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負けることがうまいボクサーの話 Red Garland『When There Are Grey Skies』

恋人が元ボクサーだった人

 井上尚弥とノニト・ドネアの試合を、居酒屋で見ていた。

 その日は、とても、悲しいことがあった。一人でいられない、というのが正直なところで、しかし、他人を過度に巻き込むのも気が引けて、何軒か、はしご酒をしていた。20時前だというのに、もう、3軒目に入った。いかにも場末の店、といえば失礼だろうけれど、カウンターと小さなテーブル、メインはホッピーと焼き鳥、そんな佇まいだった。そろそろ、こういうところが似合う年齢だ。

 店の中には、画面の小さいテレビがあった。常連客がボクシングを見せてくれとせがみ、店主は嫌な顔をせずに、日本代表が善戦していた野球の試合から、チャンネルを変えた。「勝てますかね」と店主は笑い、カウンターに座っていた中年の男性が、「勝てると思うんだけどなあ、ただ、なにがあるかわからないのが勝負だからなあ」と、うれしそうにつぶやいていた。あまりボクシングに詳しい人には見えなかったけれど、そういうことは、あまり問題ではないのだろう。ああいう試合では、とくに。

 恋人が元ボクサーだった、という女性と、話したことがある。

 わざわざ「元ボクサーだった」と書いたのは、彼女と付き合い始めた時点で、ボクシングから、すでに身を引いていたからだ。若くしてケガを原因に引退し、別の仕事に就いてから、彼女と知り合ったのだという。もう別れてしまったそうだが、付き合っていた頃は、何度か、ボクシングを見に、後楽園ホールに行ったらしい。

 もっとも、彼女はボクシングが嫌いだった。「最初はいいんです、2人とも、堂々と入ってくるから。試合が進むと、だんだん、体力がなくなって、弱ってくる。それでも殴り合っているのを見るのが、なんだか、しんどくて」という説明をしていた。

 たしかに、恋人がそういう競技に身を置いていたとするならば、そういう視点も出てくるかもしれない。格闘技というのは、少なくともルール上では、どうあっても、相手を痛めつけることが勝利につながる。その過程も競技の魅力ではあるのだろう。ただ、観る側の立場もそれぞれである。

 話を聞いたときに、驚いたのが、その元ボクサーは、いわゆる「自称」レベルではなくて、プロの世界でしっかり勝ち星を積み重ねてきた選手だったということだ。もちろん、ボクシングにはいろいろな階級があるし、団体もあるから、十把一絡げに、何勝したからどう、ということは言えない。チャンピオンになったことはないそうだから、名前を聞いても、この競技に疎い自分では、おそらく知らない人だろう。「よほどボクシングにくわしい人でも、名前までは」と彼女は笑っていた。

 それでも、やはり、プロの世界で実績を残していた人には違いない。ぼくが、「すごい人だったんですね」と言うと、彼女は、「ギャンブルばっかりしていた」と、小さな声で返してきた。しまった、と思った。

 触れてはいけないことだったか。ボクシングの道を絶たれた男が、ギャンブルで持ち崩して、付き合っていた恋人にもつらくあたって……という、古くさいイメージが頭に浮かぶ。思い出したくない、記憶の中に作られた傷を、指でなぞるようなきっかけを、こちらが作ってしまったか?

 幸いだったのは、彼女が、すぐに、あくまで元ボクサーの彼がやっていたのは、趣味の範疇でのギャンブルで、借金を作ったり、金をせびられたり、ということはなかった、と笑顔で続けてくれたことだった。ほっと安心しているぼくに、彼女は、こう言った。

 「強かったんです。ギャンブルが」

「これぐらいの負けに抑えた」

 ギャンブルとボクサー。親和性があるといえば、ありそうな話かもしれない。それでもなんだか唐突な気がして、「さすがボクサー、勝負には強かったんですね」と、こちらが愚にもつかない、気の利かない返事をすると、彼女は、もうすこし丁寧に話してくれた。

 彼は、ギャンブルで、これぐらい勝った、これぐらい負けた、ということを、かなり、きちんと話す人だった。もしかしたら見栄かもしれないけれど、勝った、と言うことのほうが多かった。そして、負けたときは、「勝てなかったので、せめて、これぐらいの負けに抑えた」と話した、と。

 彼の自白が真実だったのかどうか。ギャンブル好きの大言壮語かもしれない。しかし、自分は、なんとなく、老練なボクサーの姿を想像していた。アリスの「チャンピオン」などと重ね合わせたら、ベタすぎるだろうか。彼には、無尽蔵のスタミナも、若い力もない。それでも、敗色が濃くなれば、たくみなスウェーやクリンチで、ペースを握らせない……。

