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経営幻想曲 解説その3)


経営だから成功のみちを行く




⑸ 負の見えざる手・魔の手


2024/3/19現在の速報では、春闘の賃上げ率が、去年の3.8%を大幅に上回る5.28%に達した。記録的な高水準である、と連合は、33年ぶりの明るい状況と判断。日銀も、賃金と物価の好循環が実現する環境が整ったとのことで、17年ぶりの利上げとなるマイナス金利政策を解除する旨を決定。
 
しかし、「失われた30年」に遺したいくつかのマイナス要因を見逃してはならない。人口減少生産離れの傾向は、今後もじりじりと産業界のダイナミズムを削いでいく。あるいは、本書の懸念する勝ち組/負け組づくりのパラダイム現象が解決できたわけではない。いわゆる、負の見えざる手魔の手は悪さをしつづける。
 
その負の手、魔の手は、産業界が当然と思いこんでしまった戦略思考のパラダイムに潜む。それは、負け組の増殖を助けるメカニズム、実体経済ブレーキ役、あるいはブラックホール効果(抜け出せない落とし穴)というべき「個別最適化の手法」である。
負の手、魔の手が透明人間の姿で居座っているかぎり、「全体最適化」への解決策は見出せない。すなわち、全体の労働生産性(労働の効果と効率)は上がらない。
 
 90年代初頭のバブル経済崩壊以降、それまで生産性向上や省エネで利幅を稼ごうとしてきた地味な企業活動を横目に、しれっと割り込んでは主知主義のこころに宿った。
企業たちはそれが支配する〝戦略の語感〟を採用し、敵に負けじと暴走を仕掛けていった。そして爆発的に、戦略論こそが我が道、企業の常道――とする原理主義を、経営企画室に、組織に、そして企業社会に刷りこんできた。
産業の論理に、内需領域で敵を設定し合うことなど、常軌を逸した行動というほかない。
 
 そのブームの起こりは90年代半ばと振り返るが、以来、企業社会の走性は負の見えざる手、魔の手に取りこまれたままなのである。一刻も早い厄払いを果たすべきであり、健全なリスタートに入るべきなのである。

 

⑹ 人件費対売上倍数


 マクロ行動をとおすなら、原理原則(産業の論理)に素直でありたい。
 天下の企業社会、知性いっぱいの企業社会であるとはいえ、現下の情勢で優先すべきは、ブームの知識・情報ではなく、当面する問題の事理をよく読み解くことである。
 
好利益のために一人当たりの付加価値を向上するのは分かる。ならば、好賃金をキープするみちも必要であった。が、いわんや労働分配率の利益圧迫を恐れ、もっぱら人員・人件費の削減を頼みにした。負の見えざる手、魔の手に操られた悲劇の象徴である。
企業たちの選んだそのパラダイムこそが、付加価値の足を引っ張ってきたのであるが、なかにはそのイシュー(異臭)に気づきながら、いったん乗り掛かった舟で、惰性を止められなかった。
 
本来なら、公知の指標「人件費対売上倍数(≠売上高対人件費率。好賃金水準に見合う売上高)」の考え方が取り入れられてよいのである。
そして、その要件として、(競合とは無縁の)独自性・独立性の高い事業をめざすべきであった。が、企業内教育等でその健全な実践論を植え付けることは、およそなかったといえよう。

 

⑺ マクロ行動の普遍的構図


本書は、企業社会と生活社会の豊かな均衡の所産を〝アートウェア(artware)〟とよぶ。「好売上と好賃金」を創出するすなわち好循環の状態を芸術品と見立てる。
 
いわば豊かな生態系が維持され、従業員や協力業者たちが「ムリなくムダなくスマートに働ける」ことと相なるわけである。実体経済回復の大きな象徴のトリクルダウンというのは、まさにそれがあって生まれるのである。
 
そこで、マクロ行動を成立させる二つの普遍的構図に論点を転じる。
まずは惑星系構図
それぞれの企業は、互いに独自、独立のみちに徹する。すなわち、公転軌道自転軸をもち、他と干渉することなく独立独行のアートを営む。

つぎに生態系構図
それには、生態系の真理を理解しなくてはならない。
かれら(生態系)は他の生き物と敵対関係にあるわけではない。ひたすら生命循環に徹した摂理のみを「いのちの糧」として生きているのである。かれらの哲学は、シンプルかつ高次。いわゆる均衡のとれたシステムを形成し、互いが天命(自立性)を授かり、驚くべきマクロ行動の連鎖で生きている。果たして、ホモサピエンスは、そのことを理解したうえで今日まで生きてきたのだろうか。

 

⑻ アルトリーブンの確立を


二つの普遍的構図を合成し、事業に自立の二軸を装備する。それが、基軸(公転軌道)/機軸(自転軸)。以下、これを括るばあいは「事業のきじく」と表記する。
 
基軸はアルトリーブン(造語Art-Leben(独)「種の生き方」)によって確立する。機軸は基軸を所与とし、そこ(制約された合理性)における自由によってバリエーションを展開する。
 
 注:以降、特記なきばあいは種を「しゅ」と読む。
また、アルト(アールト)は、種類、方法、本性・性質、生物の種。英語のアート(art)と無縁ではあるが、二者を〝天性〟でくくれば、その関連
がなきにしもあらず。また、リーブン(レーベン)は、英語のlive/lifeに対応する語とみなす。あえてドイツ語としたのは、音楽や英語圏に親い外国語で、「art」と同じスペルにちなんでのこと。
 
種は尊い存在である。それには大事な本質がある。自然の生命は、種は、種と糧(種によって糧の概念は緻密に異なる)の体系によって成り立つ。
すなわちアルトリーブンによれば、当該事業は、種としての一定のパイを他とべつにして(奪い合うことなど起こり得ない)持続可能にする。
 
アルトリーブンゆえ、秀逸ゆえ、消費者が自然に長蛇の列を生む現象を、だれもが街中で知り得ている。つまり、およそ本物のアートは、ニーズではなく意思表示が先にあってのものである。ただしそのアートに、他社が長蛇で参入すべきでないのが、アルトリーブン・生態系の構図である。

 

⑼ 他社でなく消費者を見よ


同じものを追えば、互いの効果を打ち消す
ライオンは鹿と戦っているわけでも、鹿がライオンと戦っているわけでもない——ことが、よく見れば分かる。
 
それは生命の授受/摂取であり、生存競争、弱肉強食、天敵などを語る戦略論でそれを解釈・解説されるのは、かれらの本質ではない。
文字や言語を用いないかれらの、あくまでもかれらの掟とマクロ行動の連鎖があるにすぎない。そこにあるのは、みごとな授受/摂取のメカニズムである。
人間がそれを迂闊に勝ち負けなどと表現していては、それで企業自身の使命を誤らせる。企業社会の連鎖は、生活社会との売買行為によってのみ付加価値が生成されるのである。
 
人も自然の生き物も、食は「頂く」である。いのちは尊く厳として犯し得ない。企業が頂くのは、消費(対価で生きるデマンド)であって、他社ではない(他社に本質はない)。
互いに自らの「種と糧」を弁えた企業社会が、生活社会との関係を正しく確立されんことを。
 
解説はここまでです。読んでいただいて、ありがとうございます。


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