために働く組織構造に改める、というのが公務員制度改革だと思います。

橘川:官僚というと、一般の人は、あまり良いイメージを持っていないですよね。特に霞が関の官僚というと、頭は良さそうだけど建前ばかり言って、個人の顔が見えない。だから、古賀さんのような個人の主張を組織に対していうと、ヒーローになる。だけど、実際に、原くんも霞が関の官僚だったし、他にも多くの省庁の官僚と個人的に付き合ってみると、正義感はあるし、感性も優れている人が少なくない。多くはないですが(笑)

原:もちろん、正義感も感性もなく「お役所の決まりごと」みたいなくだらないことばかり言っているとか、個人的にどうしようもない官僚も少なくないです。ただ、そういうダメな人は、どこの組織でも一定割合必ずいるわけで、それは仕方ない。問題は、そういうどうしようもない人が、年功序列で、かなり責任あるポストについちゃったりする。これは、まさに「役所はつぶれない」問題に帰着するわけです。

 それから、もう一つの問題は、個人としては、まともな感覚を持った人たちが多いのに、組織としては、なぜか違う方向に向かったりしてしまうこともある。

 まあ、総体的にみれば、まともな優秀な人が多い。だからこそ、制度改革さえやれば、もっと良い成果を出せるはずで、とてももったいないと思うのです。

橘川:夜中の霞が関は、いつまでも電気がついていて、仕事してますよね。官僚って、こんなに働くものかと驚いたことがある。まず、体力が必要ですよね。むしろ、地方の末端の公務員の方が働かない、というイメージがあるのですが、それはどうですか?

原:それは、地方によっても部署によっても違うと思うけど、僕は大阪府と大阪市の仕事を手伝ってるけど、そこの中枢にいる人たちは、やはり深夜まで働くこともあるし、問題意識も能力も極めて高い人が多いですよ。

橘川:地方の末端の村などに行くと、地元の有力者の子弟などが、就職なくて公務員やってるケースも多い。知り合いで、ITベンチャーの社長を辞めて故郷の村長選に出て村長になったのがいるけど、まあ、仕事しないできないのが多い、と嘆いていました。ITベンチャーの方が働きすぎなのか知れませんが。

原:ITベンチャーは、仕事しない人はすぐクビにするでしょう。役所の場合は、身分保障があってそれがないので、仕事しない人の比率はどうしても多い。これまた制度的な問題の一つですが。

 それから、大阪市なんか見ていると、やはり関西圏全体における最優良就職先なわけです。だから、おのずと能力の高い人は集まっている。ただ一方で、議員や組合幹部のコネ採用みたいな世界も残っていて、こっちは相当問題ある。両極が混在している感じです。おそらく、小さな村なんかにいくと、後者の比重が高くなる場合があるのかもしれませんね。

 ただ、地方公務員をみんな一緒くたにして「9時から5時までで、機械的な仕事しかやらない」なんていうのは間違いだと思いますよ。

橘川:労働時間の問題ではなくて、仕事の中身の問題が、民間とは意識が違うなあ、と思うんですよ。例えば、国の公募などで仕事を受注すると、作業内容はそれほど注文が出ないのですが、あとの会計報告とか処理のチェックが半端ではない。納品して、2年たって、あの時の領収書が1枚足りないと言ってくる。

 それは確かに国民の税金を使うのだから、慎重にやらなければならないのだろうけど、そういう作業に優秀な官僚たちの能力が裂かれているというのは、不合理な気がするんです。もっと、仕事の中身に関心を持つべきです。

原:そうなんです。それは「何のための仕事か」という芯が通ってないから、つまらない書類のチェックや整合性にエネルギーが使われている。公務員のせっかくの能力、志、労働時間が生かし切れていない。

橘川:重箱のスミをつつくようなことばかりやって、この重箱にどういう料理を入れたらおいしいか、という問題意識がない。制度の問題より意識の問題なのではないか。官僚の仕事はマネジメントを含めた編集者的な仕事だと思うのです。

原:僕の考えでは、意識の問題も制度に起因している。国でも地方行政でも、社会を良くしようという志を持っている人は多くいるのですが、今の制度の中では、空回りしてしまう。

 さっきの制度改革の話にまた戻りますが、仕事をしていく上で「国民の利益を実現しないとつぶれてしまう」という組織的なプレッシャーが欠けているというのが大きいと思う。制度を変えて、それに準ずるプレッシャーがかかる仕組みにすれば、意識の面にも反映していくと思います。

