このところ、通訳者やそのためのトレーニングを積んでいる方と一緒に仕事をしたり、話を聞いたりする機会があった。
  ずっと「書く」世界専門でやってきたわたしは、「話す」職業である通訳者とはあまり接点がなかった。著名な通訳者であり、かつエッセイストや小説家という人たちの著書はあれこれ読んだ。けれどもたいへんな職業だなぁと思うだけで、自分からは遠い遠い世界としか感じられなかった。
 ところが、通訳者の話を直に聞いてみてわかったのは、これが想像をはるかに超えて基礎力と瞬発力を求められる仕事だということ。
  まずはトレーニングだ。あるスクールでは辞書を1冊丸暗記しなければならない。毎週単語テストがあるが、満点をとって当たり前だという。いや、翻訳スクールだって課題はあるが、家で時間をかけて課題をやり、当日は(事前に)それを提出すればよい。
 だが通訳者にとっての宿題は、「やってくる」のではなくて「できるようにしておく」という意味なのだ。政治や環境や科学技術といったオールラウンドなトピックの音源が渡されるが、もちろん文字情報はない。その内容を把握し、次の授業までに、それに対応した内容を日英両方で話せるようになっていなければならない。しかも「英作文をしてから暗記し、それを当日話す」のではだめで、反射的にその場で言えるようになっている必要がある。
  なかには、毎週午前と午後で別のスクールに通っている人もいる。課題もダブルになるし、方法論もそれぞれ違う。平日は会社員をしながら週末は2つの通訳学校に通うなんて、いつ宿題をやる(つまり、「できるようにするための時間」をとる)のだろうか。
  社会人だけではなく、大学で通訳コースをとっている学生もいる。高校までとは比べ物にならない厳しい英語の訓練に音を上げることなく「スポーツ通訳者をめざします!」「放送通訳者になります!」と将来を語る。 
 そして、こうしたトレーニングを経た第一線の通訳者というのがまたすごい。通訳者のほかに大学の専任講師として、ときには高校にまで出張して熱く学生を指導したり、国際英語コミュニケーション能力検定優勝を果たしたり、全世界が注目した先日のイベントで放送通訳を担当したりと、活躍ぶりは目まぐるしいほどだ。スキルはもとより、このアクティブさの源はどこにあるのだろうか。すごいなぁと見上げるばかり。
  学生や社会人で通訳訓練を受けている人たちや、じっさいの通訳者とこうやって話していると、なぜか自分までポジティブになってくる。
「話す」世界の人たちは正のエネルギーを発散しているので、話しているとその「気」がこちらにも入ってくる。凄まじい訓練をくぐり抜けてきた、あるいは現在その最中という人たちなので、爆発的なバイタリティをもつ。
 それを分けてもらうと、自分の集中力もチャージされたようだ。さて、続きの仕事をすることとしよう。

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