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じゅんちゃんとまほうつかいのおばあさん


            1

 ふんちゃんが おやしき町まで きたとき、犬のほえる声と、おとこの子の さけぶ声 がきこえてきました。
「バカ、バカ、ほえるなよ。あっちにいけよ」
 なきそうな声をだして、大きな門をでたりはいったりしているのは、3年生のたつるくんです。
 たつるくんの 五段へんそくの自転車には、新聞が やまもり つまれています。
「たつるくん、あたし 行ってあげようか」と、ふんちゃんは いいました。 そのとたん、たつるくんの顔に パッとでんきがつきました。いいえ、ふんちゃんの目に そうみえるほど、たつるくんは、うれしそうな 顔をしたのです。
「わるいな。そうしてくれる? ほかには なんにも こわいことはないけど、犬だけはにがて なんだ」
 たつるくんは、あたまをかきました。
 大きな門のよこに、木でできた 小さ
出入り口があります。手をかけると ギーと、音がして、ふんちゃんの目に みどりのしばふが とびこんできました。
 いっけんぱを するのに、ちょうど いいかんじに しきいしが はめこまれていました。でも、今日は、「いっけんぱ」をするわけにはいきません。だって、「いっけんぱ、いっけんぱ、いっけんいっけんいっけんぱ」の「ぱ」のところに、ながながと ねそべっている犬が いました。
 あたまのほうを とおると、ガブリとやられそうです。シッポのほうをとおると、うしろあしで けられそうです。
 おまけに その犬は、はいってきた ふんちゃんを上目づかいにチラリとみあげました。
「しつれいしちゃうわ」
 ふんちゃんの顔をみて、いちどだって こんな いやな 顔をした犬は いません。 
「たつるくん、あの犬は なんていうなまえなの?」
 ふんちゃんは、ふりかえりながら たつるくんにききました。
「じゅんちゃんって,いうんだ。てんで にあわない なまえ だろ?」
 じゅんちゃん……と、ふんちゃんは、小さくつぶやきました。そして、にっこり わらいました。じゅんちゃんと、なまえをつけられた犬がわるいことを するはずがありません。
 ふんちゃんは、まっすぐ じゅんちゃんにむかって 歩いていきました。
 じゅんちゃんは、いちどチラリと ふんちゃんをみただけで みうごきひとつ しません。ふんちゃんは、じゅんちゃんの 大きな からだをヒョイととびこえると、「しんぶーん!」と、さけんで、しっかりと にぎりしめていた 新聞を 新聞うけにつっこみました。
 じゅんちゃんは、うるさそうに コゲちゃいろの耳をパタンとさせただけでした。
「じゅんちゃん、あんた こんな げんかんのまんなかにいたら だめよ。おきゃくさんが はいってこられないでしょ。おうちは、どこにあるの?」
と、聞いたときです。
「じゅんちゃんのおうちは、ここですよ。それより、あなたの おうちは どこなの?」
 じゅんちゃんのかわりに こたえた人がいました。
 げんかんわきの 小さなまどが、スルリとあいて、そこからおばあさんが 顔を のぞかせたのです。まどのしたの シュロの木がブルンとひとつ ゆれました。
(まほうつかいのおばあさんみたい)
 ふんちゃんのせなかが ゾクン……としました。
「あの、あたし、たつるくんのかわりに 新聞を……、犬が、じゅんちゃんがいるから、新聞 くばれないから、あたし……」
 しどろもどろの ふんちゃんに
「もういいよ。そんなこと 聞いてはいないよ。じゅんちゃんに ほえられるのは、あの 新聞はいたつのチビさんがわるいんだよ。いつも、まるで うちのじゅんちゃんを ころしそうな いきおいで はしってくるんだからね。あれで おびえない 犬が いたら、おめにかかりたいもんだね。あの子に あんたから いっておやり。あしたからは 門のはしらのうえにでも、新聞をのっけとくように……って。ほんとに うちのじゅんちゃんを こわがるものが いるなんて おわらいぐさだよ」
 おばあさんは、鼻の先でわらいました。
「ところで、あんた、まだ わたしのしつもんに こたえていないよ」
「あんたは、どこの子だって、聞いてるんだよ。よその家に はいってくるときには、ちゃんと ことわってから はいってくるんだってこと、ならわなかったのかね」
 銀ぶちメガネのおくで、ほそい目がチカリと光りました。
「あっ、ごめんなさい。あたし、新聞のことで、むちゅうだったものだから……。あたし、ふんちゃん、二年生です……」
 かのなくような 小さな声 で、つぶやいた ふんちゃんは、こんなこわい人に つかまるなんて 思わなかったと、くびをすくめました。
「ふんちゃんのおうちは、どこなのかい……?」
 かみをくり色に そめた おばあさんは、こんどは、ほんのすこし やさしく たずねました。
「みどり団地、2ごうとう、6のA 岡本です」
 ふんちゃんは、まよい子に なった 子どものように カチカチになって こたえました。
 ふんちゃんが おばあさんから かいほうされたとき、もう 気のはやい 太陽は西の空に かたむきはじめていました。 
 たつるくんのすがたは、もう どこにもありません。どこからか、きんもくせいの あまいかおりがただよってきて、秋が はじまろうとしていました。 

