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私の愛するクズお兄ちゃん

親戚に20歳くらい年上のいとこおじがいた。
私はおじをお兄ちゃんと呼び、親戚で集まれば1日中膝の上に乗って、歩く時は足にしがみついて移動した。まだ小学校にもあがらないうちはず〜〜っと「お兄ちゃんと結婚する!」と豪語していた。

しかし改めて思うまでもなく、お兄ちゃんは絵に描いたようなクズだった。

180を超すマッチョに、パンチパーマとサングラス。会うたびにぬいぐるみやお菓子をくれた。言わなかっただけでパチンコの景品だったのかも知れない。

そう思うのは、お兄ちゃんが40歳くらいの時。無職で行方不明になった際、祖父に土下座して借りた100万でパチンコを打っていたからだ。
お兄ちゃんの従兄弟に見つかって即連行。トラックドライバーに転職した。まぁ、すぐやめるんですが。

その後は北朝鮮近海へ行く船に乗っただの、マグロ漁船だの謎に満ちていたが、どれも長続きしなかったのは確かだと思う。

最後に会ったのは私が社会人になってしばらくしてから。お兄ちゃんの母親の葬式の時だった。

あんなにマッチョだったのに、ほんのりポヨポヨしたおじちゃんになっていて顔が少し黄色かった。この時肝臓の病気かもなと思ったが何も言わなかった。気にされたくないのが伝わってきていたから。「来てくれてありがとうな。」という一言が最後の会話になった。

それから親戚一同の予想通り、香典を持ち逃げして行方をくらます。見つかったのは他県のホテルの一室。肝硬変で死亡していた。

警察から一報を受け取った母さんは「何考えてるのかわかんない!迷惑ばっかりかけて!」と激怒していた。

わかんないものなのかな・・・アテもなくここではないどこかへ彷徨う経験のない人ってそんなに多いんだろうか。私の気持ちも一生わからないんだろうな、なんて思ったり。

お兄ちゃんの父親はその10年くらい前に自殺してしまったので身寄りは我々以外誰もいなかった。お兄ちゃんの母親と一緒に、父親の遺骨がある永代供養墓へ・・・と思ったのも束の間。供養のお金は払ったのに、寺が骨を返却してきた。父親側の親族が文句を言ってきたらしい。生ぐさ坊主め。

なので2人は私の家のお墓に入っている。お兄ちゃんがお金を借りパクしたおじいちゃんが入っているので、さぞ居心地が悪かろう。

寒い季節になるとそんなお兄ちゃんが死んだ頃を思い出す。私が直接迷惑を掛けられたわけでも、お金を損したわけでもないってのも大きいかもしれないけど、お兄ちゃんのことは変わらず好きなままだ。もちろん結婚はしたくない。

大好きというか、私があの村で男性に生まれていたらきっとこうなっていただろうなと思う。
なあなあで大事なことを気づかせてもらえないまま、社会との折り合いもつけれず人生の淀みを止められなかっただろう。あと、女友達が居なくて人とのつながりも保てなかったと思うと沈んだ気持ちになる。

そんな、にっちもさっちもいかない男性は、いま女である私の心にも世間にもたくさんいる。

並行世界の自分の力になれないかと思うけど、他人にはどうしてあげることもできないということもよく分かる。この感情は成功しても女を抱いても、消えるもんじゃないから。

取り戻すには時間と、小さな体験の積み重ねと長い振り返りが必要で、周りの人間は会えた時に笑顔で迎えるくらいことしかできない。というか、それが一番必要なんだろう。

エレファントカシマシを聞きながら街をぶらつくと、お兄ちゃんの思い出が浮かんでくる。お兄ちゃんは知らなかったかも知れないけど、私もお兄ちゃんと同じクズなんだよ。

お兄ちゃんの男友達だったら、なにか違ったのかなと思う11月だった。

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