【現代表記】福沢諭吉「増訂華英通語」(訳者凡例)

底本には小泉信三監修『福澤諭吉全集』第一巻(再版)所収の「增訂華英通󠄁語」を使用した。


増訂

華英通語

凡例

 庚申の春、余某君に従いて航海して桑方西斯哥港さんふらんしすこに至り、たまたま清人子卿の著す所の華英通語一篇を在港の清商に得たり。仲夏帰<?>の後、乃ち上梓して以てこれを同志に公にせんと欲す焉。蓋し子卿の挙は、素より外客の言語支離して、応接に通じ難きに由りてこれを著すに在るのみ頃年このごろ我が皇国も亦然り。港を開いてより已来このかた、蕃舶の輻輳すること、日に一日を加う。有司商賈の事として貿易にあずかる者、みな通訳の急なる有り。而して刊行の諸書、能く其の楷梯を為す者或はすくなし矣。今や適ま此篇を得たり。乃ち宜しくこれを訳して以て国家の急務に答うべし。而して余の英語を学ぶこと、日猶お浅し矣。素より其の任に非ざるなり。子卿の如きは則ち然らず。すでに命世の才を抱いて英人の塾に親炙し、千瑳万切、是れ訳を之れ務む。是れを以て其の書を著すや、音と義と、雅正にして着実、毫も間然すべきし矣。但其の訳する所は、みな其の国字を用う。故に学ぶ者支那音をそらんずる者に非ざるりは、則ち縦令たとい其の義を解するも其の音を識る能わるなり。況んや賈竪牙懀こじゅがかいの輩をや。此れ乃ち余の浅陋に甘んじて之を訳する所以なり。世の君子、し其の和訳の好否を問わず、直ちに其の原訳に就いて以て其の音義を探索せば、則ち其の子卿る者、殆んど希ならん矣。

 語中に和訳なき者は、或は本邦に全く名物めいぶつ無き者有り。或は適ま類似の者有りと雖ども穏当未だ詳かならざるを以て、故に妄りに訳を下さず。

 義訳は主として英語の意を存す。故にま原訳と齟齬する者有り。然かも漢訳も亦未だ必ずしも誤謬無きを保す可からざるなり。看官漫りに和訳の杜譔ずさんを罪する勿れ。

 義訳の語は、鄙俚を厭わず、勉めて俗語を用い、且つ国字を以て之を書する者は、則ち啻に傭人の丁字を知らざる者の為めにするのみに非ずして、また外客の我が土音を学ぶ者の一助たらしめんと欲するのみ

 音訳国字の内、小さき字の有る者は、急口低音、口内にて之を読むを要す。

 ウワに濁点を附する者は、ブバとウワとの間の音なり。

 ヌの字は急音にて上の字と合せて之を読むを要す。 やンの音に近くしておのずから別有り。

万延元年庚申仲秋

福沢範子囲誌


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