20/06/30 日記

 2020年の上半期が終わる。

 世界的に、悪い意味で激動の半年だったように思う。まったくの思いつきでnoteに日記(というほどでもない短文)をつけるようになり、今日で160日目になる。

 2019年は、今までの自分ではなかなか通用しなかったことが多く、どちらかといえば「負け」「ダメ」という感じだった。何に対して、どう勝負して……というのではなく、流れに乗れなかったというか。

 2020年はなんとか踏ん張らなくては、と思っていた。慌ただしく生きるのではなくて、自分でしっかりやることをやるぞ、と意気込んで。

 今のうちにがんばれるようになっておかないと、いろいろ間に合わなくなることは、周りを見てなんとなくわかっている。うまくいくにせよ、いかないにせよ「自分としては全力を尽くしました」と言えるところまで、どうにかやりたい。それが今年の目標、のはずだった。

 そうしたら、これだものなあ。いつもは、やりたいことができないと、自らを責めることが多かったけれど、さすがに、これはどうしようもない。個人の力では、なんともならなさすぎる。しょうがない、どうしようもないもの、と思いながら、ぼんやりと過ごしていた。

 しょうがない。その考えが、自然と湧くようになったのは、経験による成長なのか、加齢による諦念か。自分を責めてもしょうがない、責任を感じることはない、という思考が出てきたこと自体は、まあ、自己肯定感の間接的な表出といえるかも。

 今日は、カウンセリングで「◯◯(ぼくの本名)さんはよくなったと思います。圧倒的に」と言われ、その言葉がもたらす嬉しさよりも、「圧倒的」というフレーズの強さに反応してしまった。「圧倒的……ですか」「圧倒的です」「圧倒的……」というよくわからないラリーが発生した。圧倒的、だそうです。

 そういえば、カウンセラーに、初めて「カウンセリングの終わり」を話題にされた。「もう十分だと思うので、終わらせましょう」というものとは微妙に違っていて、どう終わりたいか、あるいは、どう続けたいか、という話、といえば、伝わりやすいかしら。なにか、そういうものを予感させるものが、自分から出てきたのだろうと、前向きにとらえている。

 楽しくやっていきたいですね、下半期は。欲しいものを取りに行きたい。

 今年の上半期によく聴いていたのは、Marker Starling『High January』。2000年代にMantler名義でtomlabに3枚の作品を残した、トロント在住のChris A. Cummingsの通算……9枚目かな。合ってるかしら。

 The High LlamasのSean O'Haganがプロデュース、StereolabのLaetitia Sadierがエンジニアを務める。となれば夢見心地なオーケストレーションが楽しめるのかと思いきや、彼がライブをやるときのバンド編成による、コンボのサウンドが基本。

 どことなくAOR的な雰囲気と、それと相反するように繊細でパーソナルな質感をたたえた、独自の曲作りはそのまま。メロウではあるのだけれど、バキバキに現代的ではなく、かといって過度にレイドバックした風でもない、どこかありそうでない内省的なムードが、この人の持ち味。

 懐かしく聴こえたり、新しく思えたり。このマジカルな音作りは、プロデューサーとエンジニアの功績によるものが大きいでしょうね。なんともすっきりしない今年の前半の空気にハマっている気がして、やることがない休日の午後や、なかなか寝付けない夜更けに、よく聴いていました。


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