ひょんなことから文房具ジャンルの仕事をいただくようになった。いま仕掛り中のひとつが手帳本だが、わたしは文房具に詳しいわけでもこだわりの手帳人というわけでもない。ふつうのビジネス手帳にスケジュールをボールペンで書いていくだけである。
 そういうテキトーな手帳ユーザーなのに、知り合いでもなく名前すら知らない、取材に行ったわけでもなく1回も会ったことがない人の手帳の中身(の写真)を、これまで百数十人分も見てきた。つまり手帳本の校正をしたのだ。
 有名人でない限り、ひとりの手帳を紹介するのは1ページや2ページということが多い。だが、それを眺めているだけで、ヒトサマの人生を覗き見しているようでどきどきしてしまう。
 副業、家族(パートナーやご両親やお子さんやペット)、健康状態や治療の経過、経済状況(借金とかも)、食生活(ハレとケそれぞれのモットー)、昔あった嫌なこと、大事な友だちは誰なのか、そして、人生でほんとうに大切にしているものは何か……。
 ここまでプライベートを知ってしまっていいのだろうか。これが「公開OK」のページなのだ。きっと、その他のページには人生そのものが息づいているのだろうなぁと思う。
 もちろんこれは、見知らぬ他人だからこそ許されることである。知り合いなら、いや、家族や仲がよい友人だったら、手帳なぞ見せられない。それが比較的「安全」なページであってもそうだ。
 関係が近ければ近いほど、略語ひとつが何のことかわかる。自分にしかわからない「暗号」で書いたりスタンプを押すだけでも、バレていないと安心できるはずもない。
 家族とはSNSでつながるのを拒否しているのに、昨日会ったばかりの人とつながるのはOKという人は何十人も知っているが、それと同じ心理ということなのか。
 いや、手帳はSNSよりもずっと本来の姿に近いはず。インスタではキラキラ投稿オンリーの女性が、鍵アカのツイッターでは根暗ツイートばかりなんて、メディアの作り話ではない。実例を身近で数人見ている。どちらが「ほんとうの自分」なのかはなんとも言えないが、「飾る場所がないとやっていけない」と思う心理は理解できる。
 手帳にはウソが書けない、いや、書いてもよいが役に立たない。自分しか見ない「日記」にウソを書くのは簡単。そう、自分にウソをつかなければ、苦しさに負けてしまいそうなこととだってあるからだ。けれど「手帳」にはウソは書けない。そういうアイテムだ。
 手帳は人生。手帳を見せていただくのは、ヒトサマの人生を垣間見ることなのだ。心して向き合っていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?