 彼女がギャンブルの話題を振ったのは、かつての恋人の面影を、勝負事を淡々と振り返る思い出を、忘れがたいものとして、大切にしていたからなのだろうか。こう書くと、ずいぶん感傷的な捉え方になる気もするけれど。

 それ以来、自分は、酒の席でボクシングの話になると、そのギャンブルが強かったという元ボクサーを思い出してしまう。名前も知らないし、顔も知らない。チャンピオンにはなれなかった。夢を道半ばで諦めたかもしれない。しかし、勝負の勘を磨き上げた、一人の男。負けることがうまい男。

 繰り返しになってしまうが、その日は、とてもみじめな気持ちだった。じめじめした思いを抱えて飲む酒は、あまり、おいしいものではない。入った店はいかにも昭和の居酒屋という感じだから、なおさら、明るくはなれない。ビールも、ハイボールも、悪いことは何一つなかったのに、少しだけぬるく感じた。まるで、自分が人生の敗残者になったかのようだ。

 しかし、生きていれば、勝ち続けることはできない。負けることのほうが多いときだってある。そんなとき、自分は、あの元ボクサーのように、「これぐらいの負けに抑えた」を、言えるだろうか。旗色が悪くなったときに、ラウンドを終わらせるゴングが鳴るまで、しつこく逃げ続けられるかどうか。勝つムードではないときに、いかに負けたときの損を減らせるか。もっとも、彼の試合を見ていないから、ファイトスタイルも知らないのに、こんなことを想像するのは、失礼かもしれませんが。

 勝負事は、勝たなければいけない。負けた側が称えられることもあるが、それは、大雑把に言ってしまえば、勝ちに向かう姿勢の美しさが評価されたからだったりする。勝ち続ける人が、結局、強い。しかし、勝ち続けられる人など、ほとんどいない。では、どう負けるか。優勢ではない状況を、どのように交わし続けるか。負けたときでも、いかに、次の勝負に引きずらないようにするか。

 そんなことを考えている間に、井上とドネアは、地上波のしつこい煽りとともに入場し、ずいぶんと多くの人をじらしたあと(これは、テレビで見ているから、演出としてそう感じたのだろう)、試合のゴングが、鳴った。

 試合の壮絶さを書き切るには、ぼくには格闘技を解説する知識に乏しいので、ここでは控えておこう。ただ、つらく苦しかったはずの1日の終わりを、もう少しだけ伸ばしたくなるほど、胸が高揚したことはたしかだ。勝った井上にはもちろん、負けたドネアにだって、感じ入るものはたくさん、ほんとうにたくさんあった。

 じっとりとした試合の余韻にひたりつつ、会計を済ませ、思わずシャドーボクシングをしそうになるのをこらえながら、酒に弱い自分が、もう2軒ほど、回ってしまった。2軒とも、店内にはジャズがかかっていた。

ボクサーだったジャズ・ピアニストがいる

 ボクシングとジャズ。繋がりがあるといえば、あるだろうし、牽強付会といわれれば、反論しにくい。似ているか、どうか。

 ジョージ・フォアマンは、「ボクシングはまるでジャズだ」と言ったらしい。そうそう、ワシントン・タイムズのスポーツ記者が、井上尚弥を「パンチの引き出しが多く、フリーなスタイルができる。ジャズのミュージシャンのようだ」と言ったこともあるそうだ。まあ、そういう人もいる、といった範疇のことだろうか。
 
 ある程度ジャズを聴いている人なら、レッド・ガーランドの名前を挙げるかもしれない。彼は、元ボクサー(ライト級)という経歴を持っていて、マイルス・デイヴィスのバンドにいたこともあったけれど、用心棒としての意味合いもあって雇われた、という与太話がある。温厚な性格だった、ともいわれているけれど。

 CBSコロムビアと契約したマイルスは、ほんとうはアーマッド・ジャマルを雇いたかったけれど、ジャマルがシカゴから出てこなかったので、ガーランドを雇ったとか、ジャマルのように弾けと指示したたとか、そういう話もある。この点に関しては、ジャマルの抑制のきいた演奏に、マイルスが共感したのかなと、自分はとらえているが、なにしろジャズのエピソードは尾ひれがやたらとつくので、ほんとうのところはわからない。マイルスがボクシングを好きだったことなども含め、興味があるなら、本人の自伝を読むことをおすすめしたい。

