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折れた心を補強したい

このことを、誰かに話したことがありません。
それは今まで自分の中で処理できていないから。もう2年も前の出来事なのですが、それでも未だに私の中に遺恨を残しています。

高校を卒業し、進路に悩んだ挙句1年働き、奨学金を借りて、学費も全部自分で払うから、と親に頭を下げてまで通った専門学校。
当時はいわゆるデザイナー、主にWeb制作の領域について学習をしていました。

そんな専門学校を中退するに至った理由。
今日はそれについて、書いてみようと思います。

01.強烈な一言

きっかけはたった一つ。今でも鮮明に覚えています。
デザインの授業の先生が、私に放った一言です。

「上手いんよ。例年やったら全然文句なしで満点の評価出せるクオリティなんやけど、今年は無理やな」

……は?は!??!?

その時抱いた感想はまさにそれでしかありませんでした。は?
いや今でも正直おんなじことは思うんですが、いや言いたいことはね、分かるんですよ。そんな誰でも彼でも満点くれたら評価基準おかしなことになっちゃうってね。うん。でもそんなん生徒に直接言う!?

確かに私の入学した年は生徒数も異例の年で、母数が大きくなれば当然のことですが、学生離れした高いデザイン力を持っている人もたくさんいました。
こんな人たちと肩並べてやっていかなあかんのか……入学当時はげっそりしたのを覚えています。

それでも、高い学費を自腹で切って、奨学金まで借りて、当然一人暮らしするお金もないので実家から毎日片道2時間もかけて通った専門学校。絶対にデザイナーになってやるって思ってましたし、人より勉強すれば追いつけるって、本気で信じて疑いませんでした。必死でした。

明らかに先輩たちよりも高い技術力を持った同級生たちに怖くなりながら、必死に、必死に頑張りました。毎日5時に起きて学校に行って、23時までバイトして、そこから毎日制作。ただえさえ人より体力のない私です、本当に死ぬかと思いました。

デザインとは、決まった正解のない分野です。
だからこそ、難しいし、楽しいし、やりがいがある。

でも、誰よりも頑張った、という自負があったからこそ、先生のその一言に、私の心はポキっと折れました。

02.デザイナーを諦めて、2年

デザインの世界では、ポートフォリオと呼ばれる自身の作品集を提示し、その内容でデザイナー個人の実力を測ります。それは名刺代わりのようなものでもあり、履歴書代わりのようなものでもあります。

退学を伝えた時に、担任の先生からは、
「にゃみさんが頑張ってたのは分かっているし、他の人にはない部分でちゃんと実力のある人だから、勿体無いよ」

業界を諦めないなら、実務未経験でもスキルがあるって、ポートフォリオで示せば、採用してもらえるところもあるから。
先生はそう声をかけてくれました。担任の先生は、前々から私のプレゼン能力や言語化能力、グループワークなどのでの主体性を高く評価してくれていました。

でも、どうしても、デザイナーの道を目指すのは怖かった。
同級生の中ですらもひとつ頭抜けることができなかった私が、副業ブームで溢れるデザイナーの中を、くぐっていける自信がない。
何よりも、現役の先生に自分の作品を否定されたことで、その作品を誰かに見せることが怖くなった。

結局、私は考えることを放棄して、取り敢えず働こうと上京。
それでまた、入学前と同じようにだらだらとフリーターを続けました。

私が今、就活で苦しんでいるのは自業自得だって分かっています。
あの時、少しでも自分の中で悔しさが勝っていたら?逃げなければ?そんなことを嫌でも思ってしまう。

楽しかったデザインがいつの間にか苦しいものになってしまったように、好きで始めた仕事も、いつかは苦しくなってしまう。
世の中に楽な仕事なんてありませんから、当たり前です。
私のこの考え方は甘えなんだって、分かっている。

だからこそ、その苦しさをゼロにするのではなく、少しでもウェイトの軽い方に。
そう思うと、やっぱり「創る」という仕事は私にとっては天職で、これと言ってないもの。あの時諦めなければ、今はもっと楽だったかもしれない。そんなふうに思ってしまう。

こうして書くこともそうですが、「創る」ということには、一定の苦しみが伴います。きっと私も専門時代、そこを我慢できれば変わったのかもしれません。
けれど、当時はどうしても「私は”勉強”すればできる」という、過去に縋った先入観がありました。

今でも払拭できた訳ではありませんが、当時よりはマシかもしれない。
何よりも、絶対的自信のあった勉強という分野で、「お前はできない」と、目に見える形で烙印を押されてしまったことが、きっと苦しかったんだと思います。

旅館での勤務経験を経て、なんでもやりこめば、やり続ければ人間はなんとでもなるんだ、と小さな成功体験を積んでしまったことが、当時の私を天狗にさせていたのでしょう。
今更反省しても時すでに遅し。余計に自分の経歴に傷をつけて、終わってしまいました。

今からでももう一度、デザインの勉強ができたらな。
最近は当時の傷が癒えたのか、もっと悲惨な状況になってやけになっているのか、そんな事をぼんやりと思うようになりました。

でもそのためには、せめてバイト変えないとなあ……。
今のバイト先ではそのウェイトが重くなりすぎる。今日もたった4時間これっぽっちなのに、水の一滴も飲む時間なく、ずっと息切れしたまま業務に殺されていました。む、無理……パニック状態……。


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