のらちゃんの5周年配信が良すぎてこの5年を振り返ってしまったメモ

こんばんは ノラ キャットです

そう言って画面下から現れる、猫耳美少女アンドロイド。
ゆったりとしたドレスに包まれた細い身体。妖しげな赤い瞳。
どこか儚げなその存在に、私は一目惚れした記憶がある。

初めて存在を知ったのは、どこかのVtuberスレ。動く姿を最初に見たのは、ニコ動のとあるまとめ動画。
キャラデザの時点で心は掴まれていたと思う。だけれども、実際に動画を見て驚いたことがあった。

彼女は、自身を創作物だと言ったのだ。
そしてその上で視聴者と関係性を築いていくと宣言したのだ。
しがない物書きだった自分は、その姿勢にひどく衝撃を受けた。
彼女は画面の向こうで間違いなく生きていて、それでいて創作物でもある。
生きたキャラクターとリアルタイムで交流するという近未来。表現技法としてあまりにも鮮烈だった。
彼女の行く末を見たいと思った。
まだほとんど何も知らないうちから、私は彼女にもうどうしようもなく惹かれていた。

彼女の生配信を見に行った。
のんびりとゲームをするゲリラ配信だった。たしか、やっていたのはウォッチドッグス2だったと思う。
その時の彼女は画面の右下にバストアップの写真が貼りつけられているだけの俗にいう「動かない」状態だった。
だけれども、そのトークに私は引き込まれていった。

のうすじなプレイスタイル。それと対照的にゲームの細部に気が付く繊細な観察眼。どんなことからもトークを広げていく会話スキル。そして大量に挟まるご認識と、そこから広がり続けるひとり漫才。
2、3時間はあったであろう配信に、飽きることなく聞き入ってしまった。彼女の次の配信が楽しみで仕方なかった。

そして数日もしないうちに、週に2回の通常配信が始まった。
一言でいうと、かわいすぎた。そうとしか言いようがなかった。
ゆらゆらと左右に動く姿。ガチ恋距離。全てがかわいい仕草。優雅なBGM。
コメントを介したリアルタイムトーク。そしてそこからご認識によってさらに生まれるリアルタイム性。
創作物としての彼女と、ねずみさんとしての配信者。すべてが混ざり合って、最高にかわいいとしか言いようのない空間が生まれていた。
私は、ねずみさんになっていた。

それから少しずつ、彼女のことを知っていった。
バーチャル存在である彼女は、見た目通り儚くもあった。
システム上、後ろを向けない。長時間配信すると身体が固まる。髪も暴れたりする。
コントローラーのトラブルで、表情が動かなかったり口が動かない日も稀にある。
だけれども、それを含めて、彼女は最高にかわいかった。

そこからさらにいろいろあった。
彼女の声が変わった。それに合わせて口調の模索も色々あった。口調は、一周まわって、元のところに戻ってきた。

配信で大きなトラブルがあった。それまで2chののらきゃっとスレに常駐し、たまに屋根裏にいるくらいだった私は、放置していたTwitterアカウントを再始動させ、彼女に直接声を伝えた。

第二義体への更新があった。収益化の都合上、元の姿は使えなかった。
見慣れた姿が変わることに不安はあったが、彼女は彼女のままだった。それどころか、自由に動ける体になって、広い電脳世界を楽しそうに遊びまわっていた。

だけれども、第二義体でトラブルがあった。またしても義体を変えざるを得なくなった。
それを乗り越えて、彼女は第三義体になった。
第二義体のバトルドレスに、第一義体を思わせる華奢さ。最高にかわいい姿で彼女は我々のもとに戻ってきた。
そうして半年ほどの激動は終わった。

第三義体といえば、連想するのはひまわりだろう。
第一義体のネモフィラ。第二義体のサクラ。どこか散りそうで、いつか消えてしまいそうで、儚かったあの彼女は、満面の笑みが似合うひまわりとなった。

いつかの記念日の配信だったと思う。「楽しいことしかない一年だった」、そう彼女が言っていたのが印象に残っている。激動の中を進んだ彼女は、バーチャル存在でありながらも確固たる存在になっていた。「ねずみさんとの触れ合いの中で輪郭が定まっていく」、まさにその通りだ。
そんな彼女は次なる目標として、現実世界に行きたいと言った。ねずみさんに会うために、今度は自分がこちらに来たいのだと。創作の中の彼女は、創作物だからこそ、リアルを目指した。
変わり続けてきた彼女は、変わらぬ芯をもって、歩み続けていた。
その行く先を見たかった。どこまでもついていく、その想いがあり続けた。