橘川:僕は、戦後社会を東京で生まれて過ごしてきたのですが、終戦の焼け野原からスタートして、高度成長までは、貧しい中で、いろいろ工夫しながら政策を実施してきたんだと思うんです。

 僕が子どもの頃、学校にもプールがなかった時代に、明治神宮外苑の絵画館(聖徳祈念絵画館)の前の池があるでしょう、あれが夏場だけ塀で囲んでプールになったんです。それは、暑い夏に子どもたちにプールで水遊びをさせてあげたいという官僚が企画して実現したんだと思います。金がなくて、社会的に必要なことを、なんとか実現しようと努力していた。

 やはり、80年代のバブルが日本をおかしくした。企業の利益が上がって増収した予算を使うことが官僚の仕事になった。実際、90兆円の予算を1年で使い切るなんて、尋常な作業ではない。だから、今では、何百億の予算を使い切った人が優秀な官僚として評価されたりする。

原:ここ十数年、景気対策のための補正予算が年中行事のように組まれますが、そこで大事なのは、「何兆円規模の補正を組んだ」ということで、数字先にありき。だから、数字をちゃんと消化できるように、「基金に積んじゃう」とかいろんなテクニックも発達してきた。

橘川:とにかく多めに予算を組んで、余ったら基金に積んで残しておく、ということですね。予算が単年度会計なので、長期的なプログラムが組めないという問題もありますね。

 ただ、本来、金を使うのは企業の役割であって、金がなくても法律や仕組みで社会を活性化させるのが官僚の役割のはずなのに、今や、公共事業が日本最大の産業になってしまった。官僚も政治家も政策をぶちあげて予算を配分したら、それで何かをやった気になってしまう。ここが一番の問題なんです。政策の中身が本当に大事だと思うなら、お金の問題は手段にしか過ぎないと思うんです。そのお金の使われ方が一番大事なはずです。

原:そうですね。

橘川:例えば、雇用促進ということで、全国で、パソコン教室を開いてる。教室に通えばお金までもらえるというものですが、これがほとんど常態化してしまった。しかし、普通に考えてみて、初心者がパソコン教室に通ってExcelを学んだとしても、それで就職が決まるなんてことはありえない。昔、英語教室に補助金をばらまいたけど、あの政策でどれだけ日本人の英語力が向上したというのでしょうか。技術とかスキルというのは、個人が本気で学びたいと思って努力しない限り身につくものではないのに、ただ、パソコン教室に通った人数で政策の実効性みたいなことを語られても、現実の社会とは無関係だと思うんです。

原:1980年代に役所で仕事していた人たちが、役所を悪くした元凶だと思うんですよ。それ以前の人たちは、自分が失敗したら日本はとんでもないことになってしまうという危機感がもっとあったと思う。

橘川:それは、80年代に課長クラスだった人たちのことですか。

原:いや、80年代に役所の空気を吸った人みんなです。むしろ、その年代に役所に入って、仕事のやり方を覚えた人たちの方が、より純化されて問題かもしれない。僕自身も含めてですけど……。

原:どういうことかというと、放っておいても経済は成長し、社会は良くなっていく環境だった。だから、政策が本当に効果をあげるかどうかより、予算額の大きさとか、提出法案の数とか、プレゼンテーションの美しさとか、「様式美」が重んじられるようになった。武士たちが、合戦の時代が終わって、「様式美」の世界にはまりこんだようなものです。そうして、役所特有の「様式美」の型が確立され、「様式美」のポイントさえ高ければ、本当に効果があるかどうかは二の次、という文化ができあがった。

 その後、90年代に入ってバブルが弾け、「様式美」どころじゃない時代を迎えます。しかし、その頃には、80年代の文化に染まりきった人たちが役所の政策決定を取り仕切っていた。再び戦乱の時代が来たのに、城を守る戦士たちは「様式美」の剣舞を踊るだけで、被害が拡大してしまったのです。

橘川:「様式美」というのは非常に分かりやすい指摘ですね。日本の家元制度のように閉鎖的で純化した村意識の中で完成された「官僚道」のようなものができているのかも知れません。その「様式美」は素人から見ると、触り難い絶対的なものに見えるのかも。松下政経塾上がりの、未熟で背伸びしたがりの政治家たちは、ころっとやられてしまいそうです。

 日本の法律も、「様式美」を追求した結果、相当、変なものになってるものが少なくない。原くんが『「規制」を変えれば電気も足りる』という本で書いている、「おばか規制」も、「様式美」を洗練するあまり、現実にそぐわなくなっているということですよね。

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