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アドリアンイングリッシュ5 瞑き流れ~二人の戦争の跡地を眺める~

怒濤の勢いで、1~5巻まで読み終えてしまいました。
4巻までが、ジェイクの頑なな鎧と檻と静かに、時に激しく対峙するアドリアンの物語でしたが、5巻はアドリアンの折れてしまった足と道標をまた築き上げるようなものが足りでした。アドリアンの書店の増築工事の最中に現れた、50年前の白骨死体。過去のミステリーの謎解きはこれまでと違って静かにどこか夢を見るような現実感の淡さで進んでいくのですが、だからこそ主人公二人の微妙な距離感や50年前の人物たちの慟哭が響くような読後感でした。

前回のラストで、ジェイクが、彼が40年間築き上げてきた「普通の生活」のために自分を見殺しにするかもしれないと思った一瞬で、ぽっきりと折れてしまったアドリアンの心。今までのアドリアンの飄々とした姿からは一変、彼の足元の覚束なさや不安定さが、どこかとりとめのない文章にも現れているようです。
もしかしたらそれまでのアドリアンだったらすぐに立ち直ってジェイクとの関係に決着をつけられたかもしれませんが、気力体力ともに落ちてしまったアドリアンは、なかなか決断をすることができません。
そんなアドリアンから、拒否されたり、期待を持たせるような言葉を投げかけられたり、振り回されながらもジェイクは穏やかに彼の隣に立っています。時に不機嫌になりながら、それでも少しでもアドリアンの傍にいる時間を引き延ばしたいと、彼の態度からひしひしと伝わってきます。

身体は健康とはいえずとも、常に精神はまっすぐでたくましかったアドリアン。そんなアドリアンの心ですら、ぽっきりと折れてしまった。
どんなに強い心の持ち主でも、時には折れてしまうことがある。私もずーっとハードにこなしてきた仕事が、ある日突然ふんばりがきかなくなってしまった経験もあって、その時のやるせなさや自分の気持ちのままならなさ、そして自分や周囲への信頼が、信じたいの信じられない、という気持ちもどこか想像がつく……何かを信じるというのは、実は途方もなくエネルギーがいることなのだと。

50年前の事件を追うので、舞台の2000年代のロサンゼルスと状況は違うけど、事件を追う中で、いろんな人の人生の分岐点や末路をアドリアンが自身やジェイクに重ねるのも切ないです。特に事件の真相は、前作のジェイクが「選んだかもしれない選択」だとアドリアンが恐怖する内容と酷似していて、アドリアンと同様に私も心も乱されました。

このシリーズは終始アドリアン視点で進んでいたので、ジェイクサイドは推し量るばかりだけど、今作では鎧と檻から解放されたジェイクはびっくりするほど穏やかで丸裸。彼が見せる新鮮なふるまいや、彼が今まで歩んできた戦いの跡地が静かに描写され、それをアドリアンの視点を通してみることができます。
アドリアンすら踏み入れられなかったジェイクの戦い。40年という長い時間にわたる彼の戦争がひとつ終わったんだな…っていう、決して幸せとは言えない、虚無感にも似た余韻があります。特にジェイクが元妻と暮らしていた、今となってはがらんどうになってしまった部屋でのやりとりは、ふたりのロマンス以上に胸にせまります。
ジェイクは決して饒舌ではないし、この巻を迎えても彼の不誠実がすべてつまびらかにされたわけではないです。そして今まで不誠実だった男が、これからもずっと誠実でいてくれるのか、信じられない気持ち……
人間関係における信頼という意味で、ふたりはギリギリのところにいます。客観的な事実を並べるなら、決して二人は一緒になるべきではない、と多くの人が言います。
でも、誰よりもジェイクの素の姿を見てきたアドリアンが、ジェイクの手を取る選択は、ある意味希望のようにも見えました。

誰にだってあやまちはある。アドリアンはジェイクのこれまでの行いに傷ついて、まだ許せない部分もあって、でもそれを差し引いてもジェイクを受容する。彼の愚かさや不器用さも含めて、まるっと愛してくれるようなそんな希望。

二人の壮絶なロマンスに、特に4巻からは私も怒ったり泣いたり傷ついたりとても感情を揺さぶられながら最後まで読みました。この作品を日本に送り届けてくださった翻訳者さん、原作者さん、本当にありがとうございます。

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