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今、最高にわくわくしてます

お久しぶりです。えいちゃんです。現在AM1:22、こんな時間に書いているということは、そう、今書きたいこと、今じゃなきゃダメだって思ったんです。

6月9日10日と岡山県で開催されたコノユビトマレ合宿@井原に参加してきました。これはマイプロのキャンプなのですが、そこに備中志事人、NPO法人カタリバ、NPO法人だっぴ、NPO法人青春基地の4つがコラボというかなり豪華なものになってました。マイプロなので内容は中高生が中心。(マイプロジェクトで検索!)

実は私えいちゃんは大学に入学したことを後悔していて、1年半という長い間毎日人生について悩んできました。そして、テスト週間も重なった結果悩みが拗れて「生きているいみがわからない」し、勝手に涙が出るし、もはや鬱になりかけてました。悩みのピークだったのかもしれません。そんな中、この合宿の情報を手に入れた私。対象が高校生なのは承知の上で、大学生も参加可能な模様。「今、この状態だけど、参加したら私にもやりたいことが見つかるかもしれない!」そう期待を込めてマイプロに臨みました。

でも実際は、「ただただ中高生に圧倒され、自信をさらに失った」これが本音です。

マイプロには3つのグループがあって、1つはやりたいことが具体的になっていてさらに深めていくグループ。2つ目はやりたいことがあるがそれが具体的に定まっていないグループ。3つ目はやりたいことすら分からないグループ。もちろん私は3つ目のグループです。ただただ1つ目、2つ目のグループの中高生に圧倒されてました。かなり虚しくて、情けなくなって思わず涙が出るほどでした。けれどそこには支えてくれる大人が、先輩がたくさんいました。私の悩みを受け止めて「苦しかったね」って言いながら一緒に考えてくれる大人が。自分のことのように一緒に号泣してくれる先輩が。その方々に支えられながら私がやったのは、「まず自分自身と向き合うこと」。何かをやるためのマイプロというより、自分と向き合うマイプロという体でスタートしました。それをやっていく中で、2つのことが分かりました。それは

1.自分は自分が経験したことしか信用できないこと2.自分の中にやりたいことがあったこと

ここからは私が実際に考えたマイプロを読んでほしいです。↓

私が考えたプロジェクトは

です。これは私の日常に感じているもやもやを解消するプロジェクトです。

きっかけは、YouTuberのKemioの動画を見たことです。Kemioの視聴者さんがKemioに職業はなんなのかと尋ねたとき、こう答えたんです。「Kemioです。私の職業はKemioです。Kemioになりたいんです」って。YouTuberですって答えてもよかった質問。それでも聴いた私には、「自分を売っています、自分自身で完成してます、自分に価値があるんです」そういう風に聞こえた。純粋にこんな生き方がしたい!!!そう思ったんです。

でも、思えば私たちはたくさんの”枠”の中で生きています。それもたくさんの。例えば常識、肩書、レッテル。髪を黒くしなさいとか、大御所の中で若者が発言することへの非難とか、葬式で喪服をきることとか…。髪が茶色いとその人の能力って低くなるのでしょうか?大御所ってそんなに偉いのですか?黒い服じゃないとその人を弔う思いが薄れるのですか?本来私たちは自由なはずであり、制限といえば最低限の憲法や法律。だって、常識を守らなくても罪にはならないんです。肩書もそうです。ホームレスが社会不適合者だとか中卒やフリーターが劣っているとか浪人がとか、そんな”枠”もともとなかったはず。”枠”を作るということは他人に自分の価値観を押し付けているだけではないでしょうか。私たちはもっと生身の人間と向き合うべきだと思うんです。中卒でもフリーターでも想いを持っている人はいて、それを1つにまとめるのがいかに勿体ないか。人間は1人1人がその人らしさをもっていていい。変に干渉せずに自由に生きていいんだ、他人の価値観で縛るな。こんな思いから、「個々を認める」という意味で「いろとりどり」という名前を付けました。それぞれがそれぞれの色で光って、混ざらずきれいに点在するように、鳥取だっぴのえいちゃんじゃなくてえいちゃんとして存在することを見てくれる社会、誰もがオンリーワンの存在である社会。そんな社会で私は生きたい。だからまず、小さくていいから

