いじめられていた側だった自分は多少のことを言う権利があると思うけれど
ある日、いじめを「卒業」したことになった
あなたは、学校の机を涙でぐっしょりと濡らしたことはあるだろうか?
いろいろと思い出してつらくなるから、それぞれの内容を細かく書かないけれども、自分は明確に「いじめられっ子」だった。始まりは保育園の頃までさかのぼる。東京から地方の田舎の保育園に引っ越してきた、「外部の人間」だった自分は、周りの環境になじめず(だから「田舎が悪い」と言いたいわけではない)、あっという間にいじめられっ子側になってしまった。ちなみに、30代になって通ったカウンセリングで、それが現在のネガティブな思考が生まれる原因なのではないか、みたいな発見になったわけだけれど、また別の話。
親が選んでくれたピンク色のポロシャツを着ていたら、「女の色だ」と言われてからかわれたのが、たしか最初の記憶である。1990年前後の保育園児が、ジェンダーの概念なんて知るわけもないし。
いろいろあったが、とくにひどかったのは、階段の一番上から思い切り突き落とされたこと。ただ、これには情状酌量の余地があり、相手は階段の一番上から横方向のベクトルの力を加えることで「アニメみたいにぴょーんと飛んでいく」と思ったらしい。保育園児の知性なんて、そんなものだろう。あいにくガリレオ・ガリレイが証明した自然の摂理に従って、自分は日本昔ばなしのおにぎりのように回転しながら転落するハメになった。幸い、その時の傷は、今ではそれとわからないぐらい消えてくれた。
小学校の頃になるといじめはエスカレートし(田舎は保育園での人間関係がそのままエスカレーターのようにスライドする)、おおよそ、小学生が思いつくようなことはすべてやられた気がする。殴られたし、蹴られたし、机に落書きされたし、仲間はずれや陰口も多かったし……あと何があったっけ。しつこいようだけれど詳細は書かない。あまり思い出したくないからです。
何か調子にのったことや楽しそうなことなどを言うたびに、殴られたり笑われたりするのだけれど、その理由がよくわからなかった。ただ、間違ったことを言ってしまったのではないか、浮いた行動をしてしまったのではないかと、いつも怯えていた。
しかも、当時はテレビで「いじめ」がやたらめったらクローズアップされていた時で、「いじめられていた子供が自殺!」みたいな報道が少なくなかったものだから、いじめられていた自分は、「これはもう、自殺するしかないんじゃないか」と思いつめてしまった。メディアの人たちは報道の姿勢をよく考えるように。
で、机がどうして濡れるのか? いじめられると、子供は泣く。でも泣いている顔を見られたくないから、自分は机に突っ伏して、泣いていた。その間もいじめっ子はこちらを小突いたり、聞こえるような大きさの声でからかったりする。こちらは泣き続ける。よって涙は止まらず、机はびしょびしょになるというわけ。今にして思うと、なんであんなに涙が出たのか不思議だ。しかし、机が涙で濡れていた光景ははっきり覚えていたので、記憶違いということはないはずだけれど。
毎日、泣いていた。どうして自分が、と思った。ただ、「逃げていい」という考えもなかったから、それでも学校に行っていた。あまり楽しい記憶はない。そうそう、下駄箱の近くに貼られていた「いじめをなくそう!」みたいなポスターを、幼い自分は登下校のたびにずっとにらんでいた。何を偉そうなことを、何も助けてくれないじゃないか!
