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やりたいことした!

某日、某日というか先日、やりたいことを無事に終えました。もうやらない様な書き口ですがこれからも連綿と続いていくことです。上手くいけばね

凄く上手いわけでも、全員を感動させられるわけでもない。ましてや、当時、ほぼゼロと言っていいほど誰かに見せたわけでもなかったこと。
しかし、大学のその学科に何度も落ちた時に、何度も何度も何度も何度も「私にはこれしかないのに」と思った。彼らには、私にはこれしかないことが伝わらない。要は鬼気迫るものがない。魅力がないんだ。向いていない。そう思った。
どうかな?実際に今も向いているとは思ってない。
数日経った今でもこの方が良かった、ここが下手だった。ていうか別に上手くない、そう思っている。思っている。

先ほどから伏せているが、これは演劇の話だ。

先日、板の上に立った。
板の上からの景色はわからなかった。嘘。少しだけ見ました。親や、たくさんの友人、もっとたくさんの誰かの友人。
憧れの場所から見る景色、こういう時、「輝いていた」って表現するんだろうな。
実際にはほとんど何もわからなかった。暗いし、目が悪いし、明るくてもきっと目の悪さで観客の表情は窺えなかっただろう。なんて薄情な人間!
しかし、本番中はそれで良かったのかもしれない。一度知っている人を認識すれば緊張で台詞を飛ばしただろうから。

嬉しかった。具体的に何が?と言われるとまだ胸中の整理がついていない。
舞台に立てたこと、友人がたくさん感想をくれたこと、チケット代のみならず差し入れまでしてくれたこと。全部全部全部うれしかった。抱きしめたい。一人一人にありがとうって言いたい。もちろん、これは誰かの友人に対してもである。
でも、もっと違う何か嬉しいがある。何であろうか。

日々、わたしは満たされたいと思う。
ことなんてなかった。
自分のそこが空っぽなのかあるいは満ちているのかの判別なんて持ち合わせていなかった。
この一年、わたしは確実に満たされていた。充足感。今が人生で一番楽しいと度々口にしていた。
終わった今はどうであろうか。何かが抜け落ちた様にガックリしていますか?それとも次に向けて燃え上がっていますか?

なんとなく、未だ舞台に立った実感が湧かない。
確かに立った。たくさんの感想もいただいて、それはより強固なものとしてわたしの中にある。しかし、実感がないのだ。どうしてか?
ここで一つの仮説を立てる。
終わったから、ではないだろうか。
終わってしまって、満たされた日々から束の間の休息期間。何もない日々。そう、つまらない日々。日々はつまらないと相場が決まっている。
あの時、板の上で台詞を言っていた、立っていた、あの時だけが実存だったのだ。
何を、当たり前のことを…と呆れるだろうが、わたしは今日までそのことに気が付かなかった。
終わった今、あの日は夢現で日常の今は何の実感も持たない退屈なものなのだ。
困る。

制作の方がこう言っていた
「舞台に立って、終わったらまたやりたいって思うよ」
と。
わたしの中にあるのはただ一つ。
手放したくない
それだけ。
あの、夢現を現のみにするために手放したくない。満たされたい。充足していたい。

はっきりと、舞台に立ちたいと思ったあの日、何をみても演者に対して、どうして貴方がそこにいてわたしがいないんだ、と悔しく思った。
今も思う。これは日常で日々で、つまらなくて退屈。
わたしには足りない。

とにかく、そんな思いを抱えながらこのnoteを書いている。
胸中をそのまま吐露した形なのでしっちゃかめっちゃかになっている自覚がある。あまつさえ矛盾してる文章もあるんだろうな。あえて、推敲せずに投稿しようかな。

お前を絶対に手放さないからな。今、お前の靴紐を掴んでいる。そのままわたしのなかに引き摺り込んでやるからな。覚悟してろ。そうしてその最高のまま板の上で死ぬんだ。

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