20/04/06 日記 祖母の記憶とチャーハン

 大学に入ってしばらく、祖父母と暮らしていた。2人の娘である母にとって、同じ家で暮らしている若い人間(息子)がいることは、大きな安心に繋がっていたらしい。

 しかし、老化に従って、穏やかだった祖父がヒステリックになり、元気だった祖母が忘れっぽくなり、彼らに息子が振り回されるようになっている事実は、だいぶ心苦しいものだったようにも思う。

 自分としても、共に暮らす家族が様々なことを忘れていくのを目の当たりにするたびに、徐々に、孫である自分が忘れられていくことを実感して、どうしようもないとはいえ、やはり寂しかった。

 悲しいことに、それは祖父母も同じようで、2人とも、何かを忘れるたびに、いつも戸惑い、そして、不安そうにしていたことを、今もときどき思い出してしまう。

 ある日、祖母が、晩御飯を何にするかたずねてきた。彼女は中華料理屋の教室をやっており、孫に自分の手料理を食べさせることを、何よりも喜ぶ人だった。そこで、「チンジャオロース」と言ったところ、祖母はきょとんとして、困ったように聞き返した。

「チンジャオロースって、なに?」

 この瞬間の悲しみを、理解してもらえるだろうか。悲しいという感情は、喜びと違い、人と分かち合うことが、なかなか難しい。どこまでいっても、1人で背負うことになるのだろう。

 チンジャオロースを諦めた自分は、スーパーで惣菜などを買って帰り、家でごはんや味噌汁などと一緒に食べた。夜中に、缶チューハイを飲んで、少しだけ泣いた。

 おそらく、祖母は、チンジャオロースそのものを完全に忘れたわけではなかったと思いたい。材料を買ってきて、台所に立てば、普通に作れたのかもしれない。

 そうだとしても、あの祖母の返答が、頭の中で消えることはない。

 この話を両親にしたところ、父も母も、自分と同じように悲しみに沈んだようだった。そして、物件を探して引っ越していい、あとは心配しなくていい、とにかく早く決めるように、私たちも急いで行動するから、と矢継ぎ早に言った。

 そして、話の最後に、いずれ自分たちも、あなたに迷惑をかけるようになるのかもしれない、と寂しく笑っていた。

 さて、祖母が亡くなってから、というより、祖母が料理を作らなくなってから、自分はチャーハンを作らないようにしていた。

 祖母のレパートリーの中で、もっとも好きだったものが、チャーハンだった。ちなみに、チンジャオロースは、むしろ嫌な経験を忘却すべく、とっとと作っていた。好きな記憶はいつまでも薄れさせたくないし、嫌いな記憶はとっとと忘れたい性格なので。祖母の作ったものに、まったく及ばなかったけれど。

 そのチャーハンの記憶を忘れたくないがために、祖母が亡くなってから、自分では1回も作ろうとしてこなかった。外食で口にすることはあっても、「家庭の味」としては、記憶を上書きしたくないという、妙なわがままだ。

 しかし、今日は思い切ってチャーハンを作ってみた。 

 なんだか大げさな話だけれど、別に、大きな何かがあったわけではない。最近、こんなご時世で、なかなか外出せず自炊ばかりになっているから、気が向いたというだけ。

 それに、こういうときに作らないと、一生、作れなくなるのではないかと思って。

 そうはいっても、簡単には作れないだろうと思っていたけれど、案の定、完成度は低かった。意を決して張り切ってみたものの、案の定、ベタベタな“ヤキメシ”になる。家庭でパラパラなチャーハンを作るのは難しいとはいえ……。

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 残念な出来上がりに、1人でゲラゲラ笑いつつも、祖母にまつわるいろいろなことを思い出してしまい、少し涙ぐみながら食べた。それでも、味付けに限っていえば、あまり悪くなかったのは、祖母の記憶がそうさせてくれたのだと思うことにしよう。

 そうそう、自分の理想の人は「チャーハンがおいしく作れる人」だったけれど、今日をもって、その目標を修正し、「ぼくがチャーハンをそこそこおいしく作れるようになれるまで辛抱強く待ってくれる人」としました。よろしくお願い申し上げます。


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