2 

「じゅんちゃんはね、うまれてから いちども 門より外にでたことが ないんだってさ」
 ふんちゃんが、たつるくんに聞いたのは、まほうつかいのおばあさんに あった つぎの日のことでした。
「うっそだあー」
 ふんちゃんの目がまあるくなりました。じゅんちゃんは、子犬ではありません、おとなの犬です。
 それも、ながいあいだ 犬をやってきたらしく、いつも ねそべってばかりいる おとしよりの犬です。そんな犬が、いちども外に でたことがないなんて、しんじられません。
 でも、その話は、ほんとう でした。
 たつるくんは、おやしきにでいりする うえきやの おじさんに 聞きました。たつるくんの おじいちゃんのしょうぎなかまの トクさんは、
「じゃ、散歩は、させないの?」
と、たずねた たつるくんに
「散歩をさせるのが いやだから、はなしがいに してるんだよ」と、ピシリとしょうぎをうちながら、いいました。
「それにしても、犬なら、外をはしりまわってみようっていうきに、なりそうなもんじゃないかい」
 たつるくんの おじいさんは、くびをふりながら いいました。
「なみの 犬ならね」
 トクさんは、いいました。
 なみの犬じゃないのか……と、たつるくんは、トクさんのひにやけた顔を みつめました。
「あの 犬ほど、おくびょうな犬は、みたことがないよ。なにしろ ネコにおいかれられても、にげるんだからね」
 たつるくんは そんな おくびょうな犬においかけられたことを 思いだして、顔が あかくなりました。
 トクさんの話では、あの おばあさんは、女のうでいっぽんで、こやま カンパニーを きずいた女社長だったそうです。
 トクさんは、しんけいつう さえなければ、いまでも会社にいって、にらみをきかす ことができるのに……と、おばあさんのグチをきかされたそうです。
 たつるくんから、その話を 聞いた ふんちゃんは、じゅんちゃんが かわいそうになりました。
 いくら おやしきのなかが ひろいからって、じゅんちゃんが あそべるところは、かぎられています。それで、じゅんちゃんは、ねそべってばかりいるのかもしれません。
(じゅんちゃんを 外につれだしてあげよう)
 ふんちゃんは、思いました。
 コンリートの道も、土の道も、じゅんちゃんは、しりません。おちばのまう この道を おもいきり はしったら、どんなに きもちがいいかということも……。
 その日から、ふんちゃんの じゅんちゃんを 外に つれだす さくせんがはじまりました。
 おばあさんに みつからないように 給食の のこりや 家から もってきた たべものをあげて、ともだちになろうというわけです。
 はじめは 声をかけても しらん顔をしていた じゅんちゃんが、たべものに つられたとはいえ、いまでは、ふんちゃんのひと声で とんでくるようになりました。
「じゅんちゃんと、あたしは ともだちよね、じゅんちゃん」 
 ふんちゃんは、てのひらに ハムをのせて ささやきました。じゅんちゃんは、ワンとげんきよく へんじをしました。いつもは、てのひらにのせたまま 食べさせていた ふんちゃんは、きょうは、ハムをそっとかきねのあなから、はなれたところに おきました。
「じゅんちゃん、おたべ」
 だめかな……と、ふんちゃんが 思ったとき、
「ワン!」と、ひと声  ほえた じゅんちゃんのあたまは かきねの外に でていました。
「あっ」と、ふんちゃんが さけんだときには、もうハムは、じゅんちゃんのおなかにきえ、じゅんちゃんのすがたも かきねのなかに きえていました。


 その日から、二日目。ふんちゃんのもってきたハンバーグをたべた じゅんちゃんは、「じゅんちゃん、おいで……」
と、ささやいた ふんちゃんのところまで でてきました。
 たったの1メートル。ふんちゃんの手を ペロペロとなめると、すみませんねとでもいいたげに、おっかなびっくり ひっかえして いきました。
 でも、それでも ふんちゃんは、しあわせでした。
 つめたい風のふきはじめた 道の むこうから、たつるくんの 自転車が やってきました。もう ゆうかんを くばるじかん なのです。
「ふんちゃん、さっきの犬、じゅんちゃんに にてたな」
 キキーッと、ブレーキをかけた たつるくんは、自転車のうえから  ふんちゃんを みおろしました。
「じゅんちゃんよ」
 ふんちゃんは、わらいをこらえて いいました。
「じゅんちゃーん?」
 すっとんきょうな 声 を あげた たつるくんに、ふんちゃんは、「さよなら」と、さけんで いってしまいました。

