「義と利の折衷」

お堅いタイトルを付けましたが、これは自分自身の経営においてもっとも重要なものとして掛けているテーマです。

文字通り利は利益の事です。では義とは?

義と言う漢字の由来はあまり知られていませんがこの字は

美…元は「羊が大きい=美しい」という事から美は出来ているそうです

我…そのまま「われ」の意味

でこの二つの文字が重なって出来たのが

「義」

という文字だそうです。

「我」を「美」しく、もぉこれだけでカッコいいですよね。       中2心がくすぶられます。これを踏まえて「義」とはどういう事かと言いますと

「自分自身を美しく保ちなさい」

という事です。「義」と言うと「義理」や「仁義」と言った言葉が思いつくと思いますが、どちらも人として理想の在り方や行動が求められる言葉だと思います。義理堅いと言えば、人が亡くなった時、遠い所に居ても故人を想い葬儀に駆け付けたり、小さなことでもお世話になった人に御礼の粗品を送ったり、こういった事を一般的には義理堅いと言いますよね。まさしくこれなんです。義理を例えに説明するならば、義とは

「人として美しくある為に他者の為にすること、もしくはその想い」

みたいな説明が妥当だと思うのです。だから本音を言えば、人間に共通して存在する怠惰な感情で言えば「やりたくない」事をするのが「義」だと私は思うのです。葬儀にしても本当であれば行きたくない、自分の用事を優先させたい、これは誰しもが持つであろう当然の思いです。誰だって自分の事を優先したいはずです。身内であれば話は別でしょうが疎遠の方の葬儀ともなれば、億劫になることもあると思います。ですが、これを自分自身の怠惰な感情や想いに負けず、人としてあるべき姿、人としてすべき事をするのが「義」という言葉の意味です。葬儀を例にしたので最後までこれを例にしますと

「故人を想い(疎遠であっても)葬儀に出席する人としない人、どちらが義理堅いか?」

という事です。義理に対して特別な感情が無い人は好き好きにすればいいと思いますが、私はこの義という言葉が意味する「人としての美しさ」を非常に重要視しています。

特に経営においてこの「義」という言葉が意味するところが非常に蔑ろにされます。

「儲かれば何をしても良い」

「利益こそ最優先されるべきだ」

「従業員はこき使ってナンボ」

口には出さなくとも現代の企業においてはこのような考え方が根底にあるブラック企業が五万とあります。まったくもって人として美しくないですよね。だからブラック企業や法令を守らない企業のやり方を人は

「汚い」

と言うのだと思います。この「汚い」という言葉の裏側にある感情こそが「義」という「人としての美しさ」に対する人としての根本的な憧れや欲求だと思うんです。だからこそ、これとは逆に企業が利益を鑑みずに従業員の為の福利厚生を行ったり、社会の為に貢献し得る行動をすると非常に賞賛されるのだと思うのです。

最近の例で言えば、パタゴニアが選挙の日に一斉休業した件であったり、企業として最優先すべき利益をど返しで社会にとって優先されるべきことの為に協力的な姿勢を見せるとやはり評価されますよね。

これらの評価はまさに人が求めているあるべき姿がそこにあるからこそだと思うのです。特に現代の企業の利益に対する執着心が故の汚さは例を挙げれば枚挙に暇がありません。儲かればなんでもありです。食品偽装、詐欺商品の販売、効果が無いものを効果があるように謳い販売する、などなんでもありです。昨年問題となったスルガ銀行もそうですが、平気で数字をいじります。

確かに、企業として利益は最優先されるべきですが、そのすぐ後ろにはやはり「義」という理念があるべきだと私は思うのです。

「このやり方は汚くはないか?」

「人を偽っていないか?」

「誤解に乗じて儲けてはいないか?」

これらの自問は倫理的な視点でもありますが、しかし倫理的であるためにもまず自分がしている事が「人として正しいこと」なのか、それとも「人として汚い事なのか」を考える動機としての「義」つまり「人としてあるべき姿か」という思想は重要だと思うのです。

私は事業においてこれこそがもっとも重要な観点であると思っています。事業において利益を出す、これは経営においては当たり前の事です。だからこそ、そうではなくこの「人としてあるべき姿」を重要視しているのです。利益構造の分母にこの「義」が無いような事業はいずれ失敗するか、誰からも愛されない寂しい事業になります。真の意味で社会を善くし、人に必要とされるサービスや機能は常にこの「義」という精神に基づいて設計されるべきであると考えるからこそ、私は安直に起業しようとは思わないのです。

はっきり言えばこの考え方はある種、「キレイごと」です。

ですが、そのキレイごとすらもしっかりと設計すれば実現できます。私が思うに、無計画に起業して、追い込まれて、その結果、汚いやり方に手を染める方が大半だと思います。行き過ぎて詐欺や偽装、粉飾で逮捕される方々が後を絶ちませんがそれもはっきり言えば計画性の無さ、そして資金がショートすると分かった時点で人として素直に破産ないし民事再生法を申請しなかった人たちの末路だと思います。

こうした人たちの二の舞を踏まないためにも私は徹底して事業計画を立て、リスクを最小限にする傍ら、人として間違った方法で利益を上げなければならない方向に流されない為にも、今から計画をしているのです。

そしてもし確実な計画できなければ、起業そのものを取りやめます。義を踏み台にしてまで起業したいとは思いません。「義」と言うのは自分にとってはそれほど重要な想いだからです。

全ては「利」と「義」のバランスを常に保ち続ける為です。儲けるだけならいつでも出来ます。口車、手八丁、洗脳は私が得意とするところでもあります、が使いません。なぜならば自分自身が人として美しく在りたいからです。そういう想いを反映させた企業を創りたいのです。

利のまたその中には人の為の「利他」と自分の為の「利私」があります。これを話始めると終わらないので、今回はここまでしておきます。

次回は「利他」と「利私」についてお話したいと思います。


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