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これまでの人生振り返り①

今まであまり自分の過去のことを詳しくは話してこなかったし、誰も興味ないと思っていたので、書くこともなかったけど、

宇宙の法則や占星術を伝える側になったということは、それなりに私という人がどうしてそれを確信を持って人に伝えられるのかというところがわかっていた方が受け取ってもらいやすいかなと思うので、

書くのが苦手なので、めんどくさいし避けてきたんだけど、笑
やっぱり、出していった方がいいというか、出さなきゃダメだよねと、自分で納得しているところ。

まあ、自分の整理のためと、読みたい人が読んでくれればいっかと思って気楽に少しづつ書いていこうと思います。


現在2023年4月なので、、、2015年4月(8年前にタイムスリップ、笑)

〜2015年


その頃の私は
人生最悪、体調も最悪、生きていることが辛いそんなどん底の状態でした


家族のことをどこまで書くか迷うけど、、、書けるとこまで。

主人が鬱になったのが大体この8年ぐらい前かな。
会社でパワハラを受け、精神疾患と診断され約2年ほど自宅療養。
その間、危ない状態だったので介護しながら、いろんなところに相談に行ったり、会社と話し合いしたり。子供が小学生と中学生だったので子供を育てながら、お金のやりくり。
私はもともと体が弱く、子宮内膜症、PMSなど子宮系の病気を抱えてながら必死に家族を支える日々でした。

2年ほどして夫の鬱が良くなり、会社との話し合いもついて新しい就職先が見つかり、ようやくこれで一安心と、思ったのだけど、

就職先がそこからは通うには少し遠い。
一人で単身赴任するには、まだ難しいし、家族を二つに分けると金銭的にやっていけないこともあって、家族で引っ越しすることになりました。

心機一転、新しい生活をと思っていたのだけど、、、
その引っ越しがますます最悪な状態になるとは。

長男は、中高一貫校だったので学校は変わらずにすむように、そして主人も通える範囲の場所にと引っ越し先を決めました。
ただ、次男は学校を転校させなくてはなりませんでした。
次男は小さい頃から人見知りなどしない、友達がたくさんいて快活な子でした。先生も、この子ならどこに行ってもうまくやれるでしょうねと話してくれるような子だったのですが、、
転校先の学校は酷く荒れた学校でした。

ちょうどあの頃、ひどいいじめの事件が多発していた時で、悲しい事件のニュースがあり、問題になっていた頃です。
今思い返しても、ゾッとするのですが、本当に我が子に起こり得ていたかもしれないことでした。

この話をどこまで書こうかと、悩ましいのですが、やはりまだ詳しいことや本人の為もあり(今は本人の記憶から抹消されているようです)書かないことにします。

このことで次男の性格は全く変わってしまいました。
その後転校させ、中学受験で私立に行かせましたが、友人関係をうまく築けず、また先生という人に対して不信感もあったのでしょうか、不安定な状態が続き、児童相談所に相談に行ったりもしました。
この間、主人は自分のことで精一杯だったので、全て私一人で子供のことや家族のことをしながら、そして環境を変えるため再度引っ越しをしました。

全てが綱渡り状態で、家族がこのまま生活していくにはどうすればいいか、何か一歩も間違えることができないような、そんな緊張の中で毎日を過ごしていました。

いつも、「今がどん底、ここから良くなるはず。」と思っていろんな選択、決断をしていましたが、選ぶこと全てが悪い方へ悪い方へと転がっていきました。

その後、家族のケアをしながらパートをしていましたが、もうどうにも自分の体調が悪くなりました。
子宮内膜症やPMSが酷くてもう5年ほど薬で生理を止めていたことと、更年期もあったと思います。仕事中に倒れたりと、体は限界に。
精神的にもパートの職場はパワハラ上司のいる部署で、私に直接はなかったけど、目の前で怒鳴り散らす、暴言を吐く、無視する、などを見ているのが苦痛だったし、それを誰も止めない、見て見ぬ振りをすることが堪らなく、ストレスでしたが、生活費を稼ぐために感覚を殺して働いていました。

ある時、次男が何度も同じ問題行動をするので、主人が見かねて殴ったことがありました。ちょうど雪の日でした。
次男は裸足で飛び出して、帰ってこなかったので、警察に相談に行ったこともありました。あまりの寒さに戻ってきたので雪の日で良かったのですが。

その後、次男に言われた言葉で、私がこれまで張り詰めていた一本の糸がプツンと切れてしまいました。

「全部、お前のせいだ。」と。

主人の鬱から始まり、家族を支え、子供たちのことを思い、学校、PTA教育委員会、転校や受験と、私としては夫の分まで一人で家族を支えている、そう思っていました。
そして、そのことは次男にも伝わっていると、そう思っていました。

でも、それは違いました。
お前だ、の言葉は、夫ではなく、私に向けられていたのです。

ただただ悲しくて、泣き崩れました。
その時から涙が止まらず、何も感じない状態になりました。

仕事も上の空で間違いをするし、料理をしても味を感じない無感情の時間。

自分でも、わかっていました。主人がうつの状態を見ていたので、とうとう私もヤバいなと。

ある時、買い物に行ったのですが、いつものスーパーで買い物をしようとするのですが、カゴに何を入れていいのかがわからなかったんです。
食材を見てはいるのだけど、思考はどこかふらふらと。
どのぐらいスーパー内をぐるぐるしたかわかりません。それでも何かをカゴに入れて、レジに持って行きました。
お金を払おうとして、言われた金額を財布から出そうとするのだけど、お金が数えられない。
10円玉をいち、に、、、、と勘定できないんです。

泣きながら思いました。
私、もう生きてる価値ないって。

母親として、何もできない。買い物もできないしご飯も作れない。私終わってるとそう自覚して、自分で心療内科に行くことにしました。

そして、診断されました。
「自律神経失調症ですね。」

2015年4月















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