20/07/20 日記

 「生きていればよいことがあるよ」と言ってくる人のほとんどは、生きていてよいことがあった人だ。「人生はうまくいかないから面白い」みたいな言葉を、人生がうまくいっている人に言われると、ほんとうに悲しくなってしまう。

 抑うつになったときは、毎日を生きることが塗炭の苦しみだった。「生きていればよいことがある」「まず生きないとダメだ」と言い切ることはできない、自分の場合、いろいろと恥を晒してなんとか生き延びたけど、生きていて“よかった”のか、まだわからない。

 「生きててよかった」と思うこともあれば、「生きることを諦めたい」と思うこともある。後者が大きくなってしまった人がどうしたらよいのか。

 世の中は思い通りにいかないし、自分の力ではどうにもならない(自分は悪くない)こともある。それでも「こんなに思い通りにいかなくて、自分が悪いとしか思えない」と感じられる状況というのはあって、そのときに「生きていればよいことがある」系の言葉が、どれだけの力を持つのかは……。

 特定の誰かを責めたいわけではないけれど、自分が病気でおかしくなっているときに「仕事休め、ちゃんと食べろ、よく寝ろ」ということを言う人がいた。金がなくて、よいものを食べる気力もわずかで、うまく寝られないとき、その言葉は「お前はちゃんとしていないな」に聞こえた。

 その人はまったく悪くないし、自分の知らない苦労が裏にあったのかもしれないけれど、よい仕事に就いていて、家庭を築いていて、病気になっても保証がありそうな人に、「仕事しなくても大丈夫だよ、1人でも楽しく生きていけるよ」と励まされた日、帰宅するなり、玄関にしゃがみ込んで泣いたこともあった。

 励ますべきか、何も言わない(しない)ほうがいいのか。

 相手に合わせて、その都度、誠実に考えるしかない。「いや、この人に、そこまでできない」と思ったら無理して共倒れにならなくてもいい。誠実に、相手のこと、自分の余裕、いろいろと考えて、決めていけばいいと思う。

 自分にできることは、「生きることを諦めたい」という感情を否定しないようにしながら、その中で「生きててよかった」を、なんとか(周りに誠実に)増やそうとすること。それにしたって、カウンセリングに通い、ようやく人並みよりやや低いぐらいの自己肯定感なのだ(と思う)から、誰かに何かを言うことが、あまり多くない。

 若いときは、もう少し、誰かをなんとかできると考えていた。たぶん、思い上がりだった。

 『ゴースト・オブ・ツシマ』を始めた。何かと時代設定が話題になるけれど、ゲームの端々に、過去のオープンワールドの名作からしっかり学んだ、良作の気配が漂う。

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蒙古の人たち・・・


めっちゃ・・・


来てる!


いつか・・・


倒すでえ~


ヨ・ロ・シ・ク!!

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