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諦めるにはまだ早い

流れに身を任せることに慣れてしまって、私はなんの努力もせずくらげのように漂って、それが一番気楽で賢いやり方だと思っていた。

中学生のとき、友人とひょんなことから人生観について語る機会があって、その友人は今の私と全く同じことをその当時から主張していた。流れのままに、何にも逆らわず、ただ生きていくのが楽だと。私はその意見に反対し、「私は流れに逆らって生きたい。その方がかっこいいじゃん」と言った覚えが鮮明にある。反骨精神だけは強くて、理想が驚く程高くて、かっこつけたがりの人並みの中学生。ただそれだけの存在だったくせに。過去の自分が馬鹿みたいにかっこいいなと今では思ってしまうほど、私は世間に揉まれ過ぎたのかもしれない。

現実が見えるようになる。歳を重ねるというのはきっとそういうものだ。夢が見れなくなる。叶わない夢の方が多いと、悟ってしまから。安牌ばかりを取ってしまう癖がついて、手の届かないものには目もくれなくなる。幼い頃に比べると、世界はどんどん小さくなって、守りばかりが堅くなる。その小さな世界の中で手に入る幸せを掴むことだけで精一杯になっていく。

でも何が変わったのだろう。中学生の私は、どこかへ行ってしまったのだろうか。夫がいて、子どもたちがいる。私には確かに守るべきものが増えた。それでも私自身は、死んでしまったわけではないのだ。何かを達成して満足したわけでもない。人生の終着点にいるわけでもない。何かを諦めるのはまだ早いはずなのだ。盾を持ってしまったら、剣を持てなくなってしまうのか。折角腕が二本あるのに。

与えられたものだけで満足しようとしてはいないか。求めることを忘れてはいないか。予測を裏切ることの楽しさを忘れてしまってはいないか。身体も頭もまだ動く。守備だけに徹するにはまだ早い。

当たり前、という流れがあるなら逆らおう。楽しいことを存分にやろう。なあなあで生きていたってどうせかりそめの満足感しか得られない。有言実行。中学生の頃の私があっと驚くくらい、かっこよく生きよう。今後の自分に期待。

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