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おととい来やがれ

女性ならば、一度は経験があるのかもしれない。
男性でも経験があると、耳にしたことがあるほどだ。

かくゆう私は運良く難を逃れていたため、今までは一度も経験がなかった。

なのに!
社会人になって数年、まさかアラサーになってから経験するとは誰が思おう。

そう、痴漢にあったのだ。

通勤の混み合う主要駅の少し手前、
混んでると言えど吊り革を掴んで自立できる余白はある。
私は比較的乗車時間が長いので、いつもなら車内の中側に行こうとする。
その日は、いつもよりさらに少し混んでいてドア前しかスペースがなかった。

後ろで私は岩ですと言わんばかりの不動のおばさまに固められた事もあり、
それ以上奥に進むことは困難だった。

次の停車駅で乗ってきたオッサンが戦犯である。
失礼ながら綺麗とは言えない出立ちである。

私の横、あまりにも近くに立つので、パーソナルスペースバグおじさんだと思い、後ろに下がろうとするが、おばさまに阻まれる。
右は座席の手すり、後ろはおばさま、前はドアで既にスペースがない、左にやってきたオッサン。
四面楚歌を体現してしまった。
オッサンの横には人一人分の余白があるのに。

あろうことにオッサンは、股間に自分の手を当て、私の身体に擦り付けようとしてきた。
いやいやいや、無理だから。
手前に抱えていたリュックで、せめてもの小さな壁を作った。
会社に着いたらアルコールで拭く。ごめんリュック。

オッサンは、ぱっと見そこそこ大人しそうな女に見えたのだろう、こちらを見てニヤニヤと笑っている。
次の駅に着いて、人が動いてもオッサンは微動だにしない。
むしろより距離を詰めようとする。

勘弁してくれ。
このあと1日労働が待ってるんだ。
こんなところで精神力を削がれるのは癪だ。

停車している数秒の間に、どうにか逃げる方法を考えて、私は頭をフル回転していた。
いっそ降りて、次のに乗り直すか…

「チッ」

自分が短気であることを忘れていた。
思考の結論よりも、対処に移すよりも早く、盛大な舌打ちが出てしまった。

ニヤニヤしていたオッサンは、まさかそんな盛大な舌打ちをお見舞いされるとは思ってなかったんだろう。
本当に目をぱちぱちとして、締まりかけたドアをすり抜けるように降りていった。

こちらの事情は周りの誰も気づいてないだろう。
オッサンがいなくなった車内はいつもと変わらず動き始めた。

おととい来やがれと言ってやれば良かった。
足ぐらい踏んでやれば良かった。
駅員に突き出せば良かった。

今さら涙がじわりと出てきた。
恥ずかしさか、悲しさか、惨めさか、悔しさか。
俯いて踏ん張って、涙を食い止めた。

あのオッサンは、他人にこんなに軽んじられたことなんてないんだろう。
尊厳なんて大層なものではないけれど、自分をモノとして無遠慮に見られて、勝手に使われたことなんてないんだろう。
性欲か自尊心か、知ったこっちゃないけれど、そんなお前の薄っぺらい感情に、
私の全てが踏みつけられたんだ。

私がこんな感情なのに、何にも変わらずに移ろう景色が憎たらしい。
こんな感情でも、社会の歯車をしなければならない。
何も変わらない日常を過ごさなければいけない。
あぁ、帰って布団に潜りたい。
荷物を投げて、わんわん泣きたい。

クソッタレ。
おととい来やがれ。

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