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事務所の過去資料から、大昔の写植版下が出てきた。 これは、80年代にイラストバンクを作ろうと関係者にサンプルもらって印刷した時の写植版下。他の版下見ると、切り貼りで、文字詰めしてあったり本格的。 本田くんは、真崎・守のアシスタントで、70年代のロッキングオンで、僕の原稿とコラボしたりした。いつか、原作書くから一緒にマンガ作ろうと言っていたが、実現することなく、若くして亡くなってしまった。葬式会場は、最初から最後までビートルズだったな。真崎さんが仁王立ちしていた風景が今
Jeff Beck (1944-2023) au cinéma, période Yardbirds, avec Jimmy Page. "Blow Up" - Michelangelo Antonioni (1966) https://vimeo.com/manage/videos/788677255
2011-09-17 【橘川幸夫】東日本の復興と地域メディア 1.三陸新報訪問 8月の終わりに、南三陸の気仙沼に行ってきた。何人かの現地の人とお会いして、現場の感覚を知りたかったからである。マスコミやインターネットであふれている情報ではない、生の感覚を知るには、現場の人の声、表情、仕草などから読み取るしかない。 最初にお伺いしたのは、地域新聞の三陸新報社の朝倉社長である。父上から社業を引き受けた女性社長である。 ▼三陸新報社 冷蔵施設や加工工場が崩壊したため、
高校一年生で山岳部に入り、ゴールデンウィークに、いきなり八ヶ岳の合宿に行ったら、記録的な大雪で、死ぬかと思った。小淵沢から清里に行き、権現小屋あたりでテントをはったのだが、入った時は雪はなかったが、起きてみたら大雪。朝、ごはんを炊くのに沢の水で米をといでいたら、爪の間から血が出てきて焦った。今のように高機能の寝袋もなく、秋葉原のニッピンで買ってきた安いシュラフだったか、アメ横で買ってきた米軍放出の軍隊用寝袋だったかで震えてた。どこかの山に登ったが、名前は記憶ない。編笠山だっ
事務所の引っ越しで整理していると、いろいろ出てくる。これは、2001年にニューヨークの紀伊国屋書店で新刊のバブリシティでレクチャー&サイン会した時の新聞広告。橘川が1990年に日経新聞社で「一応族の反乱」を出した時の担当者である酒井弘樹くんが、NYで新しい出版社を立ち上げて頑張っている時に、酒井くんがコーディネートしてくれて実施。客は現地で活動している日本人ばかりなので、いつもの通り(笑)。 この本の装丁は、小泉吉宏くん。カエルの部分は、折返しになっているので、気が付かな
これは、1995年に佐賀で行われた「九州平成義塾」の講演会。佐賀新聞社と電通の共同企画。会場は、確か、佐賀のニューオータニ。昔から、繰り返して同じことを、どこに行っても言ってる(笑)。長谷川さんと一緒だったんだ。数日間の連続講義で、前日には養老孟司先生が出たので、聴講させてもらった。