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「ベルサイユのばら」をフェミニズム視線で読む

なぜか「ベルサイユのばら(以下、ベルばら)」を最近読んでます。
なぜか、でもないですね。
Amazonで期間限定無料だったからですw

https://.ly/498Fy6H

もちろん全巻無料ではないので、途中まで読んだら、さっそく図書館に在庫があるか確認。
漫画とはいえ、超大名作&フランス革命などの歴史教養要素が濃いので、ぜったい図書館に置いてあるはずさ!と思ったら、本当に置いてあった。
私の血税、グッド還元!

読んでみて…
改めて思いました。

名作と言われるものに
ハズレなしですね…。

当たり前だよ!何言ってんだ!
ですけどね。
こりゃみんな夢中になるわ!
と思いました。
展開がめっちゃ劇的なんだもん。

フランス革命という史実を軸に、マリーアントワネット、フェルゼン(ハンス・アクセル・フォン・フェルセン)、オスカル&アンドレのフィクション人物チーム(言い方)の悲喜交々あふれる大河ドラマ。

最終的にはみんな破滅するんだよって分かってても、1話ごとに「おおお〜〜おおお〜〜」と唸りながら読み進める面白さ。
※オスカル&アンドレのフィクションチームは破滅っていうか、ほぼ殉職ですね。
まじ大変だったね、あんたたち…。
とか勝手に目頭を熱くしてましたけども。

なんでオスカルは「男装の麗人」なのか

これってフェミニズムなんじゃ?と思ったのがここでした。
オスカルは「男装の麗人」つまり、生物学的には女性だけど、社会的性別(ジェンダー)でいうと男性(扱い)。

武門の家に生まれ、男児を待ち望んでいた父親に「男」として育てられ、男性としての教育を受けたオスカル。
成人してからは王太子妃付きの近衛士官=武人になる。それを周囲(社会)も公然の事実としていて物語を成立させてんですね。
単純に、1972年にこれを描くって無茶苦茶斬新…すげえぜ、池田先生…。

しかも、途中定期的に「女性とわかっててもオスカルが好き!」な女性が現れては「オスカル様が男だったら」って、マジ号泣するんですよ。ちなみに、その人たちはビアンじゃない。

そこで「オスカルの男っぷり最高!」となるのと同時に、女性性がぐっと薄くなるわけ。読んでる側としてはこれを刷り込まされるんですね。

最初は、この男女問わず引きつけてしまう、圧倒的美の力を背負ってるってなかなか大変だよなあと勝手に同情したりしてたけど、なんかそれだけじゃなくて。つーか、そこじゃねーなと。

要は、これってオスカルが男性だったとしても話は成立するのに「なんで”男装の麗人”って設定にしたんだろう、池田先生はオスカルに何を託したんだろう」とふっと思ってしまったんですよ。

オスカルの苦悩

オスカルも当然悩むわけですよ。ストーリーの途中「あなたも同じ女性として、異性を愛する喜びを知らないのか?知りたくはないのか?」なんてアントワネットさんに聞かれちゃって。
オスカルにも好きな人(フェルゼンやアンドレ)はいるから「そういうこともありましょう。私だって女だ」ってなるんだけどね。

でも物語の流れと共に、一人の人生として、オスカルが「私のやるべきこと」を考えた時に、それを実行するって、当時の女性が置かれていた社会的立場では絶対不可能なことなんですよね。

「社会を変えてみせる」
「戦場でみんなと共に戦う」

政治も戦争も男たちが運営していて、女性が入る隙はない。
逆に当時の女性の立ち位置の極ってどんなだ?と考えると、その象徴みたいなのがアントワネットだなと。

14歳で政略結婚のためにフランスへ嫁ぎ、ルイ16世の王妃になる。王との子供を産みながらも、日々の虚無感を埋めるために贅沢はやめられず、他に好きな人(フェルゼン)ができて、隠れて必死に逢瀬を重ねたり。

こうして書くと刹那的で俗物的で、すっげー儚く生きてんな、この人…と思ったりもしたけど、でも社会で女性は「政治の道具」=ものとして扱われてんですよね。最高位の「王妃」であっても。自分の人生をどう生きるかって決定意志を自分じゃ持てないんですよ。

なんかそれを思うと「ああ……」ってため息が出るし、池田先生はそこも含めて「男装の麗人」を描いたのかなあと。

お互いに思い合いつつ、身分格差のために結婚が叶わないアンドレに「私は一生結婚しない」と言い(それはアンドレへの永遠の誓いであるとともに、男性の所有物にならないという意味もあるなと思いました)、混乱極まりないパリへ騎兵して平民側として戦うことを選ぶのも、最終的に女性自身が自分の生きる道を選んでるわけだよなーって。

普通の女性なら成し得ないことを、池田先生はオスカルが男装+圧倒的な美ってキャラにすることに可能にしてしまった。
あり得ないけど、そういう女性がいてもいいじゃない、男性支配の社会にこういう形なら女性だって切り込める!ってエンパワメントされる。
漫画の連載終了後に宝塚で上演されて、一大ブームに。
ってあるけど、宝塚自体が「男装の麗人」団体だからな…
そりゃそうなる(合点)。

でも、なんていうのかな、個人的には「男性」を装って「女性が戦う」物語として読んでいて、途中いろんな感情が右往左往しましたね。フェミニズムという観点でみたら、改めていろんな発見があると思うんですよ。
ってつらつら書いてたら、3巻の後書き(文庫本:集英社刊行)にしっかりほぼほぼ同じことが書かれてました!
誰でもわかることですね。すいやせん!ははは。

何はともあれ、名作は面白い

あと、ページごとの絵の濃さ!
梶原一騎ばりの、大袈裟フルスロットル!と思えるような表現なんですけど、アクは強めな方がいい。むしろここで写実的な表現入れたってしらけるだけだわな、と思えるほど。

なんか読んでて、この感じどこかで、、、あ、三国志だw とは思ったけども、何が違うかって、全員の目のキラッキラwと、豪華なドレスも丁寧に描いてあって、こういうところに女子の夢があるんだよなーと、ありし日の自分を思い出したりねw

1ページを縦軸で使ってるとことかすげーなーと思うのね。作家性の一つだとは思うんですが、多分今の漫画ってこういうことしない。表現というか演出の仕方にも、しっかり時代の変化がありますよね。
あと次ページのシーンの一部をコマ外に描いてて、すっと場面転換へと流れていくとこなど、演出の方法が舞台っぽいです。
ほんと名作は掘り甲斐があるね。
ということで、また〜!

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