20/06/28 日記

 ゲームの中で、山道をドライブするシーンを見ただけなのに、昔、家族と長野県に旅行に行ったことを思い出して、しんみりしてしまった。実家に帰って、大丈夫だよと一言だけ言って戻りたい。

 会いたい人には会っておいたほうがいい、というのを座右の銘のようなものにしていて、そうでもないかもしれない、と思い直していたのがここ1、2年なのだけれど、そうこうしているうちに、ずいぶん人と会いづらくなってしまった。

 弦楽四重奏曲が苦手だった。

 吉田秀和は『私の好きな曲』で、「弦楽四重奏は、音楽の最も精神的な形をとったものである。あるいは精神が音楽の形をとった、精神と叡智の究極の姿が弦楽四重奏である」と書いていた。

 しかし、自分には、なんというか、ギスギスして聴こえた。第1ヴァイオリンが大きく歌ったり、個々の奏者が主張をしたりするたびに、なんだか妙にダイナミクスの幅が極端に聴こえて、アンサンブルを整えてくれる人がいればよいのに、とさえ思っていた。

 各パートの自発性や掛け合いなどを聴き取り、楽しむ耳がなかったといえば、そうなのだけれど。クラシックの「精神」と「叡智」を汲み取る素養がなかったというべきか。

 自分がそれを味わえるようになったのは、モノラル時代の音源をいくつか聴くようになってから。今の水準からいえば技巧的には劣った部分は数あれど、モノラルの、すこしローファイな音質で聴く弦楽四重奏は、自分にはかえって角が取れて聴こえ、心地よいものだった。

 クラシック音楽の愛好家からすれば邪道な聴き方かもしれないが、セピア色の風景に似た音の世界をあえて選ぶ楽しみもある。

 とはいえ、こんなことを言えるのも、SP時代の音源をそれなりに聴きやすく復刻できる、今日の技術力があってこそかもしれない。

 カペー四重奏団のラヴェルなど、自分にはきわめて蠱惑的なものに思える。冒頭のポルタメントなど、古色蒼然、といってもよいかもしれないが、第3楽章に漂う詩情、すこしばかり怪奇的とさえ呼びたくなる神秘性は、この時代の演奏(と録音)に特有のもの。

 これがラヴェルの弦楽四重奏曲のベストワンと呼ぶのはためらうけれども、近年の録音にはなかなか見出しにくい魅力を持っているのは確かだろう。


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