絶対に死なない死にたがり
あ、死のう
と思った事が人生で何度かある。
それは突発的衝動で、とても事前に他人に迷惑をかけない様に…なんて計画を練ることなんて出来ない様な強い念の様な物に動かされそうになる。
でも結局行動は起こさず踏みとどまって生きているので、きっとこの先も死なない。
一番最初に死にたいと思ったのは小学校4年生の時。性に関する原体験に書いた様に、自分がされてきた事を自覚してしまった瞬間のおぞましさが、死にたいというよりも消えたい、と思ったのを覚えている。
あの時に初めて遺書を書いた。
父に向けて。
あなたを殺したい、憎んでいる、でもあなたを殺すよりも私が死んだ方がいい
みたいな事を書いたのをうっすらと覚えていて。
なのに文末に
それでも私はあなたを愛している
って書いた事はハッキリと記憶にある。
2度目にまた父に向けて遺書を書いたのは29歳の時。今思えば若さ故の破滅願望みたいなもので、30歳になったら死のうって思っていた。
この時は本当に1年前から計画を立てていた。
この場所でこんな方法でこんな風にして死にたいなってイメージを膨らませながら、一日一日を過ごしていた、何食わぬ顔で。
30歳の誕生日が近づいてきた、その2週間前。
父から話があると言われた。
膵臓がんになった、と。
仕事を辞めて母の介護に専念して欲しいと。
この時、姉の精神の異常と暴力性がピークで、かなり疲れて思考力がまともでは無かった私はこの申し出をまともに受け取ってしまった。
今から考えれば仕事は辞めてはいけなかった、辞めてしまった事によって転がるように風俗業界に身を置く様になる事をまだこの時の私は知らない。
とてもじゃないけど自分の死にたいという欲求など考えてる余裕も無くなり、父の闘病と母の介護に姉のお世話までのしかかってそれどころでは無くなってしまったのだ。
父は私の誕生日のちょうど1か月後に亡くなった。
死にたがりの私を体を張って止めてくれたのか?と思っている、父が。
お前は本当に変わってるなぁ、と言う父。
もう全部お前にまかせる、と言った父。
病床で追い詰める様な事を言った私に頑として認めず謝らなかった、父。
死ぬ前日、お前にばっかり苦労かけて堪忍なぁ、と初めて謝罪の言葉をかけた、父。
貴方はどうして私にあんな事をしたの?とは聞けなかったけど、嫌いになれなかったのは確かな愛情も感じていたから。間違った愛し方でも。
私は貴方がくれたこの命を
まだ誰も愛せないし自分の事も愛せないままで生きてるよ。貴方に貰った傷のせいで。
絶対に死んでたまるかよ。
自分の人生は全部喜劇で茶番劇にしてやるって。
今はそう思ってる。
このまま悲劇にしてたまるかよ。
でも疲れたら
貴方の所へ行っていいかな。
また会えたら言いたい事がたくさん溢れる気がするな、私達は無口で感情表現が苦手な親子だったけど、それでも言わなきゃいけない事がきっとある。
ありがとうお父さん。
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