「毒親」という単語が周知されて、数年が経つ。 ネグレクト、モラハラ、宗教二世…付随する言葉もたくさん生まれ、 ニュースで耳にすることも増えた。 ところで、自分の親を「毒親」だと思ったことはあるだろうか。 自分が親である人は、自分のことを「毒親」だと思ったことはあるだろうか。 私は年に数回は帰省し、きょうだい仲も良く、 世間一般的にはまあまあ家族円満な実家だ。 だが、私は大人になってもずっと父のことが苦手だ。 父のことを毒親とまでは思わないが、良い親だとは思えない。 今で
私は平凡な人間だと自認している。 特出しているところがなさすぎて、逆に珍しいかもしれない。 秀でている才があるわけでもなく、 人に褒められる容姿でもなく、 熱中する何かもなく、 使命感あふれる仕事をしているわけでも、 大きな夢を持っているわけでもない。 自分で書いてて虚しくなるくらいの、 平々凡々、日々をこなすのに精一杯の一般庶民である。 子どもの頃の自分のあの「無敵感」はなんだったのだろう。 成長するにつれ削がれていってしまった、あの、自分はナンバーワンなりオンリーワ
会社の近くの桜がいつの間にか咲いていた。 今年は東京でも開花が遅かったと聞いたが、まだ4月の頭だと思うと、寧ろ桜が気を遣って季節に合わせてくれた気もする。 私は季節感のない日々を過ごしているので、桜を認識してようやく春だなぁと感じることができるぐらいなのだが、 連想ゲームのように、連鎖して思い出す、 神経衰弱のように、必ずセットで出てくる、 思い出の紐付きは誰しも持ってるのではないだろうか。 例えば、 すれ違った人の香水が別れた恋人と同じで、恋人との会話を思い出すとか、
女性ならば、一度は経験があるのかもしれない。 男性でも経験があると、耳にしたことがあるほどだ。 かくゆう私は運良く難を逃れていたため、今までは一度も経験がなかった。 なのに! 社会人になって数年、まさかアラサーになってから経験するとは誰が思おう。 そう、痴漢にあったのだ。 通勤の混み合う主要駅の少し手前、 混んでると言えど吊り革を掴んで自立できる余白はある。 私は比較的乗車時間が長いので、いつもなら車内の中側に行こうとする。 その日は、いつもよりさらに少し混んでいてド
記念すべきひとつ目から、 別に楽しくもない話をする。 先日、大学時代の友人が結婚式を挙げた。 ありがたいことにご招待いただき、久々のヒールをSHEINで注文した。 仕事では履かなくなった5cmヒールのパンプスだ。 当日、ヘアセットの美容院に辿り着く前までに靴擦れをしたが。 伏線回収の早さに自分でもびっくりした。 ドラッグストアで買った靴擦れクッション代の方が靴代を上回ったという皮肉。 安物買いの銭失いとは私だ。 初っ端、話がそれたが、 彼女から結婚式の招待を受けた時、
ついに手を出してしまった。 中学時代でいう「前略」、 高校時代でいう「mixi」、 「Twitter」さえ名前を変えた今日この頃に。 前者2つは、陰キャだったので、まず手を出していない。 「X」はめっきり見る専、 最終ツイート(ポスト)は、なんと5年ほど前だった。 筆不精ではないと思うの。 曲がりなりにも、文学部だったし。 悲しいことに、特筆すべき日常でなかったのかもしれないと自己分析。 文字にする必要がないくらいリア充だったのかもと、希望も乗せておく。 30歳手前にし