ところが、このいじめは、中学年ぐらいに、自分が運動部に入ることで、徐々に収まっていく。運動部に入るだけ入って適当にサボる子も多かった中で、自分(というより、両親)はちゃんと毎日練習に出ては、大会などにもエントリーした(成績は悲惨だった)。いや、サボるという発想がなく、ちょっとマジメだった、というだけのこと。
すると、周りも「お、こいつ、仲間じゃん」と認めてくれたのだ。認めてくれた、などという書き方も心外ではあるものの。小学校のカーストらしく、いじめのメンバーが、ほとんど運動部に入っていたのが大きいのだろう。なんだ、こいつ、気持ち悪いやつじゃないんだ! それを機に、誰かの家に集まってゲームとなれば「お前も来る?」と誘われたり、勉強を教えてもらいにくる連中が増えたりした。その時、嬉しかったのか、ホッとしていたのか。後者のほうが強かったような。
そんな時間が続き、いじめともほとんど無縁となり、クラスのカースト上位の人間とも(小学校のそれなど、たかが知れているけれど)話せるようになっていったある日、かつて自分をいじめていたメンバー(と呼べばいいのかしら)の1人が、廊下で自分と歩いているとき、ふとこんなことを言った。
「〇〇(自分の本名)は、いじめ卒業だな」
この言葉とか、言った時の相手の顔とか、そういうところはしっかり覚えているのだけれど(本当に、驚くほど悪気のない表情だった)、それを言われたときの自分の感情となると、これがよく思い出せない。
安堵したのだっけか。困惑したのだっけか。どんな顔で返事をしたのだろう。そもそも何か返答したようにも……いや、覚えている。それを言った相手の背中を見ていたことを。だから、一瞬、自分は立ち止まったはずだ。言われた言葉をうまく飲みこめなくて、どうしていいかわからなくて、ちょっとだけ歩みを止めたのだと思う。やはり、戸惑ったのでしょうね、きっと。
そもそも「卒業」とはどういうことか? その表現のバカバカしさはともかくとして、自分はあの時に、「いじめとは、多人数が1人(あるいは少数派)に対して行なうものである」と理解した気がする。それからも、こちらに悪意を向けてくる同級生はいたけれど、「いじめられた」という実感はほとんどなかった。いじめというのは、多数が少数を迫害し、からかい、楽しむようにして生まれるものなのだろう。もしかすると、こちらをいじめていた彼らは、その後も他の誰かに対して、いじめを続けていたのかもしれない。「かもしれない」というのは、自分がその対象にならなかったことしか、今は覚えていない。だから、もしかすると、加害者とまではいかなくとも、すぐ近くの暴力を見つけられなかった側だった可能性もある。
そういえば、すっかりいじめられなくなった高学年の頃に、「いじめをなくそう」というような作文をクラスで書かされた際、人よりちょっとばかり読書量が多かった自分は、自らの体験をそれなりのリアリティーをもって原稿用紙にしたためることができた。その文章が何らかの冊子に掲載される話が持ち上がったらしく、担任の教師からそんな話を聞かされたものの、やはり問題があったようで(田舎の小さい学校だったから、今となってはその危惧もわかる)お蔵入りになったとのこと。
過去の行為を悔やんで謝ろうとしても
さて、こちらを「いじめていた」人たちに対して、今、自分はどう思っているのか?
向こうが謝ってきたらどうだろうか。やはり、許すのだろうか。多少の葛藤はあるだろう。もう大人なのだから、許さなくてはいけない……と考えるかもしれない。いや、やはり、「何を今さら」と厭な気分になる。
そもそも、向こうは謝ってこないのではないか、と思う。彼らは彼らで幸せにやっているし、家庭を持っている人たちも多い。実家に帰った時に、たまたま外で一緒になれば、「飲みに行かない?」と言ってくる可能性さえある。こちらが受けた傷なんて、考えたこともないのでは。
だからといって、彼らがみんな不幸になればいいとか、苦しんで後悔し続けてほしいとか、そんなことは思わない。善人ぶりたいわけではない。人を呪わば穴二つではないけれど、憎み続けるのもエネルギーを使うもの。その元気がないだけ。
許しもしないけれど、恨みもしない。もう会わないのが、すくなくとも自分にとってはベターなのだろう。
一方で、自分は生まれてから今日に至るまで、ずっと被害者だったわけでもない。大学で、職場で、趣味のグループで、ネットで、少数派を、「空気の読めない人」を、一切迫害したことが(あるいは、迫害する側に加担したことが)ないと断言できるだろうか。自信はない。自分が仕事で関わった人に、恋愛関係になった人に、ネットで意見を違えた人に、何を言って、どう振る舞ってきたか。加害者になったことはあるか、自分の胸に手を当てて考えてみると。
いや、そうでなくとも、迷惑をかけた、「なんてひどいことを……」と思い出すようなことをしてしまった人はいる。謝らせてほしいという発想が頭に浮かぶ瞬間もある。
だけれども、謝ったところで、何になるというのだろう。
こちらは胸のつかえが下りるかもしれない。しかし、向こうはどうだろうか。30を過ぎた男が頭を下げてきたら、「さすがに許すべきか?」と悩むのではないか。そうはいっても、それによって傷が癒えるわけでもないし。
自分としても「〇〇が謝ったのだから、許してあげようね」というような言葉の無意味な暴力性は、幼い頃に、しかも何度も、身を持って体感しているわけだから。その再生産を、自分がやるわけにもいかない。
あの人が間違っていたのは大前提として(その先)
しかし、加害者側が、過去のいじめを「間違っていない」と主張し続けているなら、あるいは被害者側が「あの時はよくも」と憤るならともかく、“第三者”が数十年前の話を持ち出して、加害者の現在を否定し続けることは、どうなのだろうか……と、ここ数日、ずっと考えている。すくなくとも、「どうなのだろうか」と思うことぐらいは、許されてよいと考えるのだけれども。
