エジプト旅の続き。カルチャーショックは突然に。
1997年2月某日。
カイロから、王家の谷を目指して長距離バスに乗った。
お金がなかったので、一番安いバスに乗った。
すると、背もたれがひたすら前に倒れてくる仕様(?)で、
背をもたれさせるどころか、私の背を使って必死で背もたれを支えていなければならない旅となった。
だが、
バスは、そんなことはお構いなしに埃まみれの道をひた走る。
こんな砂埃のなかで道が良く見えるな! と感心するほど、視界のすべてがサンドベージュだが、運転手さんはものともしない。
ときどき、ドライブインに寄る。
二回目の休憩のときは、アラビア語だったので定かではないが、
運転手さんが「昼飯を食え!」とかなんとか、そんなことを叫んだらしく、
バスから、バタバタと人が降り、砂漠の真ん中にあるバラックみたいなガレージみたいな小屋に吸い込まれていった。
ついていくと、皆、席についてなにか注文らしきことをしている。
私は、この先二か月続くエジプトの旅の資金を心配するあまり、
アラブ諸国お決まりの小さなグラスに入った熱くて甘いお茶をのみ、
あとはお店の一角にある売店でミネラルウォーターでも買って、カバンに入っていたパンを齧ろうと思っていた。
(余談だが、ものすごく乾燥した国に行くと、パンはちょっとした布袋やポケットに突っ込んでおいても割と日持ちがする。よく外国の小説にある、ポケットにパンをねじ込んで旅に出る・・・というのがあながち嘘でもないと知った22歳の春。)
バスに戻ろうとした。
すると、
レイバン風のサングラスを外しながら、運転手さんが声をかけてきた。
「君は、ここに座れ!」
自分の向かいに席をさっと用意してくれ、大声で私の料理も注文。
ほどなくして、米にマトンの肉を煮込みがかかった、なんとも美味しそうな匂いがする食事がすぐに出てきた(さすがドライブインで、食事のサービスはとても速い)。
運転手さんは、ニコニコしながら身振りで
「食べろ食べろ」と言う。
もはや食べないわけにいはいかない。
しかも現地の人が注文した食事なんて絶対的に食べてみたいわけだが、
気になるのはやはり、お財布の中身。
恐る恐る、聞いてみる。
「・・・これ、おいくらでしょう?」
それを聞いて運転手さんは、若干気分を害したように顔をしかめた。
そして、顔の前で手を振りながら言った。
「バクシーシ、バクシーシ」。
イスラム教には、「持てるものは持たざる者へ、富(やら食料やら)を分配する」という習いがあり、それがバクシーシと言う。
ということで
ちゃっかりと食事をごちそうになってしまった。
思ったより薄味だったが、大変美味だった。運転手さん、ありがとう…!
そして、再びバスに乗り込み、
サンドベージュの世界を走ること数時間、
バスの終着地、アスユートへ到着。
感謝を込めて手を振りながら、街へ降り立った。
アスユートは、中部では一番大きな町だが
観光客が来る町ではなく、
エジプト人が商用などで立ち寄る町だ。
従って、
宿探しには手間取った。
なぜかというと
ホテルなどでイスラム・ルールが適用されてしまうところが多いためである。
イスラムの女性は
基本的には一人で出歩かないので
一人旅などする女はなにかおかしい、
下手したら売春婦かも、というジャッジをされてしまう。
もちろん、それなりの価格の高級ホテルに泊まればそんな問題は発生しないのだが、安宿やビジネスホテルクラスの宿では、その国ならではの公序良俗問題にぶち当たる。
苦労して街はずれに古びたホテルを見つけた。
値段も安いし、女一人でもいいと言うし、清潔なシーツがあって
部屋もそこそこ広い。
シャワーブース付き。
難点は、部屋に鍵がかからないことくらい、と説明された。
・・・大問題じゃん! と思ったが
よく考えたら盗られるような高級品も持っていないし、
そもそもバクシーシしてもらう側の身分だし、
「ま、たぶん大丈夫だろう!」と言うことでそこに決めた。
補足しておくと
トラベルグッズとして常に持っているワイヤー&南京錠を持っているため
在室中は扉の取っ手をそれで止めておくので、
寝入っている間になにかされることはない、とジャッジしてのことだ。
普通の旅行装備の皆様には、鍵なしのお部屋はおすすめしません(キリッ)。
無事に部屋も決まり、
3日くらい滞在したらルクソールへ向かう予定だったから、
あとはのんびりするだけ・・・
と思いきや、
私はこの町で、大きなカルチャーショックにを受けることとなった。
カルチャーショックは突然に。
ことの起こりはこうである。
その日の夕方、ちょっとした食料や水を買いに出かけた私は、
道に迷ってしまった。
(今のようにスマホで地図を出すこともできないし、
仮に紙の地図があったとしてもアラビア語で読めない。)
でも、ホテルの名前も覚えていたし、ネームカードも持っていたので、
焦らず、道端にいた男の子に尋ねた。
「この、ホテル知ってる?」
男の子は、カタコトの英語とアラビア語と身振り手振りで、
方向と曲がる場所を教えてくれたが、
いまいちよくわからない。
困った顔をしていると、
「ついてきな!」というジェスチャーをしたので、おとなしくついていくことにした。
カタコト同士で
名前や年齢などを教えあう。
中国人か? と聞かれたので、日本人だ、と答える。
イスラム教徒か、と聞かれたので、いや神道だ、と答える。
そんな会話を繰り広げつつ
五分も歩いていたら、ホテルに着いた。
「ありがとう!」と言って、なかに入ろうとすると
「エクスキューズミー!」といって引き止めらた。
あ、チップかなにか渡すべきかな?
