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Adobe化する社会

印刷物を制作する仕事をしています。

とはいえ、印刷物を入口にしてクライアント企業の製品→サービス→理念とどんどん深いところに突っ込んで仕事をしていくと、必然依頼される案件は印刷物にとどまらず、近年はウェブサイト制作の案件を抱えることも多いです。

先日、これまでのやり方よりももっと効率的で高いクオリティが保てる制作方法はないものかと思案して、リリースされてから全く気に掛けていなかったAdobeXDをインストールして試しに使ってみました。

使ってみたといっても、僕は普段ウェブに関してはせいぜい手書きのワイヤーを書くところまでなので、自分が書いたワイヤーがそのまま後の工程に使えるデータになればいいなくらいの気持ちで触れてみたんですが。
で、これがちょっと触っただけでヤバイなぁと。基本的な操作は最初のチュートリアルで掴めてしまうくらいシンプルだし、初っ端から動きのプレビューも出来ちゃうし。

それから、それとはまた別に、立体物の制作の案件でプレゼン用に3Dパースを作ろうと、これまた全く気に掛けていなかったDimentionというアプリケーションも使ってみて、これも驚愕。ちょー簡単に3Dパースが作れてしまいました。

XDとDimentionに共通しているのは、旧来のAdobeのアプリケーションと比較して圧倒的にツール類が少なく抑えられていて、ドラッグ&ドロップによる操作が中心になっていること。なんというか非常にカジュアルです。

そこでハタと気付く。
Adobeが提供しているのは所謂デザイン業界の内側の人のためのツールではないんだな。もっと広く誰でも使えるサービスを志向してるんだな、と。

近年のAdobeの動向をつぶさに洞察してきた諸兄からすれば何を今更な話かもしれませんが、Adobeをクリーエーターを支援するソフトを提供する企業とだけ考えていた自分の認識の甘さに、膝から崩れ落ちる気分です。

今更そんなことに気付いたボンクラが俄か知識であれこれ言ってもしょーがないので、自分用のメモとしても、Adobeの戦略について核心のところを端的に書かれているpiece of cake CXOの深津貴之さんの記事を貼り付けておきます。

例えばPhotoshopの修復ツールの機能強化とか、最近では「被写体を選択」とか、こういうのはアップグレードのたびに話題にもなってきたし、Adobeの技術の進化のとても分かりやすい側面です。
何よりこういう類の進化は、現場の単純作業の工数を減らし効率化するものとしてユーザーから喜んで迎え入れられているように思います。
しかも、優れた機能とはいえ細かく見るとまだ粗があるので、「AdobeのAIくんもまだまだ人間様がお手伝いしてあげないと一人前の仕事は出来ないよねぇ」と、レタッチャーがその尊厳を保てるくらいに技術としてまだ完璧ではないところがまた良い塩梅です。

ところが、上の記事にあるように、マーケティングの裏付けも踏まえたデザインの最適解を、しかも複数案、Adobe Senseiが全部出してくれちゃうというレベルまでその機能が到達すれば、これはもう、ある種の「不気味の谷」ですね。既存のグラフィックデザイナーの多くのアイデンティティはきっと打ちのめされます。

でもこれは、Adobeのソフトを使って商売をしてきた側の視点。
では、その仕事を発注してきたクライアント側の立場で考えた時にはどうか。

純粋なアートを除いて販促物のデザインに限定していえば、自社の商品を売るというシンプルな目標のために、質もまちまちで効果も見えにくいデザインに掛けてきた投資を、定額で品質の安定したツールに降り向けられるメリットは大きいでしょう。
Adobeにしても、多くの企業がAdobeCCを自社に導入することで質の高いデザインをひろく社会へ提供できれば、ビジネスとしてはもちろん、社会的意義は大きいはずです。

ローカルで中小企業相手にビジネスをしていると、明確にインハウスのデザイナーというふうに雇用されている訳ではなく、「あの人はイラレとかフォトショを使えるから」という理由でデザイン担当になっている方の作ったものが、デザインの品質や効果が精査されずに世に出てしまっているという例を割と頻繁に目にします。
そんな企業にデザインの重要性を(実際に不出来なパンフとかをデザインした方に気を遣いつつ)伝えて変えていくことが僕の仕事のある側面だったりしますが、そんな仕事も数年後にはAdobe Senseiが一人で担うことになるかもしれません。ただ、少なくともその機能がリリースされてから数年の間は、Adobe Senseiが数秒の計算で出してきたデザイン案に対し、まだまだ人間様が細かい調整をしてやらないと使いものにならないという状況は残るでしょうが。

こうした未来像に対して、それではデザインの多様性がなくなるとか、AIに人間のクリエイティビティを超えることは出来ないとかという意見も挙がるのかもしれませんが、特定の分野に絞って云えば、今だってほとんど確立されたメソッド通りにこなしていて、実はあんまり脳ミソの深いところを使っていないということも案外多い気がします(大いに自戒を込めて)。

Adobe Senseiによって世のデザインのレベルが底上げされ、ルーティンワークから解放されたがデザイナーたちがもう一次元高いレイヤーで脳ミソを使って価値を生み出すことになるとしたら、これはポジティブな変化です。

数年後の近い未来、それが到来した時、底上げされた世界でAIには達成できない仕事を担えるように、今から脳ミソの使いかたを変えていかにゃならんなぁとつくづく思います。

どうもありがとうございます。 また寄ってってください。 ごきげんよう。