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20/06/14 日記 The Blue Nile『High』

 The Blue Nileというバンドがいる。結成されてからおよそ40年が経ち、おそらく正式に解散はしていないのだけれど(ただ、メンバーが1人脱退している)、未だにアルバムは4枚しか出ていない。

 「もっとも好きなバンドは?」と聞かれたら、とても、とても迷うけれど、おそらく、彼らの名前を挙げると思う。

 また、「もっとも好きなアルバムは?」と聞かれたら、これまた、とても迷うけれど、彼らの2ndアルバム、『Hats』を挙げるのではないか。

 2004年にリリースされた、彼らの(いまのところ)ラストアルバム、『High』のデラックス・エディションが、海を渡って、自分のところに届いた。2020年にCDを購入するという行為は、なんとも時代遅れなものだろう。

 リリースされてから16年しか経っていない音源なので、リマスタリングもされてはいるようだけれど、眼を見張るような効果は感じない。2枚目のボーナスディスクに収録されている未発表曲も、本編とそれほど異なるテイストの作品があるわけではない(だからこそ、このバンドが好きなら、ぜったいに聴いておきたい)。

 このアルバムは、東京で暮らし始めたときにリリースされ、ほんとうに、よく聴いた。「よく聴いた」という5文字で済ませるか、あるいは何百、何千という文字数を費やして、さまざまな思い出を語り尽くすか。自分ができることは、どちらかしかない。今回は、前者を選んだけれど。

 アルバムとしてのクオリティでいえば、僅差で『Hats』を挙げるけれど、自分の人生に結びついている点では、これまた僅差で、『High』が上になるのかもしれない。それぐらい、The Blue Nileの作品は、どれも大切だ。

 (あなたが、音楽ストリーミングサービスを利用したり、1年の間に少なくない数のアルバムを購入したりする習慣のある人で、もし、The Blue Nileの曲をいくつか試聴し、『High』を聴いて、何かしら、琴線に触れるものがあったなら、アルバムをすべて買ってしまえばよい。4枚しかないのだし)

 ジャケットの夜景が、そのまま、音になったような作品。自分でも苦笑してしまうぐらい、あまりにも紋切り型で、あまりにもありふれた形容で、どうしようもないのだけれど、それ以上の表現で書くとなると、相当の詩情が求められる。

 抑制の効いたシンセサイザー、最低限に切り詰められたアコースティック・ギター、ボーカルのPaul Buchananのジェントルで暖かい歌声。空にたなびく雲のような、奥行きのある音響(エンジニアのCalum Malcolmの手腕は大きいはずだ)。引き算の美学のような、遠くのほうで輝く音。

 敬虔なカトリック教徒というPaul Buchananの書く曲は、どこか、ゴスペルを思わせる。それは、ありふれた意味での「ゴスペルみたいな」という比喩とは異なり、1人の人間の祈りを思わせる、真摯な魂、虚飾のない心が現れているという意味。小沢健二が『犬は吠えるがキャラバンは進む』のセルフライナーノーツで書いていたような意味での、“ゴスペル”。

 生々しい夜の世界を間近で見るようなものではなくて、車や電車に乗っているときに、あるいは、夜中に歩いているときに、向こうに見える、夜の街の輝き。世界に知られた都会の真下ではない。人里離れた田舎の自然ではない。ありふれた街の、夜。そこには、きっと、あなたもいる。

In the bowling alleys
In the easy living
Something good got lost along the way

We could be high
We could be higher
We could be high
Yeah yeah
I wanna make you understand
We could be high

(「High」より)

 歌詞の中には、特別なことは歌われていない。どこかの街の、男女や家族のささやかな生活が歌われている。だからこそ、スコットランドのバンドが描き出すものは、遠く離れたところで暮らしているはずの、自分の心にまで届くのだと思う。

 自分にとって、10代の終わり頃にリリースされたこのアルバムを聴くことは、すばらしい音楽を聴くというだけでなく、20代のときに経験した、本人にとっては特別だと考えていて、しかし、客観的には、どこの誰でも経験するような、笑ったり泣いたりした夜のことを、一つ一つ思い出すような意味合いも持ってしまう。

 音楽が好きな人なら、そのような、自分が帰るべき世界を持ったバンドを、アルバムを、心の中で挙げられるだろう。

 The Blue Nileの『High』は、そのような1枚なのです。

 (ものすごく、俗っぽい余談として。Paul Buchananがソロ・アルバム『Mid Air』をリリースしたとき、来日の予定があり、もちろん、すぐさまチケットを購入。ところが「アーティストの都合で」中止に。その報告を雀荘で知った自分は、ショックのあまり、そのまま雀卓に突っ伏してしまった。当然、その夜はボロ負けした) 

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