たとえば、あの人をパラリンピック(+オリンピック)の舞台の演出に関わらせることの是非。それ自体は問われてしかるべきだろうとは思うけれど(組織委員会は「知らなかった」らしい。何のための広告代理店だろう! 彼を選ぶだけの理由を誰かが説明する責任もあるでしょうに)、他人が被害者の心情を代弁することは、どう考えたらよいのだろう。「謝罪していないではないか」と糾弾し、いざ謝罪文が出たら「これで許されると思うな」と“第三者”が義憤に燃えることに対する戸惑い。
過去のいじめ(を超えている非道ぶり……と評しても、あの件に関してはおかしくはないとさえ思う)。それを武勇伝のごとく告白する行為。これらはもちろん、論外。ただ、そこを大前提として、その先について。過去の加害者と現在の加害者を同一視できるのかどうか。被害者にとって現在進行系である可能性が存在する行為を外部がどう扱うべきか。その加害者が国際的な祭典に関わってよいのか。当事者たちは今どうあるべきか。
そもそも、学校という治外法権的なシステムに問題がある、という発想もあるだろう。雑誌に掲載されたものが非難を浴びたなら、編集側は何をしているのだ、という指摘だって、当然のようにある。あのような告白が(ごく一部の人から、熱狂的に)求められていた時代だった、のかもしれない。
これらの要素は、彼の悪行を打ち消すものではまったくない。時代性などとは無関係にひどい話であるというのは何度でも強調したい。しかし、さまざまな論点や尺度を考慮しないとするならば、それはそれで一面的な視点しかもたらさないかもしれない。こんなこと、言うまでもないと思っていたけれど、どうもそうではないようなので。
自分はどうか、と思考を巡らせてみる。過去に自分をいじめてきた相手を許せるかと言われれば難しい。恨みの感情も石油のように心の中に沈殿しており、今回のようなニュースで一気に噴き上がってしまう。
一方で、自分とまったく関係のない人が「それは許せない」と当時の加害者を攻撃し始めたら、ずいぶんと鼻白む想いになるだろう。そうそう、「その経験が今のあなたに繋がっているんだね」みたいなことを、わかったような顔で言ってくる人も、たまにいた。信じられなかった。何様のつもりなのだ、と怒りさえ覚えた。もし、そうだとしても、それはこちらが立ち上がる際の理屈であって、いくら今の自分に繋がっていても、その時の記憶など別にいらないのだから。
もちろん、当事者にとっては、何十年経っても切実な問題。いじめられていた相手を許せない人は、別に許さなくていいし、憎み続けてもいい。自分の場合、憎み続けるエネルギーがなかったので、「忘れたほうが楽だ」と考えたけれど、それが唯一の正解でもない。
同時に、過去にいじめの加害者だったことを悔いている人に(おこがましいけれど)何か伝えるとするならば、「よくも悪くも、忘れたほうがいい」とは言えるかもしれない。はっきりした賠償ができない以上、消すことはできないというのは(加害者に対してそんな配慮は必要なのかはともかく)酷な話かもしれない。
そうであっても、筋を通したいなら、「もっとも被害者が苦しまない方法」を考えるべきではある。「許されたい」と思ったならば、それからの自身の生き方で世の中に貢献するほうがよい。なかなか、直接は許されないだろう。それに関して死ぬまで恐怖を抱えることもある。ただ、要は、その先の話だ。
あの人もそうだった。今に至るまでのどこかで、それを考えるべきだった、とは思う。自分は外部の人間だし、この意見だって後出しじゃんけんではあるけれども。もちろん、偉そうに説教したいわけではない。自分にだって言えることだ。
結局のところ、外部の人がどう触るかというのは、とても難しい問題である、ということに尽きる。「なんと陳腐で、当たり前の結論!」と呆れるかもしれないけれど、ここは、大前提ではないか?
自分は過去の経験から「ひどいことをした人が謝ってきても、許してたまるか!」と思っていたけれど、いざ自分が誰かに迷惑をかけたことを思い出して苦しくなった時に、「一言だけでも謝れないものだろうか」という考えも頭に浮かんでくる。その矛盾を心に抱えたことがある以上、軽々しく踏み込めない。
加害者を糾弾するなとは言わない、言わないけれど
それに関して、すこし触れておきたいことがある。Twitterで、「いじめを糾弾するのをいじめと言ったり、差別を糾弾するのを逆差別と言ったり、加害者に被害者ポジションを差し出そうとするな」というようなツイートを見かけた。
この意見に、半分ぐらいは納得するものの、しかし、いじめられていた側の自分は、これに関して多少のことを言う権利があると思うけれど、今のネット社会はそこまで単純ではないのだ。これはトーンポリシングではないと思いたい。
加害者を糾弾するな、ということではない。ただ、ネットでは、加害者が、義憤に駆られた第三者に、信じられないほど石を投げつけられることがある。投石したくなる気持ちはわかる、ということが多い。しかし、第三者(たち)が善意の石を手にしたとき、まさしく正義という揺るぎないモチベーションから、最後の最後まで、すなわち、死ぬまで投げ下ろすことをやめないのではないか、という暴走に至ることは、残念ながら、珍しくない。黙っている人の意見は見えてこないので、結果的に、振り切れてしまった人たちの声ばかりが目立つようになるし。
「悪いことをした人に石を投げてはいけない」とは言わないけれども、その石を投げる姿が醜悪すぎる人がいるのも、それはそれで苦々しい気持ちになる。そもそも、その人にそこまで石を投げる権利があるのか? そして、この疑問に、必ず「※悪いことをした人を擁護したいわけではありません」と注意書きをしなければいけないほど、世界には白と黒しかないのか? 投げられた石の多さと、投げている人の態度に、疑問を感じる時だってあるのではないか?