と思って
振り返ると
満面の笑顔で、彼はこう言った。
「オーケー、ヒア、ユア ホテル。
ソー、ウィ セックス?」
( ゚Д゚)
「・・・なんでやねん。」
驚きのあまり、思わず、大阪弁が出てしまった。
すると、
不思議なことに即座にその意味を理解して彼は言った。
「キョネン ドイツ人のオンナの子。ワタシとセックスした。
アナタ、同じ。トラベラー。ガイコクジン。
だから私と寝て、モンダイない。
オーケー?」
いやいやいや、オーケーじゃないし。
そのドイツ人のことは知らないし
他人が旅の思い出をつくるのは自由だけど
私はそんなカジュアルな関係はムリ・・・!
というのを必死で説明したら
「とっても残念」と言って帰っていった。
帰国後、その提案が出てくる価値観を調べてみたら
おそらくだが、こういうことらしい。
つまり、イスラム教徒にとって人間なのはイスラム教徒だけで、
そこには姦淫に関する非常に厳しい戒律がある。
だが、抜け穴もあって、
人間と見なさないものと寝るなら許されるので、
キリスト教徒とか仏教徒とか、そういう異教の民なら
準人間なので罪にならない。
ちなみにエジプトにも売春婦はいるが、
ほぼ、国外の異教徒によって営まれている。
私は、見た目からしてイスラム教徒ではないが、
念のため、
道すがらの挨拶で、出身国と宗教と(神道と答えた)その他もろもろリサーチして、
彼の心の中の神様が「GO!」と言った、
ということらしい。
女の一人旅なので、
そういう誘いがあることはときどきあるが、
あまりにもあっけらかんと無邪気にきてびっくりした! と思っていたら、それではまだ話は終わらなかった。
翌朝、
身支度をしていると、ドアがノックされた。
ホテルの人かと思って、ドアに近づくと、ワイヤーチェーンの隙間から、その男の子の顔がひょっこり覗いて、部屋の中の様子をうかがっていた。
「ハ、ハロー」とりあえず、愛想はよくしておこうと思い、引きつっていたかもしれないが笑顔をつくり挨拶をした。
その男の子は、ものすごくさわやかに
「グッドモーニング!」と微笑み、
こう続けた。
「ドゥ セックス トゥデイ?」
期待をこめた犬のような顔で
目をキラキラさせている。
だが、残念ながら答えは
「ノー」である。
それを伝えると
さわやかな笑顔のまま、彼はこう言った。
「オーケー。メイビー トゥモロー」
そして去っていった。
そして、それはなんと、
私がこの街を去るまで、毎朝、毎夕、
そして町で出会うたびに、繰り返されたのである。
あれは、自分の旅人生のなかでも不思議な出来事だったが
散歩の途中に(ホテルのすぐそばに住んでいた)
彼と出会っても、
いつも挨拶のように
「スリープ ウィズ ミー? チェンジ ユア マインド?」とさわやかに聞かれるだけで、
ノーと答えると大変紳士的に引き下がる。
そして、また数時間後にその質問だけをしに、ホテルを訪れたりする。
25年以上経ち
2024年の今となっては
・・・その後の彼に、満ち足りたセックスライフが訪れたことを、祈っております。
この街には4日ほど滞在し、私はルクソールへ向って旅立ちました。
次は王家の谷です。
ありがとうございます。毎日流れる日々の中から、皆さんを元気にできるような記憶を選んで書きつづれたらと思っています。ペンで笑顔を創る がモットーです。