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空振り三振

すっかり寒くなりました。

私は小さい頃から秋から冬になる頃が大好き。
冷たい空気を吸ったときに全身がスーっとなるのがすごく好き。

現在48歳。たぶん、もう人生の半分くらいが終わっている。
単純に「年数」での寿命では。

ただ、歳を重ねるごとに、肉体的にもできない事も増えてくる。そうやって考えると自分があと何年、自分のしたいことをすることができるだろうか。とふと思う。

若い頃は、カラダも元気で、挑戦したいことがあれば、2日くらい徹夜でも頑張ることもできた。夢中になって何かに取り付かれると時間を忘れるくらい集中力が続いた。

40代後半からそれも難しくなってくる。
気持ちは20代の頃と変わらないのだけど、カラダがついてこなくて。無理ができなくなる。
だから、若い頃に比べると時間的には半分くらいしか動けていないように感じる。

でも、歳をとった分、ちょっと落ち着いて考えたり、人脈を頼ってみたり。
頭の使い方、時間の使い方は、若い頃より上手になったかもしれない。

とはいえ、成功率は、若い頃も今も一緒かもしれない。
圧倒的に失敗のほうが多い。ただ若い頃は失敗がダメージになることはなかったけど、歳をとると、ダメージを先に考えてしまうのかな。

最近の子は
挑戦しない。失敗するのを嫌がる。失敗を恥ずかしいと思う子が多い。何を言っても「はい」という子が多い。
と、よくよく聞く。
それは、最近の子に限ったことではなく、以前から「そういうタイプ」の人は一定数いたと思うけれど、SNSが発達して、「そういうタイプ」の声が大きく聞こえるようになっただけだと思う。

が、あえて、最近の子に多いのだとすると、なぜだろう?
私が思うのは(あくまで個人的な感想だけど)、最近は、失敗のダメージが大きいからじゃないだろうか。いや、大きく感じるからじゃないだろうか。

私も、若い頃、いっぱい失敗してきたけれど、それが拡散されることもなければ、デジタルタトゥーのように刻印されるわけでもない。
せいぜい、昔の仲間が集まったときの酒の肴になる程度。
それが今は、そうもいかない時代になっている。
色んな挑戦に、セットになってやってくるのが揚げ足取りだったりする。

そういう環境の変化を考えても、「最近の子」が悪いわけではない。
ただただ、残念な日本になったな。と日々思う。

ところが、最近、お仕事の関係で大学生と話をする機会が増えた。そうやって大学生と話をしていると、決して、捨てたもんじゃないなって思う。
一生懸命に、失敗を恐れずに、失敗しても何度も何度も挑戦している。その姿を見ていると、ただ応援したくなる。
学生という現在地で、経営者の先輩と一緒に、商売について考えたり、まちづくり、コミュニケーションについて考え、行動している。

それを見ていて、思ったこと。
「最近の子」だって、失敗を恐れることない環境を作ることができたら、夢中に「夢」を語り、挑戦することができること。そしてその「夢」は私たちが若かった頃と、何も違いはないこと。
そして、その想いがないところに、何も生まれないこと。
技術や知識は、火を大きく長くすることはできても、火をつけることができない。
火をつけるのは、想いだけ。

これは、今、私が挑戦している色んなことに通じる答えだと気が付いた。

同じ三振なら、見逃し三振ではなく、全力の空振り三振。
お金を払って、見逃し三振を見たい人はいないよね。そこに感動は生まれないよね。ましてや、ここに投げてくれたら打てたのに。なんて無いよね。

思い切ってバットを振っていける仲間を増やすこと。

また、一つずつ前に進もう。


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