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第3回 自治のなかにある余白と、ちいさな創意工夫

新しい土地で暮らすには、そこに生活するうえでのさまざまなルールを身につけていく必要が生じる。今回、団地に越してきた私がまず最初に確認したのはゴミ捨ての方法だった。ゴミには分類のルールがあり、それに応じて自治体指定の袋を使わなければならないことが一般的だ。そしてさらには、そのエリアや住宅に固有の、捨て方のルールがある。

URの管理事務所に部屋の鍵を受け取りにいった際に、ゴミの捨て方の件についても尋ねてみたのだが、「詳細は自治会で聞いてください」という話だった。この団地は自治会の活動が活発だという話を以前から耳にしていた。一般的に団地の自治会といっても、その組織運営のしかたや規模、加入率など、場所によって大きく異なるようだ。

まずは私も自治会に加入すべく、団地内にある自治会事務局へと足を運んだ。事務局には常時2人の方がいるようで、机の上には様々な書類が並び、時折電話も鳴って、忙しそうに作業をされている。「自治会に入会したいのですが…」と言うと、てきぱきと対応してくださる。月会費の350円を支払い、自治会案内のパンフレットなどを受けとり、内容を説明していただく。受けとったパンフレットにゴミ捨てのルールが書かれており、このエリアの可燃ゴミの収集日は火曜・金曜などといった基本情報もそこにあった。だが、そこで私が聞いたのは意外な言葉だった。「ゴミ出しのルールは〈階段ごと〉にあるので、そちらで聞いてください」。「階段ごと?」と私は疑問に思った。

私が暮らす棟には5箇所に階段がある。1階から5階まで、各フロア2戸ずつがその階段に面しており、ひとつの階段には10戸あるということになる。その各々の階段の下に、ゴミ捨て場がある。階段の側にはゴミを覆う青いネットが置かれていることが多く、ゴミ出しの日にそれを片づける「ゴミ当番」が存在することを、私は下の階に住む方からうかがうことができた。「当番を回しているとはいえ、もし何かあって自分ができないときがあっても誰か他の方がやってくれるから大丈夫よ」と言われたので、そのゆるやかな相互扶助のあり方に正直少しほっとした。

決められた日の、決められた時間に、決められた場所にゴミを出す。生活するうえではごくあたりまえの営みだが、夜遅くまで仕事をしていたり、出張があったりと不規則になりがちな自分のライフスタイルでは、ゴミ捨てのスケジュールを意識しておかないとなかなか難しい。気づけば当日の朝8時になり、市指定の袋に入れたゴミを持って慌てて階段を駆けおりると、すでにいくつかのゴミが置かれており、その上から青いネットが覆いかぶされ、周りには重りとして水の入ったペットボトルが並んでいた。ふと他の階段のゴミ捨て場の様子も気になり見てみると、ゴミの置かれ方やネットの形状が異なっていることに気づく。ごく些細な違いといえばそうなのだが、同じ団地内の、同じ棟でのゴミ出しのありかたが、必ずしも一様ではないことに興味を持った。


そこでまた別の日、ネットなどが片づけられている状態のときに5箇所のゴミ捨て場をよくよく観察してみると、ネットの有無(階段の内側に置くか外側に置くか)、ネットそれ自体の種類(編み目の粗いもの・細かいもの・その2枚を重ねたもの)、ネットの置き方、ペットボトルの置き方、など、よく見ればそのすべてに個性があった。ネットを折りたたむのではなく巻いていたり、畳んだネットが散らからないようにその上にペットボトルを乗せていたり。それは些細な違いでしかないが、「各々の階段の住民たち」の合意形成のしかたや、日々の営みから編みだされた工夫が、こうしたモノの選択や配置のしかたから読み取れるような気がした。

階段を共有することで生まれる小さなコミュニティ。いっけんすると、ゴミ出しのルールとは、自治体や自治会といった上位組織によって均一に定められているように見える。しかし実際のところ、住民たちによるそのルールの運用には余白があり、人びとは独自のやり方で現場に対処している。ゴミ捨て場とそこに配置されるモノを見つめてみれば、そこにはちいさな創意工夫が垣間見える。「自治」と呼ばれる営みの本質は、こうしたちいさな実践の積み重ねのなかから現れてくるのかもしれない。

そして必ずしも直接人びとを観察することだけが、その生活を理解する手立てではないのだと改めて思う。このように、日常のなかにあるモノや場所にも、人間の行為や思考の痕跡を読み取ることができるのだから。
(比嘉夏子)


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