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追悼・坂本正治さん

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標題=追悼・坂本正治

掲載媒体=一週間の日記

執筆日=2011年11月21日

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 ポンプを創刊して、多くの人に出会った。毎日、投稿されてくる100から200通ぐらいの投稿者たちとの出会いもあるが、それまでロッキングオンという小さな世界で生きていた僕は、いわゆるメディア業界人との交流がはじまった。素晴らしい人もいれば、とんでもない人もいるというのは、小さな世界でも大きな世界でも同じだった。ただし、大きな世界には、とんでもなく素晴らしい人との出会いがあった。

 坂本正治さんは、怪物だった。マガジンハウスの木滑良久さんの一番過激なブレーンだった。「ポパイ」や「ブルータス」で、摩訶不思議な原稿を書いていた。坂本さんは、ある日、ポンプの編集部にアポなしで現れた。「この雑誌を作っているのは誰だ、この雑誌のコンセプトは僕と同じだ」と、いきなり話しかけられた。話していると、とにかく博識で喧嘩早いことが分かった。

 坂本さんは、「カメラ毎日」と「猫の手帖」と「ポンプ」で共同編集をやらないか、と相談を持ちかけてきた。3つの読者の異なる雑誌で共同で編集頁を作ろうということだ。僕はすぐに話しに乗った。3つの雑誌の頭文字をとって、「カポネ・トライアングル」というタイトルにした。共同でそれぞれの読者に「猫の写真」を募集しようといううものだ。カメラ毎日の読者はカメラ好きだから、写真作品として送ってくるだろうし、猫の手帖は猫好きの視点の写真を、ポンプはなんでも面白がり好きの読者だから、そういう視点で送ってきたものを、もちまわりで編集して、同じ頁が三誌に同時に掲載されるというものだった。とても実験的な試みだった。

 坂本さんには、いろんなことを教えてもらったが、2011年秋に坂本さんは亡くなった。

 坂本さんの家が柿の木坂にあって、当時、僕の家が駒沢だったので、近所付き合いがはじまった。坂本さんの家には彼が開発したイメージシンセサイザーの4号機だったかが置いてあり、荒木さんのセンチメンタルな旅や、ポパイのニューカレドニアの写真などを楽しませてもらった。イメージシンセサイザーは、12台のスライドプロジェクターがミキサーとつながっていて、音楽の波長に応じて、12台のスライドが画面に投影されるというしろもの。マガジンハウスの忘年会でやったものは、その年の報道写真を流行った音楽で演奏する。なぜか、哀しい映像になるんだ。これは見た人でないと分からないだろう。

 この機械の最初は、大阪万博の時に、小谷正一さんがプロデュースした住友館に出品した「時分割テレビ」だと思う。これは、同じく12台のテレビが、少しずつ時間を分割して上映する。例えば、1台目はドアが写っている。2台目は、ドアが少しあいたところが写っている。3台目は、そこから人が入ってくる所が写っている。12台を一度に見ると、ドアから人が入って、こちらに眼前にいるところまでが一瞬のうちに分かってしまうというものだ。この機械は、日本では理解されないだろうと、ニューヨークに渡り、ソーホーを棲みついて開発を進めた。二号機、三号機にはイタリア女の名前がついていたが、ニューヨークではそれが分かりやすいからだと言っていた。詳しくは「ニューヨーク武芸帳」という本に書いてあるはず。

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