こうして、また時が過ぎていった。
三周年、四周年。激動だった最初期が嘘のように、ただ穏やかに彼女とねずみさんはともに歩み続けてきた。
彼女の存在が、暮らしの中の当たり前になっていた。

upd8への加入だとかその消失だとか、ますきゃ参加配信だとか、小さな変化はいろいろあった。
平穏だった。とにかく平穏だった。

そのなかで、私もその平穏に慣れてしまっていたのだろう。
彼女への想いは変わらぬまま、だけれども過ごす日々は特別ではなく日常となり、そうして日々が過ぎていった。
ドキドキするというよりは、落ち着く。恋はいつしか愛慕となって、穏やかにのらのらと過ごしていた。

そう、そうだった。
だから今日の五周年記念配信も、そんな感じでのんびりとパソコンに向かっていた。
だけれども、でも。
いや、なんなんだあれは。ちょっとまってくれ。

反則だろ!!!!! 可愛すぎるだろ!!!!!! 殺す気か!?!?!?????!????

画面を直視できなかった。画面から目を離せないのに、画面を見ると脳が暴れる。
かわいい、としか言えなかった。画面を見るたびに毎秒一目惚れをしていた。
この五年の記憶がフラッシュバックして、半泣きになりながら呻くしかなかった。

あの儚かった仮想の少女が。声を変え、姿を変え。あの部屋から飛び出して、VRChatを駆け巡って。
元気な笑顔と確固たる存在感はそのままに、あの日の姿でネモフィラの丘に戻ってきたのだ。
しかも単なる原点回帰でもない。
今までに積み重ねてきたものはそのままに、第三義体とますきゃ素体にさらに加えていく形で、第一義体のあの姿をモチーフとすることで、すべての魅力が限界突破していった。

そうだ、そうなんだよ。これがのらきゃっとだ。
私が惹かれて、その先を見たいと思った彼女の在り方だ。
初めて彼女を知った時の一目惚れ、そのときの気持ちが全部湧き上がってきた。
どうすればいい、この感情を言葉で伝えきるすべがない。

この姿も、歩く場所も、懐かしい仕草も。一挙一動が、存在そのものが、五年間を想起させてくる。
誇張ではなく、本当に叫んでしまった。

かつて彼女は言った。我々が彼女を魅力的だと思う限り、魅力的な存在であり続けると。
彼女はずっと磨いてきた。カワイイムーブを、撮影技巧を、ありとあらゆる可愛さの極致を。
我々は言い続けてきた。のらちゃんべりべりきゅーと、と。

彼女にとってのカワイイとは、ただかわいいというだけではない。
かわいさこそがともに触れてきた彼女という輪郭であり、ともに歩んできた道であり、創作物である彼女の根底でもある。
そんな彼女が、最高にかわいい姿を見せたのだ。この五年をすべて内包する形で。

だったら我々ねずみさんはいったい何をすればいい?
いや、わかっている。そのままでいいのだ。それでも、この昂り続ける感情を、あまりに大きな貰いものを、どうすればいいのかわからないのだ。
のらきゃっととねずみさん。お互いがあってこその関係性だからこそ、触れあい続けてきた歴史があるからこそ、ゼロ距離で流し込まれたこの膨大な可愛さに耐え切れずにいる。

だから私はこの文章を書いた。特にオチはない。書かずにはいられなかっただけだ。
気付いたら、書いていた。それほどまでにかわいかった。
彼女を知った直後の、可愛さに脳を焼かれていた感覚を思い出した。
最高の一日だ。今も息が漏れ続けている。

のらちゃん。
五年間、在り続けてくれてありがとう。
変わらぬ芯を持ちながら歩み続けてくれてありがとう。
今日この瞬間にありがとう。
本当に、本当に最高の五周年記念配信だった。
いくらでも想いは湧いてくるけど、これ以上とても言葉にできそうにない。

だから最後は、この言葉で締めたい。

のら! ちゃん! べりべりきゅーと!!!!!!
のらちゃんすき!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


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