子どもの頃から、文才が溢れていたことが判明した話|小2の作文を読んで
2024年夏休みしてます。頑張った上半期とそれこそ夏休み特需に対しての頑張りを慰労する4日間。
大好きな静岡に帰って、それこそ子どもの頃からお世話になっているお姉さんお兄さん同年代の友達とお酒を飲んだり、温泉入ったり海見たり。
楽しい。
そんな折、実家で母が「小2の頃の作文が出てきた」といって見せてくれた。
これがあまりにもよく書けすぎていて、文才ありすぎて感動した。少しお見せしたい。
これが小2、正味8歳の文章である。
私は小2がどんな文章を書くのかを普段から拝見する機会があるわけではないので、分かり切らないところはあるが、母曰く「昨日〇〇しました。そのあと〇〇しました。楽しかったです」という文章が常らしい。
それに比べてどうだ。
6円を拾ってからのドキドキ感、やさしいおまわりさんとのやりとりをしながら徐々に安心感を得て、最後には喜ぶ様子。家に帰ってから褒めてもらえるまでの流れのリアルさ。
こんなに表現された文章である。
小2である。
ちなみに小2なりたてである。
作文ノートの1冊目から抜粋しているから、まだ1学期の段階のはずである。
はい。自慢はここらへんにして。笑
思ったのは、
この頃から特徴出てるよね
ってこと。
普段生活している中で、自分がどんなことを思ったのか。ドキドキしたのか嬉しかったのか不安だったのか。そういう気持ちを中心に書かれているし、表現として出されている。
このnoteをはじめ、自分が書く文章って、どう思ったのか、なに衝撃を受けたのかとかを大事に書いているような気がする。
小2から本はそれなりに読んでいたとは思うけど、文章をどうやって書くのか影響を受けるほどではないだろう。小2から今までの20年間で読んできた本の方がたくさんあって、影響を受けているはずだけど、根本の特徴はあまり変わっていないのである。
つまり、何に影響を受けるでもなく、書き方を学ぶまでもなく、どんな人生を歩もうが関係なく、私の文章の特徴は決まっているし根付いているということなのだと思う。
結局、私は私なのである
最近、自分という存在について色々考えたり発見があるのですが、昔から変わってないなと思うのです。
高校生から大学生、社会人とかけて、心理学やら教育やらインプロやらを使って、いやな自分を変えようとしてきました。
自分がめちゃくちゃ頑固で、自分が嫌だと思ったことは例え他の何か大切なものを失ったとて(おもちゃとかアイドルのポスターとか大切なもの没収が森家の教育方針)譲らなかったのですが、当時は嫌いな両親に復讐をしているのだと思っていました。多少はその気もあったと思うのですが、だいぶ雪解けして自分としてもクリアになっている今、仕事がなくなろうが将来のキャリアを捨てようが、やりたいことこだわりたいことに邁進しちゃう。
他にも、私は自分の気持ちを言おうとすると泣いちゃうのですが、以前は「自分の話を聞いてもらってこなかったから泣いちゃうのだ」と思っていました。でも、そういう悲しい気持ちをさまざま解消してきた今、変わらずちゃんと泣いちゃいます。
いくら練習しても音符を読めるようにはならないし、自分がやるべき作業は忘れず頭にあって効率よく進めていけるし、永遠に子どもと遊んでいられる。
なんだ。
元々こういう人間なんじゃないか。
そしたらもう、治すとか治さないとか、変わるとか変われるという話ではなくなる。磨くか無駄にするかの違いである。
そう思うと、ワクワクしてきますよね。私はしてきます。
とりあえず、文才を磨いて作家になろうかな。(それは違う)
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