見出し画像

えっ? ドイツに電話するの?

よく韓国人と間違えられた。韓国の人にはそう見えるらしい。ソウルではよく呼び止められた。最初は何故かわからなかったが、地下道で困った様子の家族に声をかけられたとき、道を尋ねられているのだと気がついた。

フィレンツェでアルノ川沿いを歩いていたら、韓国の人に道を聞かれた。私が同郷だと勘違いして嬉しそうだったので、少し申し訳なかった。聞けば、待ち合わせ場所に行きたいのに迷ってしまったそうだ。彼らの集合場所はとても遠かった。女性は車椅子に乗っていたし、そんなに遠くが指定されるのは信じがたい。近くに似た名前の場所があるからそちらではないか?と聞いてみたけれど、彼らは自信を持って最初の方だと言う。
それならわかりやすいところまで一緒に行こうと歩き出したら、彼らと同じツアーの人が見つけてくれて追いかけてきた。これで一安心。

中国の人も私のことを中国人だと思うようだった。フィレンツェ在住らしき中国人にはよく話しかけられた。中国語しか話さない人もいて、なかなか困った。たいていは中国人ではありませんと、英語で何度か言うとわかってくれた。彼らは使える言葉が中国語のみでも困らず生活できるらしかった。
サンタマリアノヴェッラ駅の階段の近くでは中国語の新聞が売られていた。それはイタリアで発行されていたようで、少し羨ましかった。輸入されてくる日本の新聞は高価だったから。


「ヘルプミー、ヘルプミー」と必死に、いろんな人に話しかけている人がドゥオーモ広場にいた。誰も助けてくれないのか、次々と話しかける人を変えていた。ヘルプミーの言い方が日本人っぽかったので一瞬そうかと思ったけれど、日本人はきっと目立つ事はしない。

やがて、こちらにやってきた。サンマルコ広場に行きたいらしい。

たったそれだけ?
行くのは簡単、あの道をまっすぐ行くだけだよ、と教えても、ヘルプミーとすがってきた。
サンマルコ広場からバスに乗るらしい。

近いし、一緒に行くことにした。すると彼女は中国語でおじさんの集団を呼んだ。みんな、濃い色のスーツを着ていて、丸く固まっているのはペンギンみたいだった。ペンギンおじさんたちは全く焦っていなかった。ゆっくり歩いて、途中で写真を撮ったりしたから列が長くなった。彼女はキッと振り返って、おじさんたちを注意した。そして、向き直って腰を低くして「ヘルプミー、ヘルプミー、サンキュー」と言いながらついてきた。

到着すると彼女はさらに焦った。彼らのバスがいないからだ。
まぁ、そうだと思った。サンマルコ広場にはバスが停車して待っていられるスペースは無かった。
カヴール通りにいるかもしれないよ?
でもいなかった。

彼女は電話をかけると言い出した。私の持っていた携帯(ガラケー)を指差して、それでかけられるか?と聞いた。

どこに?
ドイツ。


私は携帯を持ったばかりで、ヨーロッパの携帯電話事情なんて知らなかった。そもそもかけられたとしてもドイツまでの電話料金って一体いくら?
怖くなって、広場とカヴール通りの、角のタバッキに聞きに行った。公衆電話でもかけられるそうで、そうすることにした。彼女がキッと何かを言うと、ペンギンおじさんがテレホンカードを買ってくれた。

彼女の勢いに圧倒されて忘れていたけれど、電話料金はあまり気にしなくても良いのだった。私の携帯はプリペイド式だったので、後から高額請求なんて事は起こらない。

ともかく、公衆電話から無事にドイツに電話をかけられた。電話先に恨み事を言っているような口調だった。電話中の彼女にスリが近寄らないように私は警戒していた。

電話が終わると彼女は落ち着いて、なんと流暢な英語を話し出した。道を間違えてバスの時間に遅れたことや、彼女が中国から来た添乗員さんであること、今日のうちに中国に帰ることなど話してくれた。最初から説明してくれていれば、きっとイタリア人が助けてくれたんだろうなぁ。

やがてバスが迎えに来た。ドイツには旅行会社があったのかな、電話先の人がとにかく助けてくれたようだ。みんなバスに乗り込んで、窓からこちらを見てくれていた。お互いに手を振って笑顔で別れた。

12月になって中国からクリスマスカードが届いた。そこには美しい文字で感謝の言葉が綴られていた。

#創作大賞2024

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?