根源

旅行に行きたい。ふとそう思った。
ただのフリーターなので、行こうと思えばいつでも行けなくはないのだけれど、どうして行かないのだろう。

お金がない、とか時間がない、とか体力的にしんどい、とか、行かない理由は沢山あって、それを「行けない」ということの根拠にしている。

実際行こうと思えば行けなくはない。旅行を安く済ませる方法なんていくらでもあるし、体力的に心配なら、旅行の前後も休みを取ればいいだけ。別に何も難しいことではないのに。

高校を卒業してすぐの頃は思い付きでリゾートバイトをしていたり、なんとなくで東京まで行けたのに、なんで今はその勢いがないんだろう。
確かに東京から帰ってきたばかりで、賃貸を新たに借りるだけの金銭的余裕はないので、そんなにパッと思い付きだけで行動するのは難しいのかもしれない。けれど、探せば住み込みでできる仕事だってあるし、それこそまたリゾートバイトを始めたっていい。なのに、どうしてか一歩踏み出すことが怖い。

就活においてもそれは同じことが言えて、年末から開始した就活では、実は正社員として内定をもらった会社も幾つかある。なのに「なんか違う気がする」と思って、そこでの就職には踏み切らなかった。

両親は下手にしっくり来ないところに就職してまたすぐに辞めるくらいならゆっくり探せ、とは言ってくれているけれど、それにいつまで甘えていていいのだろうか。
バイト先だって、長く勤めていたよしみで雇ってくれているけれど、4月からは新入社員が入ってくるから、きっと今みたいに毎日シフトは入れてくれない。そうなれば、上京時に両親から借りた借金を返すことはできなくなるし、そう考えるとバイト先だって考えなきゃいけない。

けれど、就活をするために新しいバイト先に変えるって、それはなんか本末転倒じゃない?そう思う私もいるわけで。
本来は年度内に済ませたかった就活。私が意味もなく躊躇しているのか、選びすぎているのか、どうしても心の中に残るモヤモヤが拭えない。

少しでもポジティブに思考を変換しようと、無理にでも前向きなことを考えてみたりもするのだけれど、言葉というのは正直で、どうしてもパソコンの前に向かって文章を書こうとすると、後ろ向きな内容ばかりになってしまうので、今日は無理に自分を鼓舞させず、自分の苦しみや不安と向き合ってみることにした。

旅行というのは、普段慣れない環境に行くことになるため、自然と人間の本能的な警戒心が強くなり、いつもより脳が回転するのだという話を、ついこの間テレビで見た。

日常的にそれを活かすには、肝心な作業は普段と違うところで行ってみるとか、部屋の模様替えをするとか、環境を少しでも変化させることでその効果を疑似的に発動させることができるそうだ。

今、私に必要なのは休息なのかもしれない。
ブラック企業を退職して、げっそりしていた当時の私はそう思って実家に帰ってきたのだけれど、退職したのは昨年の10月末。もうすぐで半年経つのだから、休息としては十分な時間を過ごしたと言っても過言ではない、はずなのに。

地元の狭いコミュニティの中だと、どうしても誰は結婚しただとか、誰はどこの大学を出てどこに就職しただとか、同級生のそんな情報が耳に入ってくる。そうして、周回遅れをとっていた自分が取り残されていくのを実感すると、どうしても自分がひどく惨めに思えて仕方がなくなる。

いい加減社会復帰しなければ、と焦れば焦るたび苦しくなるし、実家からほど近い地元の店であるバイト先では知り合いに会うことも多く、その度にうまく笑えなくて、死にたくなる。

思い詰めれば思い詰めるほど、バイトに行くのも苦しくなって、いつも当欠する。
考えすぎなのは良くないとは思うのだけれど、中々私の劣等感は根が深いな、と感じる。

今日もこの後バイトなのだけれど、どうしても土日は知り合いの遭遇率が上がる。
今日はどこかこのままだとバイトに行くのが難しいような気がして、少しでもここに言語化して、客観視することで対策を図ってみる。

そんな10日目。今日は今冬最後の寒波らしい。

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