【現代表記】 福沢諭吉 「西洋事情」 (英国 附録)

底本には小泉信三監修『福澤諭吉全集』第一巻(再版)所収の「西洋事情󠄁」を使用した。


西洋事情 初編 巻之三

福沢諭吉 纂集さんしゅう

英国

附録

 英国の海外にある所領ははなはだ広大なり。その大概をあぐれば、北亜米利加アメリカ北方の地(すなわちカナダ地方を指す)西印度インド(南北亜米利加のさかいにある地方をいう喜望峰きぼうほう墺太利亜オーストラリヤ及び東印度、これなり。世上せじょう一般の説に、英国は海外所領の地広きがゆえに、本国の富饒ふじょうを致し兵力強盛きょうせいなりとうもの多しといえども、其説あたらざるに似たり。亜米利加州を発見して人を移し、喜望峰をまわりて東印度と貿易するにいたりて、其利益を得るの洪大なるは独り英国のみにらず、欧羅巴ヨーロッパ諸国みな同様なり。海外の地を開拓して其人民次第に文明におもむき、みずから別政府を建つべきのいきおいに至れるものを、お其きゅうよりこれゆるして独立せしむると、いず其本国のめに利益となるべきいまだ其得失を定め難しと雖ども、おそらくは其独立を許すの方、利益あるべし。北亜米利加及び西印度に所領の地あれども、今日こんにちに至るまでこの領地より一銭を収納して英国の費用にきょうしたることなし。加之しかのみならず其土地を守護する為めに多く軍艦を送り陸兵を備え、其雑費は本国より出して領地の人民はかえって之を知ることなし。故に海外に所領の地あるとも、本国の利益とする所は、ただ之と往来して貿易するの一事のみ。しかれども海外の領地と貿易するは外国にいきて貿易するに異なることなし。およそ他人と貿易するにおいて、天然の理に従い双方の利益となるにあらざれば、其本国の為めすじと云うべからず。し天然の理にしたがいて双方の利をはかるときは、所領の地をして独立国とならしめば其利愈々いよいよ大なるべし。其実証を挙れば、亜米利加合衆国の独立してより以来、英人えいじん常に此国に往来して、双方の交際益々ますます繁盛し、貿易の利愈々大なり。また北亜米利加のカナダは英国有名の領地なれども、此領地に行て貿易するに、あるいは其土人どじんの好まざる所を犯すによりて、時々難事を生ずることあり。かつ此地より輸出するもの、一品にても他国よりも便利にしてあたいれんなるものなし。海外の領地としいて貿易するとも、もとより害ありて益なく、且独立を欲するものを圧伏あっぷくして属地となし置かんには、本国の入費甚だ大なり。方今英国にてカナダの地方を失わざる所以ゆえんは、唯兵力をもちて其土人を鎮静するに由てなり。此大兵を備うるの費用、1年150万ポントに下らず。然るに其地より得る所の利益は、費す所のたかを償うに足らず。且識者の説に、カナダは早晩そうばん、独立国と為る歟、又は亜米利加合衆国の図版ずはんに入るべしと云えり。

 又西印度の領地には多く砂糖をさんし、之を英国に輸入して其運上の高、甚大じんだいなりと云えるものあれども、カナダにも茶《たばこ》を産して、之を英国に輸入し運上をおさむることは、西印度の砂糖に異なることなし。且西印度に砂糖を産すと雖ども、其品物を輸送する者は英の商人なるが故に、英国政府は其国人より税を取るなり。加之西印度諸島の砂糖は、キュバ(西印度にある西班牙スペインの領地)ブラジル(南亜米利加中の独立国)より輸入するものに比すれば、其価かえりて高きが故に、此砂糖を用ゆるは本国の損亡そんもうと云うべし。

 右の次第に付き、英国の盛大なるは其領地の広き故と思うは大なる誤解なり。海外の領地に行て貿易するは、他の独立国と貿易するの便利なるにかず。且所領の地は世界中諸処しょしょに散在して、本国よりの距離甚だ遠きが故に、戦争のときは敵兵の襲撃を受け易く、之を守護するには多少の工夫をついやし軍用を失わざる可らず。反覆はんぷく熟考じゅっこうすれば、海外の所領は本国の勢を弱くするものというて可なり。英国の富強文明にして他にぬきんづる所以は、其地理の便利にして産物の多きと、人才の多くして政治の公正なるとに由てなり。すでに地理の弁を得、又政治の公正なるあらば、海外の領地を失うと雖どもごううれうるに足らざるなり。

 東印度の地方は、他の領地と異なり、属国の如きものにて、時々英国へ貢税ぐぜいを納ることあり。然れども此貢税も世人の思う如く莫大の高には非らず。之を年々平均すれば些細ささいのものなり。

 マルタ島(地中海に在り)ジブラルタル(地中海きょうの北岸)の如きは、軍艦商船を寄せ、戦争のときは兵粮ひょうろうたくわえ武器を置き、此地より兵を出して敵国にむかう可きが故に、緊要の領地と云うべし。

 海外の地を領して本国の利益となる所は、過多の人民を其地に移し、人々をして天稟てんぴんの才力を伸べ産業を営むを得せしむるにあるなり。毎年英国より海外の地へ移住するもの甚だ夥多かたし。ことに亜米利加合衆国はと英国の領地にて、言語おなじく、道程近く、気候平和に、且其国にうつりて土地を得ること容易なるが故に、英人のここに居を移すもの最も多し。1825年より1849年に至るまで25年間の間に、英人の海外に移住したる者の数、の如し。


北亜米利加に在る英国所領の地へ移りたるもの
 80万8740人

亜米利加合衆国へ移りたるもの
 126万247人

墺太利亜へ移りたるもの
 18万5386人

右のほか諸方に在る英領へ移りたるもの
 3万811人

総計英国より出たるもの228万5184人なり


西洋事情 巻之三 終

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?