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高橋まつりさんと電通

(1)高橋まつりさんの自死

 昨年のクリスマスに飛び降り自殺をした電通の新入社員、高橋まつりさんのTwitterログが哀しい。みずみずしい文体と感性。遺書文学としても一等であるが、これだけの才能のある人の、人生のその先が失われたことは、僕らにとっても大きな損失である。

 これは電通という会社だけを非難しても、本質的な解決にはならない。日本の企業が抱えている、企業だけではなく、さまざまな旧来型の組織が抱えている組織論と、みずみずしい感性との激突だからである。

 広告代理店は、戦後社会に急成長した。それは、戦後社会の高度成長とともに拡大してきた。生産の拡大とともに広告需要が拡大し、消費も拡大した。「大量生産・大量消費」の社会は、生産と消費の間に「大量広告」が存在する。つまり「大量生産・大量広告・大量消費・大量廃棄物」という構造が、僕らの「豊かな社会」の正体である。広告というのは、その時代の栄華を誇る産業としか付き合わないから(儲かってないと広告を出せないから)常に、時代の中心にいた。ベビーブームで、子ども向けの商品が勢いを持つと、お菓子会社や玩具会社が広告を出し、生活の電化が始まれば家電メーカー、バブルになれば不動産業界、デジタルの流れが始まればパソコンメーカーや通信業界と、産業側は時代の荒波にもまれて、衰退を繰り返すが、広告代理店だけは、時代の勝ち組とだけつきあってきた。それだけにライバルとの競争は過酷なものであった。

 社会の企業は急成長したり没落したりするので、昨日までは景気がよかった企業が突然、資金繰りに悩むことも多い。資金繰りに悩むと、一番最初に、支払いを止めるのが広告代金である。下請けや原材料の支払いを止めると仕事にならないが、広告の方はもともとあってもなくてもよいと考える成金企業も多かった。戦後の初期、まだ契約書などのルールも曖昧だった時代、よく支払いのトラブルで、企業と広告代理店がもめたという話を聞いたことがある。ある中堅広告代理店の社長は、創業期、支払いしないクライアントの営業所に自動車で突っ込んだという武勇伝があった。かなり荒っぽい時代からスタートしたのである。電通が都内の一等地にいくつか社員寮やグランドを持っているが、これも、広告料金の未払いの差し押さえ物件ということらしい。

 要するに広告業界というのは、表向きのクリエイティブでファッショナブルな風景とは違い、本質的に泥臭く、きったはったの任侠の世界なのだと思う。政財界への仕掛けや、メディアのコントロールも、綺麗事では済まされなかった構造があるのだろう。電通の鬼十訓や新人社員の富士山登山なども、そうした村社会の掟と作法であった。

 しかし、戦後社会は終わったのである。

 僕らは、これをちゃんと終わらせなければいけないのだ。

 戦後社会をきちんと終わらせるための戦いが始まっている。

 僕の友人の女性が電通関係の会社にいて、連日、徹夜徹夜の連続であった。30歳になった時に社長に呼びだされて、2つの道の選択を迫られた。

「幹部となって死ぬ気で働くか、辞めてもらうか、どちらか選べ」と。

 これまでも死ぬ気で働いてきたのに、このままでは殺されてしまうと、彼女は辞めた。

 つまり、そうした選択で「死ぬ気で働く」ことを選択した人だけが、残っている組織なのである。その人たちは、新人たちに、同じような選択を迫るだろう。高橋まつりさんも、日々の業務の中で、この選択を突きつけられていたのだと思う。彼女が、上司の選択を受け入れたならば、彼女自身が、次の世代の新人に同じことを要求する人間になっていくだろう。そのことの絶望感が、自らを消してしまったのではないかという思いが消えない。

 電通の人間は、人間的に大好きな人がたくさんいる。官僚的な人間もいるが、むしろアナーキーな人たちも少なくない。特に80年代頃の築地の時代は、話していて楽しい人が多かった。電通の伝説的なプランナーである故・小谷正一さんからは、お付き合いの中でとても大事なことを教えてもらった。

 しかし、戦後社会は終わったのである。

 むしろ最も戦後社会的な組織から、変らなければならない。

 それは、競争社会との戦いでもある。

 シンギュラリティ以後の広告代理店のあり方を、

 真剣に追求したい。

高橋まつりTwitter


(2)21世紀の戦い

 21世紀が見え始めた頃から、僕は繰り返して言ってる。「20世紀は組織と組織の戦いであり、21世紀初期の戦いは、組織と個人との戦いである」と。20世紀型のさまざまな組織が、内部腐敗を起こしている。これは、組織というものの役割が終わっていることを示している。企業は組織を強大に強固にして他の企業とのシェア争いに奔走し、国家は軍事と経済で植民地化を進めた。近代のはじまりにおいては、地球空間は無限にあり、組織の拡大も無限であり、右肩上がりの成長があると、なぜか信じられていた。しかし、地球環境には限界があり、市場も無限ではないと気がついた時、無限に成長することを義務づけられていた近代の組織論の足元が崩れたのである。

 その時代意識に敏感に反応した若い世代から、引きこもりが起こり、組織に対する生理的な反応が不登校を産み、ニートを発生させたのだと思う。かつてこういうことを書いたことがある。「ニートとは家の内側に向かっての家出である」と。家という組織の原型に対する、個人の戦いが始まったと思った。

 組織と個人の戦いは、表面的には何も見えてこない。組織と組織との戦いの時代は、それが個人であれ、ある量的なイデオロギーやカルチャーのシンボルとして組織と戦ったから、戦っている個人の姿が見えていたのだと思う。しかし、それは「量」への幻想がまだ残っていた時代の個人の戦いである。シンギュラリティという言葉が、単に人類の技術的な転換点であるとだけ見たら、間違える。近代は生産構造の革命であったが、そこで得られたものは「個人の時間=暇」である。人類が暇を得ることによって、文化も教育も恋愛すらも発生した。それまでの一般的な人類は、動物のように日々の生きることに汲々としていて、暇がなかったのである。その暇が飛躍的に増大するのがシンギュラリティである。そして、そこでは近代的自我が獲得した余暇という程度のものではなく、圧倒的自由の時間を手に入れるのである。僕は、この時間こそが、近代的自我を超える、純粋な個人を生み出すと思っている。

 量の時代から質の時代になるということは、組織的なるものから、純粋に個人なるものへの大きな社会変換が起きる。それが僕が長年追求してきた「参加型社会」の実像である。

 高橋まつりさんは、組織の時代の行動原理である競争社会を生き抜いてきた。受験戦争において勝ち抜き東大に入り、就活戦争に勝ち抜き電通に入った。だから「幹部になって死ぬ気で働くか、退社するか」という選択肢において、戦いの挫折である「退社」という選択を選べなかったのかもしれない。

 それは挫折なのではなく、組織と個人の戦いにおける、個人の側への参戦であるということなのに。この戦いも過度期においては長く辛い戦いになるだろうが、やがて組織の完全なる崩壊の暁には、組織に依存することもなく、競争する必然性もない、超個人へとつながる道なのだと思う。

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