そして、過去の自分の行為を、未来において、「その時の価値観で」裁かれる可能性についても、思いを巡らせてしまう。今のネット社会で、悪いことをした人に投げる“石”が、どれだけの殺傷力を持ち、どこに飛んでいく可能性があるかは考えたほうがいい。将来、「あの時、石を投げたこと」が咎められる可能性さえあるのだから。
(一段落、追記する。今になって「彼の家族を誹謗中傷するべきではない」と言い出すのは、個人的には、家族への配慮ではなく、石を投げている側の自己弁護のように思えてしまうのだ。その投石の規模と勢いが、周りの人に影響をもたらさないはずがない。そういうこともあるから、「投げてはいけない」ではなく、「考えたほうがいい」という表現を使っている。「家族に影響が出ても仕方ない、それほど彼のやったことは許されないのだ」と主張したいのなら、なんと、あなたも悪魔だったのですね……という感じだけれども)
例えば、自分の場合。出来不出来に関わらず、仕事をする時は、それなりに誠実で最低限のモラルやマナーは守っているつもりではいる。それとて、何らかの一端が、数十年後に糾弾されないとは限らない、という考えも持っている。
「免罪してほしい」などと言いたいわけではまったくない。くどいようだけれど、世間のルールやモラルに反した仕事はしていないつもりだ。しかし、数年前に自分なりに「面白いのではないか」と考えて手がけた仕事に対して、「真面目でつまらない」と「ふざけ過ぎている」という意見が両方来たことがあった。その時、需要というものには、作者側はコントロールできない領域があると思い知らされた。
すこし、話が逸れてしまった。
結局、自分は結論が出せないでいる
当事者ですら、過去の自分が被害を受けたことについて、どうして良いかわからない時がある。そして、未来の自分がもしかすると糾弾される可能性がある。そのような不確かで、いくつものレイヤーが折り重なっているものに対して、外部の人間、社会の一部が、どのように振る舞うべきか、わからないでいる。しかし、無視するには、自分の人生に(うっすらと、にせよ)重なる部分が多い。
加害者が自分の否を認めた時、被害者(当事者)はともかく、第三者が「正義が為されるべきだ」と過剰に拳を振り上げることの暴力性についても、考えを巡らせたほうがよいのではないか? もちろん、「いじめは良くない」というのは大前提ではあるけれど……それと同時に、「いじめは良くない」という第三者の主張がこちらの現状を何も変えてくれなかったという絶望も自分は味わっている。
こういうことを書くと、「あいつを擁護するのか?」「いじめを肯定するのか?」と、0か100かみたいなことを叫ぶ人がいるけれども、まさしくその「じゃあ、お前はそっち側なんだな」という白黒をはっきりつける勢いでもって、自分はいじめの被害者になった(された)ので、そんなことを言う人たちは今でも嫌いである。大嫌い。
「結局のところ、お前は何が言いたいのか。まとまりのない悪文だ」と感じた人もいらっしゃるだろう。申し訳ない。ただ、この手の話題には、明確な結論が出せないでいる。それほど複雑で、きわめて個人の記憶に結びついていながら、しかし、社会の普遍的な事象に繋がっていくテーマなのだから、自分にはどうしようもない気がする。
言いたいことを言わせてもらいつつも、「要するに、こうあるべきだ」と単純化した結論を出すことをどこかでためらうほど、この問題は自分にとって、重たく、難しい。これまでもそうだったし、たぶん、これからもそうではないかと思う。
(なお、この記事を最初に投稿した際、タイトルの日付を素で間違えていた。あわてて修正したものの、Twitterカードなどで見ると修正前の日付になっており、なんともみっともない。まあ、シリアスな話の中にもこれぐらいの「おっちょこちょい」があったほうが、ちょっとしたおとぼけ感が出るというか、しかつめらしい雰囲気が和らぐかもしれませんね)
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