3、

「ぼくね、星はかせになろうと、思ってるんだ」
 ある日、たつるくんが いいました。
「星 はかせ?」
 ふんちゃんは、くびをかしげました。
 今日のふんちゃんは、たつるくんと、おんなじようなデニムのシャツとジーパンをきています。しらない人が みると、きょうだい のようです。
 こうえんのベンチにすわった ふたりの あしもとには、ながながと じゅんちゃんが ねそべっています。
 1メートルで ひっかえしていった じゅんちゃんが、このところ ふんちゃんの いくところには どこまでも ついてくるようになりました。
 でも、一分おきに でんしんばしら に おしっこのにおいをつけ、ふんちゃんのすがたが ちょっとでも みえなくなると すぐに おうちに かえってしまいます。
 今日は、たつるくんも いっしょです。
 やっと このごろ じゅんちゃんは、たつるくんの顔をみても ほえなくなりました。たつるくんが、じゅんちゃんを こわがらないから、じゅんちゃんも たつるくんに おびえなくなったのです。
「ぼく、星のことなら なんでも わかる人に なるつもりなんだ。ぼくが 新聞はいたつ してるのも、その じゅんびのためなんだよ」
 たつるくんは、とくいそうにいいました。 新聞はいたつと 星と、どういう かんけいが あるんだろうと、ふしぎに 思いながら ふんちゃんは、たつるくんを みました。じゅんちゃんも、ふりかえりました。 ひとりと いっぴきに みつめられて たつるくんは、うれしそうです。
「ぼく、新聞はいたつを した おかねで、てんたいぼうえんきょうを かうつもり なんだ。あれが あると すごいんだよ。 とおくの お星さまが 目のまえに あるように みえるんだ。ぼく、それで しんせいを みつけるつもりなんだ」
「シンセイ?」
「うん、あたらしい星さ。まだ だれにも みつけられてない星なんだ。それを みつけたら じぶんの なまえをつけられるんだよ。ことしの四月にね、あまのがわ の こぎつねざ のちかくで みつかった しんせいなんてね、すごいんだよ。
 ふつうは、いっかげつぐらいで みえなくなってしまうんだって。でも、その星は、だんだん あかるくなって、もう 半年いじょうに なるのに、まだ かんそく できるんだって。ぼくも、いつか そんな すごいのを みつけるつもりさ……。じぶんのなまえの星が うちゅうの中にあるなんて、ちょうさいこうだろ?」
「すごい……」
 ふんちゃんは、たつるくんを みなおしました。
「『たつる』って、つけるつもりさ。でも、てんたいぼうえんきょうが、ぼくのものになるのには、まだまだ 時間がかかるけどね」
 たつるくんは小さく ためいきを つきました。でも、思いなおしたようにいいました。
「だけど、ぼく、それまでに 星のことを いっぱい勉強するつもりさ。だって、しんせいかどうか、わからなかったら こまるだろ」
 ふんちゃんの目に、星はかせになったときの たつるくんのすがたが うかびました。
「あれが、ぼくの 星だよ」
 むねをはれるのです。なんて すごいんでしょう。
「ねえ、たつるくん、あたしにも そのぼうえんきょう みせてくれる?」
「えっ」
 たつるくんは、じぶんの てんたいぼうえんきょうを ほかの人に みせるなんて 、考えたこともありませんでした。でも、ふんちゃんになら じぶんのたいせつな たからものを みせてあげても いいようなきがしてきました。
「いいよ」
「ほんと?ラッキー!」
 ふんちゃんは、とびあがって よろこびました。
《ふんちゃん星》
 ふんちゃんの目には、はやくも ふんちゃんの名ふだのついた お星さまがうかんでいるようでした。