 レッド・ガーランドのことを、あまり高く評価しない人もいる。「カクテルピアノ」と揶揄されることもある。ガーランドの演奏スタイルは、わかりやすい。基本的に、左手でブロック・コードを弾いて、右手のシングルトーンで、コロコロとした音色を聴かせる。どのアルバムを聴いても、そんな感じだ。甘ったるいとか、いつも同じだとか、そういうとらえかたをされることがあるのは、確かかもしれない。

 村上春樹の『Portrait in Jazz』に、「レッド・ガーランドのプレスティツジ盤を買おうとしたら、店主に『若いのに、そんなつまらんもの買うことない。これを買ってじっくり聴きなさい』と説教されて、ほとんど無理矢理に買わされた」というエピソードがある。新宿にあった「マルミ・レコード」での話だという。

 ガーランドのスタイルが、悪いとは思わない。すこし聴いて(あるいは、見て)、その人だとすぐにわかる個性を持つことは、並大抵のことではない。ガーランドが、バラードなどで、控えめな音量で、パララ、とフレーズを紡ぐときの、音はいかに小さくても、しっかりと縁取られたピアノ。これを聴いて、何も感じないと言うのなら、ずいぶんと感受性の痩せた人だなと、ぼくは思ってしまうだろう。

なんだか、さびしいアルバム

 『When There Are Grey Skies』という、1962年に発表されたアルバムがある。レッド・ガーランドお得意の、ピアノ・トリオ編成だ。

 このアルバムを最後に、彼は故郷のダラスに戻って、しばらく休養してしまう。1962年だから、『Kind of Blue』が出て3年、オーネット・コールマンがセンセーションを巻き起こしたあと。のちに新主流派とよばれるミュージシャンが、頭角を現してきた頃か(ハービー・ハンコックのソロ作『Takin' Off』が出た年)。

 なんだか、さびしいアルバムだ。異様に重たいというほどではないが、明るく、球が転がるような音色を武器にしてきたピアニストにしては、いささか沈痛なムードが漂っている。

 このアルバムでは、「St. James Infirmary」が、とくに秀演として紹介されることが多い。ガーランドの演奏は、なにか、暗い。曲自体が、明るいものではないから、おかしくないのだけれど(歌詞を調べると、かなり重たい曲だということがわかるだろう)。はっきりとした輪郭のタッチはそのままでも、後ろ髪を引かれるブルージーさ、というには、少し複雑な暗さ。こういうムードは、ガーランドが、あまり感じさせないようにしていたものではなかったか。

 1曲目の「Sonny Boy」にしたって、そう。

 マイルスのバンドにいたときもそうなのだが、ガーランドは、曲の出だしで、やや強めに「ガン!」と弾き、聴き手に一発くらわせるようなやり方をすることがある。まさに、ボクサーのジャブのような、強烈な挨拶。

 ところが「Sonny Boy」では、ピアノのキラキラした音から始まることは始まるものの、すこし、弱々しい。あれっ、と思う。音が小さくてもはっきりとした粒立ちで、彼であることがわかるのに(これが「個性」というものでしょう)、いつもと違うぞ、と思わされる。

 ガーランドは、モード・ジャズや、フリー・ジャズの流れに、ついていけなかったのか。ついていきたくなかったのか。いや、ジャズの愛好家にありがちなことで、そんな理屈やエピソードを、後からごてごてとつけてしまうから、さびしく聴こえてしまうのだろうか。でも、そういうことを忘れて聴いてみても、やはり、このアルバムに漂うムードは、あまり明るくない。

 彼が、時代についていけなかった敗残者だと言いたいわけではない(ほんとうにそうなら、そもそもアルバムを残せる立場にすらいないだろう)。それでも、やはり、自分が時代の勝者でない、などということは、もしかすると、考えていたのかもしれない。

 人間はいつまでも若くない。時代についていけない(ように見える)ときが、敗北に打ちのめされる日が、いつか、あるいは、もうすでに、やってくるのだとしたら。自分は、うまく、負けられるだろうか。周りから見ると、ちょっと、さびしく見えたとしても。

 余計な付け足しをすれば、すくなくとも、ドネアには、まだまだそんな瞬間はやってこなさそうに思えた。

(CD化に際して、ボーナス・トラックとして「My Blue Heaven」が追加されている。なんとも軽快でチャーミングな演奏だ。しかし、このアルバムの最後に入っていることで、そのテンションが、また、さびしく感じてしまうのだけれど)

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