思い立ったが吉日 - There's no time like the present.
決して若いとは言えないこの年齢で、人生で初めて大学に入学して大学生になったので、記念にその軌跡を残すべく noteを作ったのが 2年前。
しかし、入学を決意してからあっというまに 3年の月日が経過してこのまま順調に卒業してしまいそうな勢いなので、焦って急に noteを書かねばなるまい!と、思い立った次第。
noteを書かなかった、書けなかった理由
きっかけを完全に失っていただけなのだが、書き渋っていた理由は、
1.大学のことをどこまで公表していいのか、判断が難しい
授業の内容や構成、小テスト、単位認定試験のことなどなど、とにかく要約が苦手なのでどこまでわかりやすく書けるか、そこまで書いたら怒られるだろうか?怒られたくない!でもこれはここまで書かなきゃ伝わらんだろ、の葛藤。
2.履修計画などなど公表すると身バレしそう
現段階ではSNS上だけの交流に留まっているがリアルの学友ができたときに、自分がSNS上の merryだと公表するか決めかねている。
学友にはお会いしたいけれど、あまり書きすぎると身バレできなくなる、身バレできない(しない、したくない)なら現実でも会わないのが正解、の苦悩のループ。
3.成績があまりよくない
正直、地頭がよくない。
なので成績の公表など、する気はさらさらない。
ただ、学部長の科目でずっと Sをいただいていることは誇りに思う。
4.noteの活用法がわからない
アメブロがあるので(過疎ってるけど)そちらに書き綴ってもよかったのだけれど、病気のことなど noteなら有料記事で書けるし、書きたいというところもあった。あと、アメブロの過去記事がいろいろ生々しいので住み分け。
アメブロは記事、X(旧 Twitter)はひとりごと、というていで運用していた。実際、X(旧 Twitter)のプロフには「思ったことを思わずつぶやく正直者」としていたが、昔と違って現在の X(旧 Twitter)は物騒で自由にひとりごとも言えやしない。
noteは日記、みたいな位置づけで運用できたらいいかなと思っている。
5.大学入学時期の4期と5期で授業料と卒業要件に変更があった
これが一番の理由かも。
私が大学に入学したのは2021年春(4期生)なのだが、翌年2022年春に授業料と卒業要件に大幅な変更があったため、2021年春入学(4期生)が履修計画や授業の感想などを公表しても、2022年春入学(5期生)以降の参考にはならないだろうと思えた。
もっと言うなら4期生までの卒業要件を知らない5期生以降の後輩たちに誤解を与えかねないリスクが出てきた。そのリスクを背負ってまで公に公表する意味ないのかなと思えた。
*ここでは秋入学のことには言及しておりません。ご了承くださいませ。
6.ニーズがない
私の職業は IT関係でもなければ経営者でもない。学友のみなさまからしてみれば異業界の人間なので、現役の方からも同業者間交流の方からも需要がないかなと(さみしすぎる…)
特に真新しい情報もなく、文才もないため、これといってなんの面白味もない記事になると思うけれど、なにせ 2年前の記憶を掘り起こしてそれを記事にしようってんだからその辺はご容赦くださいませ。
「鉄は熱いうちに打て」
大学の記事が 2年前の出来事でネタが新鮮ではないのは自覚しているので、完全に機会を逃したと思ったときに思い出したのがこのことわざ。
日本語では2つの意味がある。
どちらも、なにかをするためにはタイミングが重要だというニュアンスだけれど、今回の私の場合は完全に後者。
情報は新鮮さが重要。過去のことを書き連ねても今さら誰も興味を示さない。
とはいえ、このnoteの目的は自分が学んできた軌跡を記すこと。
なので完全に自己満足ではあるが、記録は残しておくことにしよう。
「鉄は熱いうちに打て」の類義語
「思い立ったが吉日」は「鉄は熱いうちに打て」の類義語?
「鉄は熱いうちに打て」の類義語のひとつに「思い立ったが吉日」がある。
「思い立ったが吉日」は、物事を思い立ったらその日が吉日、すぐに始めたほうが良いということ。
「鉄は熱いうちに打て」と「思い立ったが吉日」はどちらもタイミングを重視する表現だけれど、2つの違いはアクションする時期。
タイミングの重要性
「鉄は熱いうちに打て」は「物事には良いタイミングがある」というニュアンスで、「思い立ったが吉日」は「今すぐ始めるべき」。
実は、私はなにに関しても「思い立ったが吉日」な人間なので、この記事はやはり今このときここで書くべくして書かれたのだ、と思う。
(なんか違う?)
「鉄は熱いうちに打て」の対義語
「果報は寝て待て」別に寝て待っていたわけではないよ
「果報は寝て待て」は、焦らずに幸福の訪れる時機を待てということわざで、「鉄は熱いうちに打て」の対義語だけれど、それはまた別の機会に。
斯くして、記憶を辿ってやっとnoteを書き始めたわけだけど、満を持してってわけでも、別に果報を寝て待っていたわけでもないことはおわかりいただけたのではないでしょうか。
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