あなたの価値観私の価値観の違いを知る場を作りたい

フラットな場で人が1人の人として存在する場。否定・肯定ではなくて価値観を知る、その人らしさを知る、納得しなくても自分に落とし込まなくてもいい、結論なんてださなくていい。ただそれぞれの考えがあることを知る場、これを作りたいんです。

今やっている鳥取だっぴはフラットな場ではあるんです。でも、だっぴはゲストとして社会人をお呼びするからどうしても社会人の考えを学ぶ雰囲気が強くなってしまう。しかし、他人の意見は他人のフィルターを通してのもの。あくまで自分の考えで自分の答えを見つける人でありたいんだ。そういう人を増やしたいんだ。だから私が作りたい場とは少し違うんです…つまり

どうやったらこういう場がつくれるのか悩み中!

ってわけです…。

まだまだ未完成ではあるけれど、生きる意味が分からずにしんどい毎日を送っていた私が、こんなに思いを語れるほどのものを見つけることができました。全ては、マイプロに参加する勇気をくれた人、一緒に泣いてくれた人、自分のことのように「うんうん」って聞きながら悩んでくれた人、刺激をくれた人、自信をくれた人、何より「この合宿を企画・運営した人」沢山のひとのお陰でここまで進めました。マイプロに参加して本当に良かった。この場でもありがとうを伝えさせてください。本当にありがとうございました。


そして6月11日。ずっと待っていた「20代に伝えたい50のこと」の著者秋元祥治さんが鳥取に来られる日でした。進められて読んだ本のなかには心に刺さる言葉がびっしりであの本を読んでから私の視点は大分変わったのを覚えています。その著者の生のお話が聞ける!とっても楽しみでした。

感動した

薄っぺらく聞こえるかもだけどシンプルな感想はこれです。本で読んだ内容だけどやっぱり本人の思いが加わると全然違いました。言葉1つ1つが温かすぎて思わず目から涙がでました。秋元さんの言葉は心に刺さるけど痛くなくて…。都合のいい解釈ではあるかもだけれど、思ったことを素直にいってしまう私でも生きてていいんだ、存在しててもいいんだ、そんなふうに感じられる言葉が沢山あって純粋にうれしかった…。それだけでも行った甲斐がありました。でも本当の目的はそのあとにある懇親会で秋元さんにマイプロを聞いてもらうこと。ただ、秋元さんと話すのは正直敷居が高い感じがして、実はかなりびびってたんです。

講演のあと運営メンバー達大学生と社会人、そして秋元さんで懇親会がありました。できることなら秋元さんに見て欲しい、そうおもって実はマイプロ持ってきていました。だけど、「未完成な今、否定をされたら私は心が折れてしまうかもしれない」そんな恐怖を抱いていたためなかなか踏み出せず…。しかし、その間に他の社会人や学生と話す中で思ったんです。

色んな人を知っている秋元さんだからこそ聞いてほしいんだ。今じゃなきゃもう聴いてもらえる機会なんてないかもしれない、言わなきゃ後悔する。

だから、「秋元さん、私やりたいことがあるんです。聞いてくれませんか?」そう言うことができました。そこからは、上に書いたことを全力で泣きながら(笑)プレゼンさせていただきました。そして言われたお言葉、

あなたの思いは特別なものでもなくて沢山の人が思っている。でも思ってはいてもそれを出せていない人が多い。だから発信してみたらいいよ。あなたは一人じゃないんだから。

このお言葉があるから今こうして発信をしているということです。秋元さんに出会えて本当によかった。あの本を読んでよかった。場を作ってくださった皆様に感謝でしかないです。そして何よりあの時勇気を出してよかった。

どうやら沢山の人のお陰でまた一歩進めたみたいです。

はあ、本当に支えられてばかり。

「いろとりどりプロジェクト」には賛否両論があることはもちろん分かっています。だって、これも私の”価値観”だから。押し付ける気は全くありません。でも、日本の中にこの考えを持つ人がいるなら、少しでもいるなら私はこの思いを一緒に形にしていきたいんです。試練の日々になるとは思うけれど、それでも

信じられないくらいのわくわくでいっぱい

なんです。やっと見つけた私の想い。私のやりたいこと。

私は私が経験したことしか信用できないから、例えいばらの道でも進むんだ

よし、これからが勝負


完全に自己満足ですが書ききれて嬉しいです、良く寝れそうだ。     長くなってしまったnote、最後まで見て下さってありがとうございました。


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