見出し画像

時短、効率 タイムパフォーマンスを追い求めた先に何があるか

タイムパフォーマンスという言葉を最近知りました。
時間を有限のコストと捉え、最小限の時間使用で最大限のパフォーマンスを発揮しようということらしい。

学校の授業などの動画を倍速でチェックする、自分で料理するのではなく栄養価の高くておいしいものをデリバリーしてもらう、
事前に遊ぶ約束をするのではなく、位置情報公開アプリを通じて、たまたま近くにいる人と会って遊ぶなどなど…
数年前では考えられなかったことが、Z世代と呼ばれる若い世代を中心に当たり前に行われている。

産まれたころからインターネット、SNSによってつながっているのが当たり前、お互いの状態がわかって当たり前の世代
上の世代は、監視しあって苦しそう、と捉えがちだが、当事者たちはそれが当たり前なのでさほどそうは捉えていない。
むしろ、つながっていないことが不安なのだ。

つながっているのが当たり前ということは、自分の時間を作るのが難しいということにつながる。
限られた時間の中で最大限のパフォーマンスを求めるようになるのも頷ける。
コロナ渦でオンラインの普及が進み、更にタイムパフォーマンスの動きは加速してきている。

今までは学校に行って授業を受けるのが当たり前、1コマ90分の授業を受けるのが当たり前だったところから、
オンライン授業になり登校時間がなくなり、授業自体も後追いで、倍速でチェックする。
授業だけでなく、YouTubeなどの動画も倍速で内容をチェックしたりする。

1人暮らしの料理は割高になるし手間。少なく一品を作るのは大変で、一度作るとしばらく同じ料理が続いてしまう。
それよりも、専門の人が栄養価まで考えてくれ、1日単位で食べるものをカスタマイズできるデリバリーサービスを使ったほうが、
料理の時間の短縮でき、栄養価も考えられた食事を毎日楽しんで取り入れることができる。

マッチングアプリや位置情報サービスを使って身近にいる人とコンタクトを取り、一緒の時間を過ごすというのも当たり前。
事前に約束を取り付けることは、お互いの時間を縛ることにつながる。
それよりは、たまたま同じ時間に近場にいる人と同じ時間を過ごすほうが、お互い効率的に時間を使うことができる。

映画を観るときも事前にあらすじや内容をあらかじめわかってから観る。
人によってはダイジェストで済ませたり、結末だけ調べて映画自体は観ないという人もいる。

ゆとり世代の私としては、半分わかるところもある。
だが、行き過ぎなところもあるのではないかと思う。

時間を無駄にしたくない。後で後悔したくない。

なぜここまで、自分の時間を大事にするということが若い世代中心に広がっているのか。

行き過ぎた個人主義が背景にあるのではないかと思う。

家族、小さな集団単位で過ごすのが当たり前だった狩猟採取時代から、
王が中心となり国という概念が誕生し、更に大所帯となり、
産業革命以降、自然を加工して様々なもの商品を製造、販売、消費することで、個人が富を蓄積する個人主義が広がってきた。
そして、今現在、国には所属しているが、核家族化が進み、同じ家に住んでいても部屋は別々、食事も別々で過ごす。
集団に所属はしているけれど個人個人が別々で過ごすのが当たり前となってきている。

パソコンやテレビなど、各家族1つあれば十分だったものを、個人で所有したりも増えてきた。
これにより、経済の循環は起こせたが、その経済活動により自然破壊は進み、人間の心も分断してきた。
技術は発展し、生活は豊かになったが、人間の心がついてこれていない

車や飛行機などの移動手段の進化、携帯電話やスマートフォンの登場で、会いたい人にすぐ会える、
すぐコンタクトを取れる時代となった。
今までは移動範囲、知識の範囲が村の中だけだったところから、すべてが世界に開かれた。
これが、自由になったようで人間の心を不自由にしている
例えば、今までは少し頑張れば村で一番になれたところが、世界をみたら実は1番でもなんでもなかった。
自分がいかに、井の中の蛙なのかということを、簡単に知らされるということになってしまった。
どれだけ頑張っても上には上がいる、一番にはなれない。
それならば、あまり頑張らず小さいところにまとまろう、自分が満足できる範囲で満足しよう。
内に内に、小さくまとまろうと考えるのが当たり前の思考が、知らず知らずのうちに当たり前になっていく。
自分は小さな人間だから、せめてその小さな範囲は守ろうとして、今の集団無意識ができてきたのではないだろうか。
自分の範囲を侵されることをとにかく嫌う。お互いの範囲に踏み込むことをよしとしない。
だから、浅い付き合いしかできなくなる。
本当は、深く付き合いたい、心から笑いあえる、感動しあえる、共に歩んでいけるパートナーが欲しい。
本当の心の渇望はこれだと思う。

でもうまくいかないので、高望みはせず、小さくまとまろう、自分の範囲は守ろう、他人の範囲は侵すのはやめよう、となる。
深い付き合いもできない、必要ないからパートナーもいらない。
自分の時間が割かれるのは嫌だから子供もいらない。
そんな集団無意識が、Z世代にはあるのではないかと思う。

時短、効率を求めた先、行き過ぎた個人主義が行き着く先は、
1.気候変動による環境破壊の危機
2.SDGsを掲げるも進展が見えない。持続不可能な危機
3.AI活用による尊厳破壊の危機
4.貧富の格差による共同体破壊の危機
5.人間関係が築けないことによる少子高齢化の危機

これらがあげられる。
どれをとっても、人類存亡の危機だ。
今のベクトルのままの進化を続けていては、人類は滅亡する。

時代の変化が止められないのなら、進化に裏をつけてあげることが必要だ。
SNS、そしてWeb3で、つながっているけど個人が当たり前の時代に、
利点を生かしつつデメリットを相殺できる技術がある。

それが認識技術、nTechだ。
宇宙の限界、時代の限界、個人の限界、人間の限界を一転にまとめ、
パラダイムシフトを起こしていく技術で、今までの世界観を全く壊さずに行きたい時代を創っていける技術だ。

その技術を使ったそれぞれが、年に1度のお祭りを行う。
それがDignity2.0国際カンファレンスだ。
分野は違えども、描く未来は同じ、One World。

子供も大人もなんの不安なく笑いあえる世界を創るため、私も活動しています。

時短が必要な時代だからこそ、自分の思い通りにでき、かつ世界も平和にしていける術が必要です。
自分の宇宙は自分で責任を持つ。
それが当たり前にできる世の中を、創っていきたいです。

今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?