夢番地のはなし
いつか先生にもう一度会ったら、話そうと思っている話が、ひとつだけあります。
先生と過ごした時間は、大して長くなくて、関係も割と薄くて、先生は私の存在なんて忘れているのでしょう。
私は先生とお別れした後、何度か先生をテレビで見ました。
春高バレーで、顧問をしている先生。
変わらず大きくて、強くて、優しそうでした。
確か土曜のバレー部の練習に連れてきた、息子さんは、おいくつになりましたか。
私は先生の息子さんを、卓球の網越しに見ていた気がします。
成人式で会えたらよかったのに、と思うけれど、私達と先生は中2のほんの一年、一緒に時を過ごしただけで、3年の時には一個下の学年へ降りてしまいました。
私達が卒業した次の年、先生はまた高校の先生に戻って、バレーを教えに行きましたね。
先生が転任する年、確か私は先生に会いに行って、写真を撮って、大した関係値もないのに手紙を渡した気がします。
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
大学1年の夏、19歳、私は大阪へ、高校の親友のもとに遊びに行きました。
2人でリンクコーデを決め、ユニバに行きました。
大学受験をやっと終え、解放された頃にコロナがやってきて、卒業旅行、卒業ディズニー、制服でユニバ、全ての予定がなくなりました。
一旦落ち着いたのを見計らって、やっとお互いの受験生活のご褒美をもらいに行くという心持ちでした。
午前中、だいぶ2人ではしゃぎ、写真を撮り、楽しみました。
2回目くらいのハリドリに並んでいる最中、親友がサークルで教わった、飲みゲーをしていました。
後ろにいた男の人2人組に声をかけられて、そのまま一緒にゲームをして、ハリドリに乗り、そこから夜まで行動を共にしました。
そういう経験があまりなかった私は、突然正気を失ってしまい、ノリも悪く、楽しくもなく、ただ空気が悪くならないように、気を遣って過ごしました。
正直、相手側も、私達も、お互い楽しくはなく、なんとも言えない空気感で、ユニバを去りました。
今までになかった経験ができている嬉しさ三分の一、相手が楽しんでいるのか自分達で良いのかという不安三分の一、午後は楽しくなかったなあ今から一緒にいても楽しいのかなあと言う気持ち三分の一で、私達はゆらゆらと歩み寄り、4人で居酒屋に行きました。
またまた楽しくない飲みゲーをして、軽く飲まされ、場はさほど盛り上がらないまま、店を去りました。
公園で飲みたいと言われ、スト缶を持たされ、買わされました。
なぜか1人が帰り、酔っ払った私達未成年2人と成人男性1人、3人で家飲みをしました。
そこでもつまらない飲みゲー、いつのまにか私は暗い部屋でベッドに横たわっていました。
ちなみに運が良くて、皆さんが想像するような事態はギリギリ免れました。
また、相手側が必ずしも100%悪いわけでもなかったと思います。
ただ、本当にギリギリ、あまり心が安定しておらず苦しかったことも相まって私の心はズタボロ、責任を感じてしまった親友の心もズタボロ、
私はしばらく親友の家に居座って、何日か泣きながら2人で夜を過ごしました。
気晴らしにカラオケに行きました。
そこで、親友が「夢番地」を流しました。
聞いたことのない曲なはずなのに、なぜか懐かしいような気がしました。
「僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で
誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で
誰かがきっと今僕にとっての夢を叶えてくれている
僕もきっと誰かにとっての夢を叶えている」
親友がこのフレーズを泣きながら歌いました。
一緒に泣いて、泣いて、笑いました。
翌日帰りの高速バス、窓側の席で、涙をつらつらと流しながら、親友が教えてくれたもう一曲の「僕のこと」と「夢番地」を交互にエンドレスに聴きました。
家に帰って、はっとしたのです。
なぜか見覚えのあった夢番地という曲名、懐かしい感じ、確かあれは、夢番地ではなかったか、と。
先生が、総合の時間に、突然スクリーンに映し出して、YouTubeで曲を聴かせてきたことがありましたよね。
当時、ちょろっと有名になり出した、RADWIMPSというアーティスト、当時から3年前のセカオワ、今でいうサウシーみたいな?
正直私は、先生もそういう系が好きなんだねーふーん、とちょっとショックでした。
こんなことを言うと各方面に大変失礼だし、今は思ってないけれど、先生はもっとひねくれた、エッジの効いたアーティストや曲が好き、と言うより音楽なんて好きじゃない、と思っていたので。
そんなこんなで私は、その曲も大して真剣に聴いていなかったし、先生がどうちゃらこうちゃらって話していたのも、珍しく聞いていませんでした。
だからこんな風に話しているけど、その曲が夢番地だったか、確証はありません。
でも私の記憶の本当の片隅にあるのだから、きっとそうなのだと思うし、そういうことにしています。
どうしてこんな話を先生にしたいかって、先生はよく、卒業生や教え子との経験談を話してくれたからです。
ちなみにこんなにどす黒く細かくは話さないと思います。
「辛かった時に友達が歌ってくれた曲が、あの時の夢番地だったんです」
くらいだと思う。
私が好きなのは、空の話。
「先生、最近空見てますか。」と聞かれた話。
私はそれから、良くも悪くも夢番地を聞けばあの古いカラオケ屋さんと涙で潰れた高速バスのカーテンが浮かびます。
それから夢番地は、当時は友達だった恋人がバンドを組んで練習している曲になりました。
いつの間にかベースの音ばっかりが聞こえるようになって、弾けもしないのにベースのフレーズだけ覚えてしまいました。
心が苦しい友達に夢番地を紹介したら、友達の大切な曲にもなりました。
後にLINEのBGMになっていたし、私も彼女のポートレートにこの曲を捧げました。
先生、あの時の私とは、だいぶ変わったけれど、教室の薄暗い中で光るスクリーンと流れた夢番地、5年も超えて私のもとに届きました。
この話、今の教え子に話しても、きっとほとんど聞き流されるんだろうな。
それでもいつかまたどこかで会えたら、絶対に話したい。
いつかまたどこかでばったりと会うんじゃないかと思っています。
そして、私は、
今の私は、中学2年生の私の、未熟で世界を知らない私の、夢の上に立っているはずです。
強くて弱い私に、夢番地を教えてくれて、ありがとうございました。
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