断橋 1
断橋 1
深呼吸学部がはじまって、新しい受講生たちとの対話がはじまった。
これまで、最前線のことばかり集中していて、過去に何を考えていたのか、自分でもあまり気にかけなかった。しかし「参加型社会宣言」を書いて、コロナ情況の先を進むのは、2000年以後の社会の流れの延長線上を突き進むのではなく、一度、1970年代に立ち戻って、バブルの時代に向かわない「新80年代」を想定することだ、と思い至って、もういちど、受講生たちに1970年代の出来事と意識を語りはじめている。
80年代日本は、いわば「貨幣という阿片」にやられて、あらゆるものが狂ってしまった時代なのではないか。ものづくりや社会建設を社会全体として進めてきた、戦後社会の方法論をもういちど、見直したい。
「参加型社会宣言」の口上として以下を書いた。
「上からではなく下から。外側からではなく内側から。遠くからではなく近くから。全体からではなく個人から。制度からではなく思いから。アルゴリズムからではなくライブから。組織からではなくバンドから。権威からではなく親しみから。多数からではなく少数から」。
この言葉は、2020年に新しく思ったことではない。これこそ、自分が社会的人生を歩みはじめた、10代最後の年に、自分で「決めた」ことなのだ。
大学に入って、今の大学はおかしい、この大学のシステムで社会に出る学生は誤る、と思った。しかし、それは、今の大学をぶち壊すということであるとは思えなかった。そうではない、今の大学とは違う、新しい大学のイメージをつかみ、それを具体化することによってでしか本質的な解決はないと思った、それは、社会全体の近代・戦後システムに対しても同じだ。
私は、反体制にはならなかった。非体制であると言った。
最初に「決めた」のである。だからあとは、本質的な意味で考えるということはしてきていない。対応をどうするか選択したり、調整したりすることはあるけど、本質的な行動規範は、最初から決めてある。
私がはじめて出した書籍は、1981年の「企画書」(JICC出版局)だが、おそらく、そこから40年近く先に出した「参加型社会宣言」と、内容的には、大きな変化はないはずだ。社会環境や技術の進展があるから、表面的には変わってることもあるが、本質的には、同一である。それは、40年間、「考えぬいてきた」のではなく、、最初から決めていた方程式に対応してきただけだからだ。
20代、30代と、幸いにも、私の「決めたこと」を理解してくれて、見守ってくれた先輩たちに恵まれた。40代以降は、私の「決めたこと」を継承してくれる意思を表明してくれた若手が、間欠泉のように突然、現れたりした。
私は考えない。決めたことに対応していくだけだ。
●深呼吸する言葉
出会うのは偶然。別れるのは必然。
本物は売ってないからな。
金がないから出来ないというのは、金がなければ出来ない程度のことだろう。
幸福とは、すこしでも確実に成長しつづけること。不幸とは、成長を止めること。
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