【現代表記】　福沢諭吉　「英国　議事院談」　（評議の法）

底本には小泉信三監修『福澤諭吉全集』第二巻（再版）所収の「英國議事院談」を使用した。

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　国法に公私両用の別あり。公法とは国中一般の大法にて、闔国こうこくの人、共に守るべきものを云いう。私法とは其その場所に限り其人に限りて定さだめたる法なり。且かつ公法の事に就ついては税なく、私法の事に就ては税あり。故ゆえに蒸気車鉄道、通船、掘割ほりわり等の如ごときは、其初め其場所に限り其開基の人に付つきて法を定めたるものにて、所謂いわゆる私法なれども、之これを施行するに当あたりて遂ついに国中一般の公法と為なることあり。

　貴族の身分に付き私法を議するには上院にて其その評議を始め、街道かいどう、掘割ほりわり、鉄道、橋、地面等の事に付き私の利を許して運上を取らしむるの評議は下院にて始むるを例とす。然しかれども近来は私法の評議漸ようやく増加するに従したがいて右の規則も自おのずから弛緩しかんし、新たに鉄道を造る等の評議を年々上院にて始むることあり。其他都すべて私法の評議は、只ただ時宜じぎに従い、或あるいは上院にて之これを始め、或は下院にて之を始め、其区別あらざれども、従来の風習にて自から上下両院の職事しきじに同じからざる所あり。譬たとえば家産の法と唱え、平人の富を致し其権威を重大にすることに付つきての評議は、上院にて之を司つかさどり、又また上院は裁判の権あるを以もちて、夫婦離縁の法の如ごときは上院にて其評議を始む。之に反して、国内の地方に従い、議事院の法を以て其場所の特典を許す等の事に付ては、下院にて其評議を始む。又上院下院共に評議を始むるの権なき一例あり。即すなわち大赦たいしゃの法令の如き、是これなり。大赦の令は只王室の特権を以て之を首唱し、其評議を始むるものなり。

　上院に於おいても下院に於ても、院の免許を得て議案を出すときは、三次復読して之これを決するを法とす。但ただし大赦たいしゃ等の如ごとき恩典の評議は、第一次にて之を決す。一次議案を読み終おわり、其その可否を衆評するは第二次に在り。初次二次の読み上げのときに当あたり、異論紛々ふんぷんとして行われざるものは、当年の会議中に再び其評議を起おこす可べからずとす。二次の読み上げに当り異論なきときは、其議案を全院の衆議に付与し、或あるいは特選の議員に渡して再案に供す。（全院の衆議とは乃すなわち亦また議員の評論なれども、此この時は議長、席を去さりて衆議員の列に就き、議論すること他の議員に異ならず。且かつ議長の代かわりに衆議の頭取とうどり一名を立て、其論の情状稍々やや私に係かかわるが故ゆえに、之を院「ハウス」と唱えずして会「コムミッチー」と称す。特選の議員とは、院の議員中より数名の人を選えらびて特に其時の議案を評論せしむるなり。但し大事件の議案は全院の衆議を設けて之を評し、小事は特選の人に任して之を評論するなり。）但し此時に於て下院にては衆議の人員４０名出席すれば議案を評論すべきなれども、上院にては其議員皆みな列坐れつざするに非あらざれば不可とす。此衆議に於ては院議（議長席に就くときを云いうなり）に於おけるが如く可否の発言一次に限らず、議員各々おのおの其議案を熟見し、毎章毎句丁寧に評論を尽つくしてこれを増補改正し、終れば衆議の頭取（衆議の頭取とは議長に非あらず。所謂いわゆるコムミッチーの頭取にてチェーヤマンなる者なり。）より之を院に披露す。（此時には議長席に就けり）院の議論にて之に同意し、或は不同意なれば尚なお再案して删正さんせいを加え章句を足し、終りて其文を読み上げ、之を第三次の読み上げと称す。既すでに第三次の読み上げを終おえれば、更に又また其議案を変改すべからず。議長乃ち其案文を手に持ち、声を発して可否如何いかんと問う。衆人之これを可と答こたえれば、則すなわち一院の決議と為なして、其議案に表題を記し、之を齎もたらすに一議員を以もちてして上院に送る。上院にては其議長、席を下くだりて自みずから之を受取うけとり、先まず即日一読するを例とす。夫それより次第に順序を経て評論を為し、異論あれば其旨むねを書記して改正を加え、遂ついに又之を下院に返す。右は下院にて評議を始むるの例なり。上院にて評議を始むるときも其法相あい同じきなり。

　此この局より起おこしたる議案へ、彼かの局にて改正を加え、此改正の旨むねに同意するときは、仮令たとい其その改正は他より出いでしものとはいえども、之これに拘かかわらず其改正の旨を採用して、此評議は全く此局にて定さだめたるものと為なす。若もし彼局より改正を加えて此局にて之これ同意せざるときは、此局より彼局に請こい、双方より議論家を出だして可否を論ず。斯かの如ごとくするも先方にて尚なお此局の論に服せざれば、又また重ねて議論の席を設け、遂ついに双方の議論相あい決せざるときは、所謂いわゆる自由論の会を設けて其議論を尽つくさしむ。即すなわち自由論とは、双方取扱とりあつかいの議員、互たがいに書面を以もちて之を論ずることなく、人々の所存を席上に述べて之れが評論を決することなり。右の如く自由論の席を設くること再三再四さいさんさいしにして両局の議論遂に決する能あたわざれば、則すなわち其議論を止めて施行することなし。但ただし国用出納すいとうの事に付き下院より評議を起すときは、上院より之に同意し或あるいは之に同意せざることありと雖いえども、只ただ口頭を以て之を論ずるのみにして、其不同意の旨を書記して論破することを許さず。是これ乃すなわち下院の有する特権なり。

　一議案を起おこして上下両院の内に異論なく同意一致するときは、之これを上院に納めて王室の免許を待つなり。この免許を告諭こくゆするには、国王自みずから出御しゅつぎょする乎か、或あるいは王室の全権を命じ、国璽こくじを押し、以もちて勅許ちょっきょの旨むねを表するなり。其その後始めて一国の定法じょうほうと為なり、之を刊行して国内に布告す。但ただし国用出納すいとうの評議は、下院にて同意一致するときは、之を上院に納むることなく、乃すなわち下院の議長よりして直ただちに之を国王に捧呈ほうていし、勅許を受うくるを例とす。