 あさごはんのまっさいちゅうの ことです。 チヤイムが 二ど三どと、たてつづけになりました。
 それだけでは ありません。ドアをたたくおとまで します。
 まゆをしかめた ママが、せきをたちました。
「どなたでしょうか?」
 パパは会社、ふんちゃんは、学校と朝のいそがしいときに、一分だって じゃまをされたら スケジュールはメチャクチャなのです。
「どなたも こなたも ありませんよ。さっさと このドアをあけなさい!わたしは、ライオンでもなければ、おしうりでも ないんだからね!」
 その声を聞いて、ふんちゃんの目がまるくなりました。
(まほうつかいのおばあさん……)
 2DKのせまい だんちです。すぐ、つかまってしまいます。ふんちゃんのむねが くるしくなってきました。
「ふんちゃん、これをのんでごらん」
 パパが、おちゃをいれてくれました。
 あわてることは ありません。
 まほうに かけられたから、くるしいのかと 思ったら、おどろいて、ごはんが のどにつまっただけでした。
 そのあいだに まほうつかいのおばあさんは、げんかんに はいってきてしまいました。
「おたくのお子さん、ふんちゃんとか いいましたっけね。あの子が うちのじゅんちゃんを つれだすのを わたしが しらないと、思っているんですか? ちゃんと しってますよ。ものずきな子だとは 思ったけれど、き今日は もう がまんができませんからね。ここで、おたくの子とじゅんちゃんが かえってくるのを またせてもらいます!」と、さけぶなり げんかんマットの上に すわりこんでしまいました。
 ママは、あっけにとられて この とつぜん やってきた おきゃくさまを みつめています。
 ママは、あたまのなかで、じゅんちゃんが どんな女の子だったのか、ふんちゃんのともだちを ひっしで 思いだそうとしていました。
「あの…… 、うちのふん……、いえ、子どもでしたら、そこにいますけど、おたくのお子さんが どうかなさったんですか」 
ママがいったとたん、おばあさんは、ヒェッと とびあがりました。おそるおそる のぞきこんでいた ふんちゃんは、ほんとうに 10センチほど とびあがった おばあさんをみました。
 やっぱり、まほうつかいみたい……と、ふんちゃんは、思いました。
「あの いたずらっ子がいるって?……じゃ、うちのじゅんちゃんは、どこにいったんだろう……。うそをいっても、すぐに わかるんですよ」
 顔いろを かえた おばあさんは、銀色のステッキをコツコツと いらだたしげに ならしました。そうです。たしかに、銀色のステッキです。
(あれで さわられたら、ママは、石にされちゃう)
 思ったとたん、ふんちゃんは、さけんでいました。
「おばあさん、あたし、ここにいます。ほんとに これは、たしかに あたしです。それに、じゅんちゃんとは、きのうのゆうがた いっしょにお散歩しただけです。だから、そのステッキで、ママを石にしないでください!」
 こんどは、ママのほうが、びっくりするばんです。
「まあ、ふんちゃん。この子ったら、なにをいうんでしょう。そうですわ。まだ、ねぼけてるんです。ほんとに もうしわけありません」
 ママは、むりやり ふんちゃんのあたまをさげさせました。あっけに とられた おばあさんは、
「どうやら、わたしのはやとちり だったようですね、でも、うちのじゅんちゃんは、あんたが へんなチエをつけるまでは、おとなしい いい子だったんだよ。もし、じゅんちゃんが、このまま 家にかえってこなかったら、わたしは、あんたを ゆるしませんからね」
 おばあさんは、ぎんぶちメガネのおくのほそい目を 光らせていいました。
 ふんちゃんのせなかが、ゾクゾクンとふるえました。
(でも、じゅんちゃんだって、犬だもの、ちゃんとした犬なら 外をはしりたいにきまってる……)
 ふんちゃんは、思いました。
「でも、……」と、ふんちゃんが いったとき、銀色のステッキが コツンとなりました。そのとたん、ふんちゃんは、口がきけなくなりました。
「……じゅんちゃんが、かわいそう……」
 やっとの思いで それだけいうと、ふんちゃんは、へやのなかに とびこみました。
 ママのあたまの中は、だいこんらん。
(うちの子が、ふんちゃんが、家をあけるような子と ともだちだなんて……まだまだ子どもだと 思ってたのに……)
 おばあさんの「しつれいしました」という あいさつも、うわの空で 聞いていました。
 ママは、ぐったりと台所のいすに すわりこんでしまいました。
 テーブルには、ひえきったごはんが まだちゃわんに はんぶんも のこったままです。
「じゅんちゃんは、どうして かえらなかったんだろう。ふんちゃんと いっしょじゃないと、一歩も外にでられなかった おくびょうな犬だったんだよ。それなのに、どこに いったんだろ……。 まいごに なったのかなぁ」
 ふんちゃんが、つぶやいた ときです。
「犬?犬ですってぇ」
 ママは、すっとんきょうな声をはりあげました。
「わたし、きぶんがわるくなったわ。ふんちゃん、もう学校にいってちょうだい」
 あたまをかかえたママは、じぶんのへやにいってしまいました。
 やっぱり おばあさんの銀色のステッキにさわったのでしょうか。あとを おいかけようとして、ふんちゃんは、パパに とめられました。これいじょう ふんちゃんが なにか いうと、ママのずつうは、ひどくなるばっかりだと 思ったのです。
 会社にいくパパと学校にいくふんちゃんは、とちゅうまで いっしょです。
 じゅんちゃんのことを しんぱいする ふんちゃんに、パパは、
「その犬はね、もうひとりあるきが できるようになったんだよ。だいじょうぶ。ふんちゃんが、外につれだしてくれるように なったおかげで、じゅんちゃんは、犬のおともだちに であったんじゃないかな。あの おばあさんには、きのどくだけど、犬をとじこめて 外に ださないなんて いけないよ。それも犬に外にでたいというきも おこさせないほど、小さいときから そういうふうに しつけるなんて……」
 ふんちゃんは、パパの手の中に そっと じぶんの小さな手を すべりこませました。ほんのすこし さびしかったのです。ふんちゃんがいないと、オロオロしていたじゅんちゃんが、ひとりで よるの町をはしりまわっているなんて……。
 うれしいような さびしいような へんなきもちでした。
 そんな ふんちゃんのきもちを しっているように、パパは、ぎゅっと手をにぎりしめてくれました。
 こがらしが はだかんぼうの木のあいだを ふえのような声 をあげて はしりぬけていきました。ふんちゃんのせなかで、ランドセルがカタカタとなり、もう 外は、すっかり 冬でした。

