コロナ戒厳令という機会
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コロナ戒厳令という機会


★この原稿は、橘川幸夫の新刊(執筆中)の下書き原稿の一部です。

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1.合理と実体の時代へ。

 コロナ渦は、人々が、生きるためだけの生活を見直す時間を与えてくれた。これまでの不合理で実体のない社会の無意味さに気がつく時間である。

 これまでの社会は「分かっちゃいるけど止められない」ものが支配していた社会である。不合理だと誰もが感じつつ、長年の慣習や利権の構造の中で継続してきたものを、今、見直すべきだ。

 合理を追求しよう。

 コロナ戒厳令の中、会社にいかなければ仕事が出来ない、と。なんの仕事だというと、会社の印鑑を押さないと業務が進まない、と。本来のやるべき仕事と、なんの意味があるのか。印鑑業界と、その業界に押された政治家の力で、続けられた不合理な仕組みと膨大な無駄をこの機会に見直すべきだ。印鑑証明を発行するために、どれだけ多くの公務員が必要で、その人件費がどれだけ必要なのか。正確に計算すべきだ。時間はある。

 その業務と構造を、合理的な判断で一気に整理すれば、より身軽な行政組織が出来る。もちろん、それは、不要になった人材に、新たな社会のための業務創出や、今回の出来事で分かった、医療・福祉などの人材不足の充足にあてるべきである。非常時に備えて、元看護婦さんのネットワークや予備役的な医療者体制も必要なのではないか。

 印鑑産業も、別の業態を模索すべきだ。表具屋も時計の修理屋も、かつてのような産業ではなくなったが、それぞれ生きる道を探したはずである。世界に通用しない職業は、ただ、文化としては残るだろうが、産業としては残すべきではないのだと思う。

 国家予算の半分は、公務員やみなし公務員の人件費だと言われている。この機会に、業務の洗い出しと、人材配置の転換をはかるべきではないか。

 合理では計れないものも追求しよう。

 医療、教育、文化は、通常のビジネス合理主義で運営すれば、必ず破綻する。それは量的な生産力の向上ではないからである。合理を徹底するところでは徹底し、合理では計れない「質」の領域については、別の視点での制度設計が必要になるであろう。「量」の確保と「質」の追求が、コロナ以後の社会のテーマとなるだろう。

2.本格的なP2P社会を

 このまま行くと、テレビの放送制作は出来なくなる。テレビ局の現場は、それこそ三密の最たる空間で、長時間、密室で、口角泡を飛ばして仕事をする。タレントや局アナに感染者が出たが、スタジオ収録は出来なくなり、街頭での食レポや、「鶴瓶の家族に乾杯」みたいな、お宅訪問も不可能になる。

 テレビもまた、長い時間、惰性で作られてきた。同じような顔ぶれのタレントが、テレビ出演の利権を持ってきた。テレビ局の側も、慣れた人間の方が使いやすいので、極めて限定的な、300人程度のタレントを、繰り返し使うことで、知名度を高め、番組に安心感を持たせた。インターネットが普及しようが、テレビの影響力は以前として強大である。テレビが放送する「意見」は、マジョリティとして、多くの人の「自分の意見」として受け取ってしまう。そのテレビの制作モデルが壊れつつある。

 新聞も危ない。明治以来、大手新聞社は、各地に特派員を配置し、あらゆる業界や政治家にパイプを作り、集めた情報を、整理部が編集して新聞として全国に配送する。

 まず、新聞紙が危ない。現在、コロナウイルスは、紙幣感染の恐怖が語られている。お札やコインは、複数の人が手渡しするので、なるべく、現金決済ではなく、電子マネーで支払うようにしている。それでも、古い八百屋さんなどでは、現金しか対応していない。

 コロナウイルスは、段ボールの表面でも1日以上生き延びるということなので、通販で買った商品の段ボールは、置き配をしてもらい、一日経ってから部屋に入れることにしている。

 新聞もまた、複数の人の手を経て、外部から自宅に持ち込まれるものである。私は、新聞の宅配は頼んでいないが、毎日、朝の散歩を兼ねてコンビニに行き、日経新聞を買ってきて、朝食を食べながら新聞を読むのが日課だった。しかし、かみさんの方から、食事中、外部から持ち込まれた新聞を読むのは禁止、という宣告を受け、やめることになった。

 新聞は、新聞社の編集局だけではなく、印刷する人も、トラックで運ぶ人も、新聞専売所の人も、多くの人が、新聞を発行することで生活している。電子新聞の流れが出来たが、そうした多くの人たちの生活をいきなり壊すことが出来ないので、電子化が進まなかった。日経だけが、販売店を持たないことによって、電子化に大きくシフトすることができた。

 コロナ渦がどれだけ長引くか分からないが、長引けば長引くほど、新聞の購読率は下がるだろう。私は、新聞販売店の店主の中でも、危機感を持ちながら、地域コミュニティの中の拠点としての意味を考え、新しい事業構造を模索してきた人たちを知っている。単に大手新聞社が新聞を電子化することだけが目的になってはならないと思う。新聞を発行することによって生活している、すべての人たちが、自分たちの未来に即した業務転換を検討すべきだ。その時間が与えられたはずである。

 テレビや新聞といったオールドメディアが機能停止に陥るかも知れない。一方で、インターネットの内部でも、考え方の支配競争や、勢力争いが盛んである。しかし、インターネットの本質は、個人と個人がつながる(P2P)ことにある。個人というのは、「あるテーマについてはこう思う」「このテーマについてはこう思う」というようなもので、「すべてのテーマでこう思う」ということが一致するわけがない。

 テレビ局や新聞社が放送している、良心や建前で統一された価値観を、個人の側で解体していくのがインターネットなはずなのに、インターネットの世界の中で、統一した価値観の勢力争いがある。

 この機会に、もういちど、自分の考えを整理してみたい。大いなる自己学習の宿題を、全世界すべての人がコロナウイルスが暴力的に与えられている。人間が人間として与えられた役割があるとしたら、この期間で、ひとりひとりが考え、コロナ以後に、それぞれ持ち寄って集まり、新しい人類の可能性を示すことだろう。

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