根底思想 or 迷い

職場の人が、退職するそうだ。

やりたいことをやる、夢のために辞める。朝礼の際にそう聞いてから、ずっと心の中に靄がかかっていた。
だから尋ねてみた。「どうして辞めるんですか?」

すると彼女は「ワーホリに行くのだ」と言う。

いいな。

ふと、私の心の中に、ポツンとその言葉が浮かんだ。


私はかつて、ドイツ留学を志していたことがある。
とはいえそれは何となくで、特にドイツに対してなにか強い思い入れがあったとか、そういう訳でもない。ただ、なんとなく漠然と「ドイツがいい」そう思っていたことがある。

精神疾患に罹ったことで、その夢は断念したが、結局進学した高校は国際科だった。1ミリも身についていないが、英語の勉強に励んだ。

今仮にワーホリに行けるとして、ドイツに行くかは分からない。正直なところ、今でもドイツに強い憧れがある訳でもない。
ワーホリを検討したこともあるが、本気で「行こう!」と思ったこともない。

なのに、なぜ羨ましいと思ったのか。

ただ、海外に行きたい、海外を見たい、と思う心。そして、それに類する感情は、私の中から消えていないことにふと気付いた。

「色んな文化に触れたい」と思う感情。

井の中の蛙が、無知が罪だという認識は変わらない。だからこそ、高校を卒業してから静岡に行ったり東京に行ったり、当時はリゾバを利用して色んなところを巡るようにしていた。
その一方で、そのまま東京に定住しようとしたり、結婚願望が薄ら出てきたり、安定を求める気持ちも現れつつある。

20代の頃は経験不足、知識不足によって考えが良く変わる、という話をなにかの本で読んだことがある。
けれど、それでも退職していく人に対して「羨ましい」と思う感情が自分でもあることにびっくりした。

考えが定まっていないからこそなのか、根底思想にあるものが抜けきらないからなのか、判断に迷うところである。

今日の話には驚くほどオチがないのだが、備忘録的に残しておきたい。

いつかは私もワーホリ行くのかなあ。行けるなら行ってみたいなあ。

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