 このごろ ふんちゃんは、じゅんちゃんの顔を 見ていません。かきねのあなは、いつのまにか すっかり ふさがれていました。 そのうえ、ふんちゃんが どんなに じゅんちゃんのなまえを よんでも、へんじが ありません。
 学校のかえり道、いつも ふんちゃんは、いけがきのあいだに 顔をつっこむようにして にわのなかを のぞきこみます。もしかしたら、犬のどうぞうが できているのではないかと しんぱいしているのです。
 まほうつかいのおばあさんの銀色のステッキが クルリとまわって じゅんちゃんが石にされてしまったゆめを なんど みたか わかりません。
「ふんちゃん、おかしいよ」
 たつるくんが、どようびのごご、ふんちゃんの家にきて いいました。
 ドッキンと大きく、ふんちゃんのむねが なりました。たつるくんが、おかしいというのは、じゅんちゃんのことに きまっています。
 たつるくんの話によると、どうやら じゅんちゃんは、クサリにつながれているらしいのです。
 それも、げんかんとは はんたいがわの うらにわに。
「じゃ、だれが ふんちゃんを散歩につれてってるの?」
 たつるくんは、だまって かぶりをふりました。
 じゃぁ……と、ふんちゃんの口が あきました。
(じゅんちゃんは、まほうつかいのおばあさんに とじこめられてしまったんだ)
 カァーっと、ふんちゃんのからだが あつくなりました。じゅんちゃんは、ふんちゃんが たすけにきてくれるのを まっているのです。


