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甘酸っぱい恋心

自ら瓶に入れた様々な種類の宝石たち。お気に入りだけ集めたそれは、既に開かずの秘宝と化している。こたつの隅にぽつんと置かれたその秘宝は、どこか寂しそうに出番を待っており、手を伸ばせばすぐに届くのに、私はそれをいつも眺めるに留まっている。中身を確かめたいとも思うし、堪能したいと切望しているのに、この手は伸ばせない。

そういう呪いに掛かっているから。

目の前に存在する美しいものを手に入れられない切なさは、どうにも表現し難いものがある。苦しいような、煩わしいような、物悲しいような。いっそその存在を忘れてしまえたら、この感情から解き放たれ随分楽になれそうなのに。

忘れられない、忘れたくもない。

宝石をいくつも瓶に詰めたときの心の高鳴りを、今でも鮮明に思い出せてしまう。どれもこれも好きなんだ。私が選んで囲ったものたち。味わいたいのに、どうしても出来ない。時が経てば呪いも解けるだろうか。無期限の呪いだ、そんな簡単に解けるはずもない。

それでもどうか待っていて、いつかきっと迎えに行くから。

いつか、いつか、いつか。そう、私の姿が変わっても、どうか驚かないでほしい。私の心は変わらない。いつでも君たちのことを想ってる。


私の愛しい、クッキーたち。



瓶に詰めたクッキー、ダイエット中の為封印中。食べられないと分かっていながら未だに美味しそうなものを発見すると買い求めてしまう。当然、観賞用と成り下がっているが、見るだけでも心が踊るフォルムをしているそれら。ダイエットが成功したら、この糖質たっぷりのクッキーをコーヒーとともに貪るように食べてやるんだ!と、自分へのご褒美のように丁重に扱っていたりする。

しかし、手を伸ばせないものってどうしてこんなに魅力的なんでしょうか。高嶺の花と化したうちの瓶詰めクッキーもそうだし、芸能人とか、漫画やアニメの中のキャラクターとか。届かないと分かっているから手を伸ばそうとも思わないけれど、見ているだけで満足なほど美しいものに、想う気持ちだけは大きくなっていく。まるで一生続く片思いのようだ。あの甘酸っぱい気持ちをどうにも心の内に秘めておくことが出来ない私たちだから、誰かと語り合いたくなったり、表現したくなったり、発散しないと歯痒くて仕方がないのかもしれない。

それでも、そういうものだから魅力的なのであって、手に入れてしまったら途端に普遍的なものに感じられてしまったりなんかして。手が届かないから特別で、誰のものにもならないから崇高で、運命的に絶対交わることもないからこそ憧れたりする。

手に届かないものはきっと、届かないままの方がいい。一生片想いのまま、美しいまま、思い出になってくれた方がいい。それを汚してもいいから手に入れたいと思ったとき、その気持ちこそ「恋」と呼ぶのかもしれない。恋とは憧れを捨てること。自分の色を混ぜてしまうこと。恋の甘酸っぱさの酸っぱい要素は、もしかしたら背徳感なのかもしれない。

食べてしまいたいくらい愛しいお気に入りのクッキーたちへのこの気持ちも既に、恋と呼んでもいいのかもしれない。

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