 三十分後、ふたりは、おばあさんの家のげんかんに たっていました。
「ごめんください!」
 ふんちゃんの顔は、まっさおです。
「ごめんください」
 たつるくんの のどは、カラカラです。そのとき、
「カギは かかっていないよ。はいるつもりなら、さっさと おはいり」
 どこからか おばあさんの声 が きこえてきました。
ふんちゃんのせなかが、ゾゾッとしました。おもわず ふんちゃんは、たつるくんのそばに にじりよりました。
 やっぱり ついてきてよかったと、たつるくんは、小さなおんなの子をまもる王子さまのような きもちになっていました。
 たつるくんは、思いきって とびらに手をかけました。すると、どうでしょう。スルリと とびらがあきました。
 ふたりは、そっと 顔をみあわせました。 目のまえに、ながい 廊下がありました。
「あがっておいで。そこに、スリッパがあるだろ。なにを ぐずぐずしてるんだい。どれでも、気にいったのをおはき。はいたら、その廊下を まっすぐ あるいておいで。つきあたりの へや だからね。よけいなものに さわるんじゃないよ」
 ふんちゃんとたつるくんは、しっかりと手をつないでいました。
 たつるくんの手くびのところが、ドッドッドッと、ものすごいスピードで うごいています。
 ふたりとも、もう まほうにかけられているのかもしれません。にげだしたいと、思っているくせに、足は、しぜんに まえへまえへと すすんでいきます。
 いちばん おくのへやのドアは、ひらいていました。
 はいろうか、はいるまいか まよった ふたりに
「さっさと、はいっておいで」
 おばあさんの声が かかりました。
 かくごをきめて、はいっていった ふんちゃんは、おもわず
「あーっ……」
 たちつくしてしまいました。
 十じょうも、あるでしょうか。あわい 草色のじゅうたんがしきつめられていました。へやのすみには、ベッドが おかれています。テーブルのうえには、おきゃくさまをむかえるように、お花がかざられ、ガラスのうつわにはクッキーが、山のように もられていました。
 おばあさんは、長いすの上に 足をなげだして、ふんちゃんたちを みつめていました。
 そして、それよりなにより、ふんちゃんを おどろかせたのは、ガラスまどのむこうに じゅんちゃんがいたことです。
池のそばに、じゅんちゃんがいました。くさりに つながれて……。
「じゅんちゃん!」
 はだしで とびおりた ふんちゃんを じゅんちゃんは、大よろこびで むかえました。
 顔といい、手といい、ところかまわず なめまわします。ふんちゃんのようふくには、ひっかきキズさえ できてしまいました。
「さぁ、もういいだろ。おチビさん、いまに あんたのようふくは、ボロボロになってしまうよ」
 長いすの うえで、おばあさんがいいました。
 ふんちゃんは、じゅんちゃんのくびに 手をまわして、おばあさんを にらみつけました。
 たつるくんが、しんぱいそうに しきりに まばたきをくりかえしています。
(ふんちゃん、おちつけ おちつけ)
 その目は、いっていました。
 でも、ふんちゃんには、そんなものは みえません。いまのふんちゃんに みえるのは、ながいすに よこたわって、ふんちゃんをみている まほうつかいのおばあさんでした。
 じゅんちゃんを家に とじこめただけじゃなく、ふんちゃんやたつるくんまで、おびきよせたのです。
(石にするのなら、すればいい!)
 ふんちゃんは、じゅんちゃんをだきしめました。
「じゅんちゃんを どうして クサリでつないだりしたの? じゅんちゃんは、なにも わるいことをしてないのに……」
 ふんちゃんの目に、うっすら なみだが にじみました。
「ふんちゃんも、ほら、新聞はいたつくんも、そこに すわんなさい。おいしいクッキーでも たべて」
 クッキーなんかで、だまされたりしない…… ふんちゃんは、くびをふりました。
「じゅんちゃんを こんなところに つないで、だれが 散歩させてるの? させてないんでしょ? あたし、ちゃんとしってるんだから」
 たつるくんのまばたきが、いっそう はげしくなりました。おばあさんは、そんな ふたりを かわるがわる みつめて ついに ふきだしてしまいました。
「まけたよ。あんたたちには。でも、じゅんちゃんをクサリで つないだのには、わけがあるんだよ。ちょっと ながくなるけど、はじめから はなすから 聞いてくれるかい?」
 ふんちゃんとたつるくんは、顔をみあわせて うなずきました。
「はじめ、じゅんちゃんを 庭で はなしがいにしてたのは、わたしも うちのものも、いそがしくて 散歩につれていく ひまが なかったからさ。それに、はなしがいにしてあるんだからね、うんどうりょうは たりてるとばかり 思っていたんだよ。そこの おちびさんが、この子を つれだすようになるまではね。ほんとに、じゅんちゃんが あんなに はしれるなんて思ってもみなかったよ。あのグータラで、一日中 ねてばかりいた犬が どうだろう。じぶんの年も わすれて、まるで子犬みたいに はしゃいで あんたたちに ついていくんだからね。
 あんたたち、しらないと 思ってたんだろ。じゅんちゃんは、わたしのかわいい犬だからね、ほかのものに かってなことを させるわけにはいかない。うちのおてつだいさんに あとをつけさせたことも あったんだよ」
 ふんちゃんとたつるくんは、だまって 顔を みあわせました。また、ふんちゃんのせなかが ゾクゾクッとしました。
「ところが、あんたたちに ついて 外にでていくぶんには もんだいは なかったんだけどね。じゅんちゃんは、夜も、で歩くように なっただろ。そうそう、ふんちゃんっていったかね、あんたの家にどなりこんでいった日が さいしょだったね。あの時まで、あのじゅんちゃんに ひとりで あそび歩くことができるなんて思っても みなかったんだよ。だから、夕方だけじゃなく、朝も つれだしているのかと、思って さびしかったんだね。きっと…… 。
 しごとをしていたときには、いそがしすぎて じゅんちゃんのせわは できなかったし、ひまになると、こんどは、からだが いうことをきかないんだからね。とくに、冬になると、足がいたくて あるけないんだよ」
 ふんちゃんは、思いがけない話に、いつのまにか おばあさんのそばに すわりこんでしまいました。そのときも、おばあさんは、「足をふいて、おあがりよ」と、いうのを わすれませんでしたけど……。
 ふじ色のストールを かたにかけた おばあさんは、つかれたような 顔で、ほんのすこしのあいだ、目をつぶりました。
「わたしが、いくら じゅんちゃんをよんでも めんどくさそうな 顔で チラッとしか みないのに、ふんちゃんがよぶと、大よろこびで でていくんだから、やきもちをやいていたのかもしれないね。ここから、ふんちゃんの家まで、じぶんでも びっくりするくらい  歩いたものね。あんな おんなの子に、じゅんちゃんを とられてたまるもんかってね……。ここ何年も、なかったことなんだよ。じぶんの足で、そんなところまで 歩くなんて。これも ふんちゃんのおかげかな。いや、はじめに じゅんちゃんを おびえさせた 新聞はいたつくんのおかげかもしれないね」
 おばあさんは、クックッとわらいました。わらうと、ほそい目が、いっそうほそくなって 糸のようです。えがおのおかげで、まほうつかいのおばあさんの顔は、どこかにいってしまいました。 たつるくんは、じぶんの なまえが でてきたので、くびをすくめています。 ふたりは、おばあさんのすすめるままに クッキーに手をのばしました。
「でも、どうして じゅんちゃんを クサリで つないだんですか?」
 たつるくんは、パリパリとおとをさせて クッキーをたべながら ききました。
「そうそう。まだ それを 話していなかったね。じつは、町内会から もんくを いってきてね。『おたくの犬のような どうもうけんは、クサリにつないでもらわないと こまります。くらいところで、顔を あわせると おとなでも ギョッとしますから。まして、子どもだったら、かみころされるかもしれません』というわけだよ」
 どうもうけんが、らんぼうで 子どもに かみつくような犬のことだとしって、ふんちゃんは、大わらいしました。
(じゅんちゃんが、かみつくなんて……)
「でも、ぼくだって はじめは こわかったよ。じゅんちゃん、ほんきで ほえるんだから」
「そうなんだよ。ふんちゃんみたいな子だったら いいけど、じゅんちゃんは、もともと おくびょうな犬だからね。あいてが こわがって 石でも ぶつけると、ほえたり わるくすると とびかかったりするかもしれないからね。つなぐしか しかたなかったんだよ。まえみたいに、にわの中だけで、じっとしてくれなくなったからね。よるも だけど、ひるは、だんちの子どもたちが いっぱい とおるからね。かわいそうだったけど、しかたなかったんだよ」
 ふんちゃんとたつるくんは、下をむいて しまいました。じゅんちゃんの ためを 思ってしたことが、かえって じゅんちゃんに つらい 思いを させることになったのです。
「それで、そうだん なんだけどね。じゅんちゃんの 散歩がかりに なってくれないかい?」
「えーっ」
「うちには、じゅんちゃんを 散歩に つれてってやれるものが いないんだよ。むすこ夫婦は、会社のことだけで せいいっぱいだし、わたしは、ごらんのとおりで じゅんちゃんの あとを おいかけるわけにはいかないんだよ」
 ふんちゃんは、たつるくんと、顔をみあわせました。
「ほんとに、ぼくたちが じゅんちゃんの……」
「散歩がかり させてもらえるの?」
「そうですよ。やってもらえますかね?」
「はいっ」
「まかせてください?」
 ふたりは、どうじに こたえました。そのとき、
「ワン」と、にわのむこうで、じゅんちゃんも こたえました。
「おやおや、じゅんちゃんも、さんせいらしいよ」
 おばあさんのひとことに、みんな わらいころげました。
 おばあさんは、まいにち まいにち 今日くるかと、お茶の じゅんびをして、ふんちゃんたちがくるのを まっていたのだそうです。じゅんちゃんを うらにわに つないでおけば、しんぱいになった ふたりが、きっと みにくる。そのときに つかまえようと、まっていたのだそうです。
「まほうつかいのおばあさんみたいだろ」
 おばあさんは、目をほそめてわらいました。
 ふたりの顔が、あかくなりました。そのとき、ピンポーンと、チャイムガなりました。すると、テーブルの上で「ただいまかえりました」という声 が しました。
 びっくりして とびあがった ふたりに、おばあさんは、テーブルの上のちいさなマイクのボタンをおすと、
「おかえり。小さな おきゃくさまが いらしてるから、デザートをもってきておくれ」と、いいました。すると
「まあまあ、それはそれは。すぐ もってまいります」
という へんじが もどってきました。インターフォンになっているのです。
「なあーんだ」
「なあーんだ」
 ふたりは、あんしんして かたのちからが ぬけました。まほうつかいのおばあさんのナゾの一つが、とけました。こんな おくのへやにいる おばあさんに、どうして げんかんにいる ふんちゃんたちの声 が  きこえたのか、ふしぎで ならなかったのです。
 おばあさんに さよならをいって、外にでたときの ふたりは、こころも からだも ほかほかでした。

 ふんちゃんとじゅんちゃんは、けやきなみきを かけています。
 ふたりのいきは、まっしろです。
 あかいセーターのふんちゃんが「じゅんちゃん!」と、よぶと、ちゃいろのけがわの じゅんちゃんも「ワン!」と、こたえます。
 それだけで、ひとりと いっぴきのこころは かよいます。 
 ふんちゃんは、学校がおわると、じゅんちゃんの家にとんでいきます。じゅんちゃんは、うらにわで まっています。

 あしのふじゆうな おばあさんにとって、じゅんちゃんは、とても いい ともだちでした。 もちろん いまでは、ふんちゃんも おばあさんと だいのなかよし でした。おばあさんは、いつも ちょっとした いいものを よういしてくれています。 星のかたちを したコンペイトウ……みかづきの かたちをしたクロンボウだとか、おもしろくて おいしい おかし ばかりです。 散歩から、かえった ふんちゃんが、のどが かわいたなとおもうと、ジュースが パッとでてきます。
やっぱり、おばあさんって、まほうつかいみたい……) ふんちゃんは、ジュースをのみながら、うわめづかいに おばあさんをながめます。
 ひとつきに いちど、かみをクリいろにそめる おしゃれな おばあさんは、そんな ふんちゃんを クックッわらいながら みています。
 いまでは、おばあさんが まほうつかいのほうが いいな……と、思っています。だって、もう ふんちゃんたちを 石にかえるしんぱいはなかったし、おいしい おかしが とびだしてくる まほう なんて、すてきじゃありませんか。
 おばあさんに、ヒミツがあるとすれば、ぎんぶちのメガネか、ステッキです。ふんちゃんは、いつか そのヒミツをつかんでやろうと 思っていました。
「おーい!」
 だんちにぬける すいろぞいの道から、たつるくんの自転車がやってきました。
「たつるくん、ぼうえんきょう もう どのくらいになった?」
 一日も はやく『ふんちゃん星』を みつけたい ふんちゃんは、たつるくんの 顔をみるたびに たずねます。
「ウーン、そうだなー。さんきゃく ぐらい かえるかなぁ」 たつるくんは、ふんちゃんのよこで 自転車をおりました。
「わぁー、じゃぁ、もうすぐね」
 ふんちゃんは、いつも おんなじことを いって、顔をかがやかせます。
 てんたいぼうえんきょう が かえるまでには、まだまだ 時間がかかることを しっている たつるくんも、ふんちゃんの このことばをきくたびに、
「あと、ちょっとだ」
と、ファイトがわいてくるから、ふしぎです。
「たつるくん、あたしね」
 ふんちゃんは、さきへいく じゅんちゃんを目で おいながら、ひみつをうちあけるように、声を ひそめて ささやきました。
「あたし、じゅんちゃんに 子犬がうまれたら、いっぴき もらうことに きめたの」
(きめたの……って)
 たつるくんは、ふんちゃんのよこがおを みつめました。
 まっかな ほっぺに うまりそうな ハナをうごめかせて ふんちゃんの けついは かたいようです。
「でも……」
 たつるくんは いいかけました。
 するとそのとき、ふたりが こないことに じれた じゅんちゃんが ワンとほえました。 
「ごめーん!」
と、さけぶと、みじかいオカッパあたまを ふりながら ふんちゃんは、じゅんちゃんにむかって かけだしました。
「じゅんちゃんは、オスなのに」
 ふんちゃんの うしろすがたを みながら、たつるくんは、ひとりごとをいいました。
 たつるくんの おなかが モニョモニョと むずがゆくなりました。
 ふんちゃんとじゅんちゃんは、もつれあうように はしっています。
 ふんちゃんって、へんな子だなぁ……と、たつるくんは 思いました。
 グータラじゅんちゃんも、おっかなかった おばあさんも、いつのまにか ともだちにしていました。おまけに、ぼくの てんたいぼうえんきょうで いちばんさきに 『ふんちゃん星』をみつけるつもりなんだから……。
 そうはさせるものか……と、たつるくんは 大きく いきを すいこみました。しんせい『たつる』が いちばんで、『ふんちゃん星』は、にばんめです。
「たつるくーん!!」
 ふんちゃんが、けやきなみきの はずれで 手をふっています。じゅんちゃんも、しっぽを ふっています。
「いま、いくー!!」
 たつるくんは、自転車に とびのりました。ペダルをちからいっぱい ふみました。
 青空がザザッと うごいて、つめたい風が はだを つきさします。あさっては、もう 十二月です。
(もしかしたら、まほうをつかうのは、ふんちゃんなのかもしれないな……)
 たつるくんの むねに、ふいと そんな 思いが うかびました。ふんちゃんとじゅんちゃんのむこうには、びっくりするほど 青い空が ひろがっていました。
                     おわり 


      

                     

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